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【短編】SHINONOME〈5.5〉④

「そうだな。YES/NOで答えられる質問を、三つまで許そう。僕にではなく、ハチに対してのね。質問の内容は問わない。ダイレクトに『あなたとシノノメの関係は◯◯ですか』と訊ねても良いし、『あなたは●●ですか』と外堀から攻めるのも可。ただし、答えはすべてYESかNOだ。どう、面白いと思わない?」

矢継ぎ早に捲し立て、東雲は飲み物に口をつける。対する影山はなお怪訝な表情で、「待ってください」と片手を上げた。

「いきなりのお話で困惑しております。何でしょう、僅かな手がかりを元に、あなたとこのハチさんの関係を言い当てる、そういうテストを始めようというわけですか」
「そだよー。まぁ、テストと言うよりゲームかな」
「そのゲームに私が勝てば、根回しに応じてくださる、と」
「前向きに検討させていただきますー」
「ふざけないでいただきたい」

影山は言う。

「根回しという言葉を使いましたが、これはあなた方にとっても利のあるもの、そう思ってのご提案です。わざわざそんな不毛なゲームに参加するほどの理由は、私にはない」
「じゃあ、帰れば? こちらに利があろうが無かろうが、これはヒトカゲさん、あなたが持ちかけてきた話だ。言わば飛び込みで、いきなり商品をプレゼンテーションしてきた営業マン。ウチの敷居を跨いだからには、ウチのルールに従ってもらう」
「そのルールが、先程ご提案されたゲームに応じることだと?」
「左様でございますー」煽るように語尾を伸ばして、東雲。そして一段声を低くして、続けた。「もう一度だけ言うよ。嫌なら帰れ、営業マン」

横一列に並び、睨み合う異能と異能。

一触即発のムードに、さすがに緊張を覚える。
もしここで、どちらかがどちらかを潰すなどという事態にでもなろうものなら、それこそ全面戦争に突入だろう。滝沢さん陣営と早蕨陣営の一騎討ち。漁夫の利を得んとするその他勢力を巻き込んで、大混乱が巻き起こる。

テーブルをひとつ挟んだ向こう側、火薬庫に火がつくか否か、という状況を前に、俺は手汗を握り成り行きを見守るしかない。こういうところが東雲をして『雑魚』と言わしめる所以なのだろうが、これもまぁ仕方がないことと言えよう。

人並みに特技のひとつはあるものの、異能の域には遠く及ばず。どこにでもいる一般人。それが、この俺なのだから。

「わかりました」

緊迫した空気を吹き払うように、ふ、と息を吐き、影山が言った。

「言い争っていても埒が明かない。あなたの言うゲームに応じましょう」
「お。乗ってきたね」
「ただ、『関係性』と一口に言っても、粒度は様々です。単なる『知り合い』と答えることもできれば『知り合って十年来の親友』とも答えられる。どのあたりまで具に言い当てられれば、正解と認めていただけるでしょうか」
「その辺はファジーなままにしておこう。強いて言えば、『知り合って十年来の親友』は合格ラインかな。要はこの僕を納得させられればいい」
「曖昧ですね」
「曖昧だよん」

はぁ、とあからさまなため息を影山は吐き、一度小さく頭を振った。苦い顔のまま、「前言撤回」と零す。

「瀧本さらさの言う通り。シノノメさん、あなたは無茶苦茶で破天荒な方だ」

無言のまま、ピースサインで東雲は返答する。それを見て、もう一度首を振り、影山は俺へと向き直った。

「YES/NOで答えられる質問を三つまで、ですよね」
「そだよー」
「では、始めます」

突如、空気が変わった。元々切れ長である影山の目がさらに鋭く尖り、俺の身体を刺し留める。さながら標本にでもなったように、貼り付けにされたような感覚が俺を襲う。

なんだ、このプレッシャー。ベテラン刑事の取り調べか、はたまた一流企業の採用試験か。俺が就活生なら、圧迫面接で訴えていいレベルだぞ。

「そうですね」影山の口が開く。「では、まずひとつ目」

ジャジャン! とふざけたSEを挿し込む東雲を無視し、影山は真っ直ぐ俺を見て、続けた。

「『これまでに、シノノメさんをぶん殴ってやりたくなったことはありますか』」
「は?」

思わず嗚咽にも似た疑問符が漏れる。

なんだ、この質問。東雲をぶん殴りたいか? そんなことを訊いて一体どうなる。
質問の答は、もちろんYES。何なら数分前にもそんなモノローグを展開したところだが、いやはや本人を前にしてそれを訊くか、普通。

『先輩』を前に「殴りたい」などと、どれだけ言いたくても言えるわけがない。

「初手からいい質問だねー」
「横槍は止めていただけますか」

にやけ面の東雲を制しつつ、影山の視線はなお俺に向けられたまま。毛穴から滲む薄ら汗さえ、見逃すまいとしているような集中力。単に答を待っているわけではないのか。では、何を見られている。

答でないとしたら。
答に至るまでの過程。
反応速度。

そこに思い至り、はっとする。
なるほど。これまでのやりとり然り、俺が東雲から粗雑な扱いを受けていることは、側から見れば明らかだろう。つまり、この質問に対する俺の答は『YES』以外にあり得ない。そう踏んだ上で、影山は問いかけている。

何故か。知りたいのは質問への答そのものじゃない。俺が東雲本人を目の前にして、この場で『YES』と答えることに、どれだけの逡巡を見せるか。その反応により、俺と東雲の間柄を測ろうとしている。

やっべえ。
異能とか関係なく、このオッサンやべえ。

「……YESです」
「ありがとうございます」

感慨もなく頷いて、影山は目を瞑る。視線のピンを外され、そこでようやく身体の硬直がとれた。鼓動が速く、掌に汗が滲んでいる。

嘘だろ。あと二問もこんなプレッシャーに耐えんの、俺?

「難しいですね」影山は口元に手を当てて、零す。「見たところあなた方は共にお若く、同年代。漂う空気にも小慣れたものを感じ、友人同士に見えなくもない。しかし、今のハチさんの反応を見る限り、本人を前に『ぶん殴りたい』とは、気安く答えられぬ状況にあるようだ。つまり……」

そうはできない秩序。
なんらかの上下関係がある。

「上司と部下、先輩と後輩……しかし気にかかるのは、正直に『YES』と答えているところです。嘘をついてはいけない、というルールがあるわけでもないのに、最終的には目上への義理立てを放棄した」

再びこちらを向く影山の目線に、俺は思わずたじろぐ。

え、嘘ついても良かったの?
いや、そこに思い至るか否かもひとつの分かれ目ってことか。
だとしたら奥深過ぎんだろ、このゲーム。

「難しいですね。単なる上下関係ではないとしたら……」

なおも向けられる影山の観察眼。駄目だ。反応を見せるな。ポーカーフェイスを貫け。

「質問以外の探りはNGだよー」

隣で東雲が言う。「失礼しました」俺を睨んだまま、影山。「では二問目」

また視線のピン留め。再度、俺は標本になる。

「『これまでに、あなたとシノノメさんの関係に変化はありましたか』」

うおおおおおおお。

胸の内、ひたすら驚愕する。

なんだなんだなんだなんだこのピンポイントな質問。
これもう、正解わかってて訊いてるだろう、絶対。

「…………YESです」
「ありがとうございます。大体わかりました」

影山は頷いて、東雲に向き直る。

「正解したら、私の提案を前向きに検討くださるのですよね」
「そだよー」
「検討した結果、提案を受け入れてくださらない可能性もある、ということですか」
「もちろん、その可能性もある」
「割に合わないな」吐き捨てるように、影山は言う。そして続けた。「どうでしょう、三つのチャンスを使い切らず、二問目を終えたこの時点で、見事正解したならば。無条件で提案を呑む、その確約をいただけませんか」
「えー嫌だ」
「こんな馬鹿げたゲームに付き合っているんです。それぐらいの譲歩はいただいてもよいかと」
「い・や・だ」
「そうですか」

影山はうんざりした様子で、ふう、と太めの息を吐く。

そして次の瞬間、東雲に向け腕を伸ばし、その喉元に指先を当てた。

「…………え」

事態を飲み込めず、声が漏れる。しかし次の瞬間、あるべき危機感が脳を駆け巡った。
先ほど、十円硬貨を二つ折りにした光景がフラッシュバック。いとも容易くそれをやってのけたその指が、今、東雲の喉仏に。

「三問目」

影山の声。

「『このままこの手が東雲さんの喉を潰せば、あなたは私に報復しますか』」

俺の視界が真っ赤に染まる。

視界の端、テーブルの上にあるアイテムを確認。溶けかけのシェイク。蓋を取るのに一秒。中身を奴の顔に向けぶち撒けるのに一秒。怯んだ隙に腕に打撃を喰らわせるのに一秒。

最低三秒。
間に合うか。

「『NO』だ」

気付かれぬよう、身体の重心を前へ。頭の中、高速でシミュレーション。掴む。立ち上がりながら蓋を取る。投げつける。右斜め後ろへ腰をひねる。奴の手の甲へ右ストレート。駄目だ。足場のスペースが足りない。掴む。立ち上がりながら蓋をとる。投げつける。机を前へ押しやる。腰をひねる。右ストレート。四秒になる。できるか。掴む。立ち上がりながら蓋を。投げつけ、机を前へ。腰をひねる。ストレート。厳しい。

だが、やるしかない。

「潰させない。だから報復もしない」

掴む。

「ハチ」

全身が動きを止める。

東雲の、声。

《オーダー》など使うまでもなく、
俺がこの世で誰よりも、
俺がこの世の何よりも、
従うべき、殉じるべきその声が、告げる。

「座れ」

一センチにも満たない高さ、浮かせた腰を、俺は再び座席に沈める。一度瞬きをして、赤く染まった視界をクリアなそれへと戻した。

東雲を見る。首に凶器を当てられながらも、いつもの黒く丸い目をぱちくりとさせ、飄々とした態度を貫いている。そのテンションを維持したまま、傍の異能、影山の方に顔を向ける。

「さぁ、ヒトカゲさん。三つの答が出揃った。あなたのアンサーを聞かせてもらおう」

影山は無言で東雲を見つめる。二秒ほどそうした後、伸ばした腕を引っ込めて、本日何度目かのため息を吐いた。

「『友人かつあなたの用心棒』、でいかがでしょうか。フラットな関係値にありながら、そこに雇い主と雇い人、ビジネス上の上下関係が入り込んだものでは」

斜め下から覗き込むように、東雲の顔色を窺う。

「ブッブー。不正解」
両手の人差し指をクロスさせ、東雲。
「正解は『高校までは同級生。大学に入って以降は先輩後輩』な間柄、でーした」
「それは残念」

小さく頭を振り、影山は立ち上がった。テーブルに置いた自分のトレイを持ち上げ、俺と東雲を交互に見る。

「退散します。ゲームには負けましたが、私の提案も頭の片隅に入れておいていただけるとありがたい」

それではまた。近いうちに。

最後にまた俺を見て、影山はトレイと共に去っていく。呆気ないほどの幕切れに、口を開けて俺はその背を見送る。

怪力の異能。
ヒトカゲ。

「ハチ」
「はい」
「どうだった?」
「何がスか」
「とぼけるな」

冷たく低いトーンで、東雲。俺は思わず居住まいを正した。
質問の意図は明らかだ。
”お前はアレを止められるか”。そう訊かれているに違いない。

「……わかりません」
「正直でよろしい」

チ。思わず舌打ちが溢れる。俺の憤りに気づいていないわけではないだろう、しかし東雲は平常モードのまま続けた。

「おそらくヒトカゲも、お前の動きを見ていたよ。この根回しが成立しないことを見越して、やがて敵対するであろう、お前の力量を見極めようとしていた」
「それで、害なしと判断し、早々に退散した、と」
「拗ねるなよ」
「すみません」

今日のところはこの辺にして、そろそろ僕らも帰ろう。東雲の号令により、その場は解散となった。店の前で東雲と別れ、反対の道を歩く。すでに十九時を過ぎており、店に入った頃は夕方の色合いを残していた空も、今は黒々と闇を深め、薄らとそこに浮かぶ雲に、大通りの街明かりが反射していた。

東雲の喉元に当てられた、影山の指先。
その光景が、脳裏に焼き付いて離れない。

もし、影山が本気で東雲を仕留めにかかってきていたとして。自分はそれを止められたか。それを成すに足る速度があったか、筋力があったか、手技があったか。
いや、そこじゃない。あの並びに、あの距離に、易々と敵対勢力に与する異能を座らせた。あの時点で、俺の負けだ。初手から既に後手に回っていた。最初から勝負はついていた。

「……くそ」

大通りを抜け、路地を曲がる。憂さ晴らしに酒でも呑んで帰ろう。騒がしくない店がいい。人目につかない場所で、ひっそりとやっているような。
一本、二本、と裏通りに入っていく中で、背後に続く影に気づき、ふと立ち止まった。

振り返る。薄闇の中、ジャージを着用した青年が数名、空から見れば菱形を描くような配置でこちらに迫っていた。周囲に、他に人影はない。一番近距離にいる青年との距離は、およそ五メートル。その彼がリーダー格なのか、俺へ向け声をかけてきた。

「蜂ヶ峰友我さん、ですね」
「……誰だ」
「申し訳ありません。名乗ってはいけないことになっています」

答えながら、青年はじりじりと間合いを詰めてくる。
早蕨ミツルの手の者だろうか。影山がこんな小細工をするとは思えない。悔しいが、する必要もない。

「大方、早蕨の指示で影山を張っていた、というところか」
「お答えできません」
「いつから俺をつけていた?」
「それも、お答えできません」

畜生め。考えごとに夢中で、尾行されていることにも気がつかなかった。

いや、ちょうどいいか。

「どちらへ行かれるのですか」
青年が問うてくる。俺は答える。
「むしゃくしゃしてたからな。一杯呑んで帰ろうか、と店を探していた」
「なるほど。お邪魔してしまい、申し訳ありません」
「いや、歓迎する」
「え」

地面を蹴る。一足で、青年と鼻の先の距離へ。腰をひねり、右ストレートを鳩尾に振るう。

「ごっ……」

青年が蹲る。上半身が倒れるのを跨ぐように足を上げ、露わになった背中にそのまま踵を下ろす。鈍い感触。背骨からは逸れたが、強度はあった。案の定、青年の身体が地面に崩れる。
細かく痙攣するその身体を蹴り飛ばし、空いたスペースに俺は進んだ。

「代わりにお前らが相手してくれるんだろう? 酒代も浮いて、一石二鳥だ」

てめぇ、だの、こら、だの野暮ったい叫びを上げながら、菱形の二点、俺からほぼ等距離に構えていた二人が同時に駆け寄ってくる。右側の男の方が僅かに早い。直前で身を躱し、右へ。オーバーランした男の身体が、左側から遅れてきた方と衝突。よろけた瞬間を見計らい、横っ腹を蹴る。身悶える男が防壁となり、左側から来た男はこちらへ来られない。回復した右側の男がこちらを向くに合わせて、掌底を食らわせる。鼻の軟骨がひしゃげる感触。もう一度、今度は拳で顔を殴る。涙と血が丸めた指に付着。左側の男が迂回してこちらへ。今度はそいつの頬を叩いて、拳を拭う。

その後も殴る蹴るを繰り返し、菱形の二点も地に沈んだ。水溜りのように広がる血や吐瀉物を跨いで、最奥、四点目の男へと歩を進める。他の三人同様、ナイロン生地のジャージに身を包んでいるが、近寄るにつれ、三人とは違い、なかなかに良い体格をしていることがわかった。佇まいにも隙がない。何より、これだけの惨状を見せつけられてなお、顔色ひとつ変えずにこちらを見つめている。

なるほど。こいつがボスだったか。

「予想以上だ」

菱形のボスが告げる。思ったより声が若い。

「何だよ、”予想”って」
「依頼主から事前に聞かされた情報、遠目見ていた印象、そこからの予想」流れるような返答。「異能のボディーガードを務めるだけはある」
「ボディーガード、ねぇ」

痛いところを突いてくる。こちとら先ほど、そのボディーガードとして落第点を付けられたところだ。

「別に大した者じゃねぇよ。異能と畏怖されることもなく、異常と驚愕されることもなく。特技のひとつはあるものの、単なるそこらの一般人だ、俺は」

特技。そう。
ただただ”喧嘩が強い”だけ。俺の手持ちのパラメータで、突出している項目はそれぐらい。

だが。だからこそ。

名言こそされてはいないが、今回、一原力也の代わりにこの俺がアサインされた理由は”それ”だ。東雲の唯一にして最大の弱点、物理的攻撃による《オーダー》の無効化をさらに無効化、キャンセルすること。腕っぷしだけが取り柄の俺に、それ以外あるいはそれ以上の期待が寄せられているとは、到底思えない。

だからこそ、負けてはいけなかった。

「十分、異常だ」菱形のボスの声。「人を殴るのに躊躇いがない、蹴り飛ばすのに躊躇がない。冷酷なわけでなく、熱量そのものを感じない」
「随分な言われようだな。これでも昔よりは大分マシになったんだが」
「”危険なら排除しろ。無害なら放置しろ”」
「あん?」
「俺が受けた指令だ」

菱形のボスが右手を上げる。それが合図であったようで、前方から背後からぞろぞろと人が集まってきた。どこにいたのだろう、ざっと見たところ、前後合わせて十人くらいか。
一本道で挟み撃ち。地の利が悪い上に、多勢に無勢。さすがに逃げ切ることを最優先に考えた方がよい。

「ゲロめんどー」

数時間前、東雲の口から漏れた嘆きが、今度は俺の口を通してまろび出る。まったく、随分な面倒ごとを押し付けられたものだ。

「安心しろ」

菱形のボスが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。俺の目の前、残り数歩の距離で立ち止まり、小気味いい音を立て、ジャージのファスナーを引き下ろした。張りを失った裾が、ひらりと旗めく。

それを視界に捉えた瞬間、腹に岩をぶつけられたような衝撃が走った。

「面倒ごとはこれで終わりだ」

ブラックアウトする視界。意識が途切れる寸前に聞こえたその台詞が、この日、俺の最後の記憶となった。


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