【短編】SHINONOME〈4〉④
「ショウ、メイ?」
受け取った言葉をたどたどしく発音する水前寺に対し、『うん。証明』とシノノメはにべもなく繰り返した。
『君のいう通り、ミナミ=ウリの運命を変えた女子生徒がS県にあるK高出身の水前寺千春さんだとして、君がその当人であるという確証が欲しい』
「え、どうして」
『だって、偽者を連れていくわけにはいかないでしょう』
「そんな」
何か言いかけ、しかし反論するのも時間の無駄だと思ったのか、水前寺は背負っている黒いデイパックを胸の前に持ってきて、中を漁り始めた。
「少し待ってください。運転免許証がありますから」
『駄目駄目。偽造の免許証や健康保険証なんて、一体いくつ見てきたか。信用できないよ』
「偽造……」呆気に取られた顔で、水前寺は手を止める。「私の免許証を偽造する人なんて、いるわけないじゃないですか」
『どうして?あの『punpee pumpkins』、ミナミ=ウリが音楽を始めるきっかけとなった人だよ』
「でも、それを知っているのは、私だけで……」
『君と同じK高出身の人は?S県出身の同年代、文化祭でオリジナル曲を弾き語り。君と同じように、件の女性が水前寺千春だと思い至っても、おかしくはない』
「だからって偽造までするとは……」
『有名人とお近づきになれるんだ。そこまでしたって、不思議ではないだろう』
まるで一問一答。テンポよく反論してくるシノノメに、水前寺は黙り込み、言葉を探す。
「こんなことしなくても、ウリ君なら、私が本人だってわかります」
『ミナミ=ウリにじゃない、僕たちに証明してくれ、と言っているんだ』
シノノメの手は緩まない。
『それに、ミナミ=ウリだって怪しいものだよ。なんせ、高校時代の遠い記憶さ。時を経て現れた女性が、あの時の女子生徒だと、はたして断定できるだろうか』
「それは……」
『別に君が嘘をついていると疑っているわけじゃない。むしろ、君のシンデレラストーリーを応援している。ただ、その前提として、君が嘘をついていない、ということを証明して欲しいだけ』
「今から一緒に役所へ行って住民票を発行しろ、とでも?」
『そんな面倒なことするわけないじゃん。言ったでしょう、”今”、”この場で”証明して、って』
「じゃあ、どうすれば!」
たまらず大声を出してしまい、水前寺は周囲を見渡す。前後の列を構成するファン達から、訝しげな視線が集中していた。
その数に、思わずどきりとする。それほどの時間が経ったとは思えないが、いつの間にか列は建物に沿って折れ曲がるほどに伸び、最後尾が死角に入って見えなくなっていた。
「すみません……」
か細い声で、縮こまる水前寺。マナー違反を詫びるというより、公衆の面前で目立った自分を責めているように見える。
「……じゃあ、どうすれば」
同じセリフを、今度は小声で。
『別に、難しく考えなくてもいいよ。要は僕らを納得させられればいい』
「でも、免許も保険証も使えないんじゃあ……」
『当時の曲って、覚えてる?』
「は?」
『高校時代、文化祭で披露したオリジナル曲』
「えぇ、まぁ」
『じゃあアカペラでいいから、今からそれ、歌ってみせて』
「……はい?」
口をあんぐりと開けて、水前寺は私を見る。この人は何を言っているんですか、と問いたいのだろうが、こちらとしても首を傾げることしかできない。
水前寺はまたスマートフォンへ目を向ける。
「あの、何を……」
『だ、か、ら。その曲、そこで歌ってみせてよ。もちろん本域でさ』
「どうしてそんなこと」
『言ってるじゃん。君が本人だという証明』
「何故それが証明になるんですか。どんな曲か、お二人とも知らないじゃないですか」
『どんな曲かなんてどうでもいいんだよ』
言って、シノノメは背後にあるパソコンのマウスに触れた。それまで当たり前の背景になっていたが、彼がいるのはネットカフェだ。当然のように端末は設置されている。ただ、リモート通話が繋がって以降、シノノメがそれと向き合う絵面は初めてだった。
セーブモードになっていた画面が点灯し、インターネットのブラウザが表示される。小さくて見えないが、『punpee pumpkins』について書かれた、件のサイトのようだ。
『ほら、書いてある。”彼女がギターの弦を鳴らすたび、臆病者、と詰られている気がした”。つまり、オリジナル曲を衆目に晒す勇気にミナミ=ウリは心打たれて、楽曲の公表を決意したわけでしょう』
シノノメはパソコンから振り返る。
『じゃあ、同じことを今やって見せてよ』
「ここで、ですか」
『うん』
「できるわけないじゃないですか」
『あの時はできたのに?』
「文化祭とは、環境がちが……」
『逆に言うと、それができる水前寺さんじゃないと、彼にとっては価値がないんじゃない?』
「そんな」
『君さぁ』
画面の中、シノノメの黒目が一際大きく拡がる。
『本当に、水前寺千春?』
辛辣にも言い放たれた言葉に、水前寺の顔はみるみる青ざめていく。
しかし、失せゆく血の気とは裏腹に、何かしら湧き上がってくるものがあったのだろうか。
「わかりました」
掠れた声で水前寺は頷いてみせた。
『いいね』
シノノメの目線が鋭くなる。
水前寺は前抱きしていたデイパックを地面に下ろし、グッズ販売の列から一歩離れた場所へと、足を踏み出した。
上空から見れば、長く伸びる直線の横に、一つぽつんと点がある様相。
何をするでもなく、ただそこに点を作って立ちすくむ。そんな水前寺の姿に、ひとつ、ふたつと視線が集まり出す。
『さらさ、画面』
「あ、すみません」
つい目を奪われ、カメラリポートを怠っていた。慌ててレンズを向ける。
水前寺は黙ったまま、静かに呼吸を繰り返している。
目を閉じ、肩を上下させ。
息を吸って、吐いて。
また吸って、吐いて。
『さぁ、シンデレラ』
スマートフォンから、シノノメの声。
『ガラスの靴は、今も君にぴったりかな』
水前寺の目が開いた。
胸を逸らせ、一際大きく息を吸う。
続く吐く息に、彼女の声が乗らんとした、その時。
金属音にも似た、甲高い歓声が上がった。
思わず、音のあった方を向く。列の後方、角を折れたその先、我々からは死角になっている場所からのようだ。前後に並ぶ、全員の顔がそちらを向いている。
「ウリ君、来てるって!」
どこからかそんな言葉が聞こえ、周囲が瞬間的に色めきだった。「嘘」「本物?」。一人、二人と列を離れ、駆け出し始める。死角となった列の先から、また歓声。写真はご遠慮ください、というスタッフらしき男の声が、更にリアリティを煽る。
『何?』
シノノメが聞いてきた。
「本人が来ているそうです」
『ふうん』
水前寺を見る。
先程までの緊迫はどこへやら。目を輝かせ、皆が駆け寄っていく方を見つめている。
半身をそちらへ向け、今にも一歩を踏み出しそうな、そんな体勢。
そんな表情と姿勢のまま。
絵画のように、止まっている。
唯一動くものとして、彼女の頬を伝う涙が見えた。
「水前寺さん?」
名を呼ばれ、初めて我に帰ったのか。「あ……」と間の抜けた声を出し、水前寺はこちらに顔を向けた。続いて、自分が涙していることに気づき、慌てて頬に手を当てる。
私は彼女に駆け寄り、カバンからハンカチを差し出した。
「大丈夫ですか」
「すみません、私……」
「とりあえず、顔を」
「……私、やっぱり駄目です」
そう言うと、静かに嗚咽を漏らし始める。俯いたまま、私のハンカチを掌で遮り、自分のデイパックの元まで駆け戻った。そこからハンドタオルを取り出し、顔に当てる。
黄色い歓声が、また遠くで聞こえた。それに呼応するように、また「うぅ」と嗚咽が再燃する。
「……駄目、駄目だ」
一体、何が駄目なのか。
ただ涙を流すだけで、説明はない。
それでも間違いなくわかるのは、もう水前寺に歌う気力はないであろう、ということだった。
『さらさ、画面』
この期に及んで指示を出すシノノメに、私は無言で従う。
何か水前寺に声をかけるのかと思いきや、しかし、咽び泣く彼女を画面越しに眺めるだけで、何もしない。
「シノノメさん……」
しばらくの沈黙を経て、水前寺が声を漏らす。タオルに埋めていた顔が半分上がり、赤く腫れた目が画面を見つめる。
「私、やっぱりウリ君の”ファン”です」
湿った言葉に対し、感慨もなく『そう』と返すシノノメ。
『じゃあ、僕はこの辺で』
そのまま画面上部に指先を伸ばし、通信オフのボタンを押さんとする格好になる。
しかし、すぐにはボタンは押さず、こう付け加えた。
『僕がその気になれば、バックステージパスなんかなくても本人に会える』
「……え?」
『だから前言撤回。別に、今この場でじゃなくてもいいよ』
「あの……」
『証明できるようになったら、いつでもおいで。シンデレラ』
じゃーねー、と子どもじみた挨拶を最後に、あっけなく通信は遮断された。
私は、折れた列の向こう側を見る。
ミナミ=ウリはもういなくなったのか、騒々しさはなりを潜め、列を離れていた者達が元の位置に戻って来ている。
スマートフォンのアプリを消す。
グッズ販売開始は、十二時から。
ホーム画面で時刻を確認すると、まだまだ待ち時間は続くようだった。
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