見出し画像

【短編】SEVENTH HEAVEN④ -出鱈目-

桜色のワンピースが似合う、そんな女の子になりたかった。

髪を伸ばし、可愛いもので身を固め。ふわふわのシュシュや、パールピンクのネックレス。爪もリップも艶々にして、明るい色をほんのり添えたい。

しかし、違った。生まれ持った私の素地に当てがわれたのは、寒色系のボーイッシュ。柔らかく華やかなものよりは、強く凛々しくが似合うらしい。
純血の祓い師という立ち位置も相まって、私のそうした印象は過度に演出され、周囲に映った。『守られるお姫様』でなく『戦う女騎士』。イメージは肥大化し、一部から羨望の眼差しを受けるにまで至った。

望まぬ形であれ、自分の身なり人となりを称賛されるということはありがたく、嬉しいものであった。私に用意されたものは、これ。幼き時分からそれを受け入れ、強く凛々しくあれることに誇りを持とうと考えた。可愛いは無理でも、私にはこれがある。そんな自負を抱き、前を向いた。

しかし、これもまた違った。

祓い師として私が備え持った力量は、とても頼りなく矮小なものであった。通常、四十センチ四方に収まるほどのサイズを描く六角形が、十センチ足らず、掌サイズでしか結べない。輝きも弱く儚げで、少しでも調子を崩せば光が掠れてしまう。

そこには強さも凛々しさもなかった。

望む形での美しさを、持ち合わせずに生まれてきた。生まれ持った美しさは、見せかけだけで中身が無かった。
自分の価値を見失い、途方に暮れた。身の丈に合う、微小な力でも祓える霊ばかりを当てがわれ、それらと対峙する度、酷く惨めな気分になった。

私にはこれしかないのに。私が授かったものはこれであるはずなのに。

強い力を持つ祓い師に憧れた。憧れる度、自分の弱さを反芻し、自分のことを嫌いになった。悪循環の堂々巡り。この負のスパイラルから抜け出すためには、強さを手にし、根本を断つ必要があった。しかし、容易くそんなものが手に入るわけは無かった。研鑽を積めど、経験を重ねど、弱い私は弱いまま。このままでは気が狂う。自己を保つため、壊さぬため、自ずと防衛意識が働き。次第に私はそんな自分を受け入れ、許容しようと考え始めた。

そんな中、兄様の助言を受けた。不自由に埋没するな。弱いながらも踠き、戦わなければ、未来永劫、不自由のまま。足掻け、もがけ、自由を掴め。訴えるその生き様に感化され、遂に私は学生生活という、憧れの自由をこの手に収めた。

そして、彼女と出会った。

強くない私を、強くしてくれる存在だった。
彼女と初めて祓った霊は『カタナシ』で、通常、上級の祓い師でなければ祓えない強者だった。一族、純血の中でも鳴りを潜めていた、否、鳴る気配すらなかった私の名が、たちまちのうちに俎上に載せられ、脚光を浴びた。

戦って、勝ち取った自由。
その中で得た、強さ。

彼女が祝詞を授けてくれたからこそ。『言主』という存在、それに頼った他力本願であることを知ってからも、その強さは、長らく損なわれるばかりであった私の自尊心を満たしてくれた。これまで描けぬ大きさの図形が描ける。これまで向き合うことすら禁じられた霊が祓える。その事実に高揚した。私のしがないプライドのため、彼女を利用してはいけない。それをわかってはいつつも、彼女がもたらす強さに溺れた。

それがいけなかった。

一族が『言主』の存在を確かめんとしている。
一族が『言主』の存在を認めんとしている。
一族が『言主』の存在を迎えんとしている。

自分では曲げることのできない大きな流れが生まれ、私は彼女と一連托生となった。否。彼女を一連托生にしてしまった。

彼女を巻き込まぬため、彼女から離れるタイミングがあったとすれば、それは最初の出会いの段階だった。私が祓ったのは『カタナシ』でなく、いつもの通り弱小の霊。居合わせた子は一般人で、ただの被害者に過ぎない。そう報告すれば、彼女の平穏は守られた筈だ。

その程度の計算もできないほど、『カタナシ』を祓った当初の私は舞い上がっていた。正体不明のこの力が、自分の内に秘められていたものであるのでは、とすら感じていた。

その最初をしくじった結果が、このザマだ。

つまり、私が弱いから。
弱いから、強さを求めた。弱いから、強さに酔った。弱いから、強さに溺れた。

だから、ごめんなさい。
関わってごめんなさい。一緒にいてごめんなさい。

だけど、ごめんなさい。
それでも私は関わりたい。それでも私は一緒にいたい。

我儘は自覚している。
身勝手は心得ている。
不相応などとうに知っている。

それがどうした。何が悪い。

強くないまま、弱小のまま。
奪われたものを取り返しに行く。

弱小であるが故、
最強を引き連れて。


とは言いつつも、寝不足だ。

いざ決戦、と兄様と共に、昨日追い出された屋敷、その門が見える位置までたどり着いた私だが、これから迎え討ってくるであろう難敵を前に、まず己の睡魔との闘いを強いられていた。

それもその筈。兄様を訪ねた昨夜はもう遅く、さらには疲労困憊、それから宿を探す時間も気力も無かった私は、兄様の部屋に宿泊する運びとなった。

「僕は床に寝るから、ベッドを使いな」

殺人的な申し出に全身全霊で首を振ったが、「昔とは違うんだ。一緒の布団というわけにはいかないだろう」などと頓珍漢な返答でいなされ、無理矢理寝床を当てがわれた。

兄様の部屋で、兄様のシャワーを借りて、兄様の布団で眠る。

いや、眠れるか。

本当は今すぐにでも彼女を助けに行かなければならないところ、こんな浮ついた展開に身を投じていていいのだろうか、と思ったが、それはそれ、これはこれ。息を吸う度脳を刺激してくる匂いにくらくらしながら、あぁ重たいスーツケースを頑張って持ってきてよかったこれで服まで借りていたら気がおかしくなっていたと安堵しつつも、兄様が寝返りを打つ度びくりとする。そんな悶々として眠れない夜を過ごした。

せめて屋敷へ戻る道中、新幹線の中で眠れたならばよかったのだが、ここでも兄様が隣にいた。気を利かせて私の分の旅券まで買ってくれたのはありがたかったが、「ちょうど二人席が空いていた」と無邪気な報告を受けたときは冗談じゃなく眩暈がした。何をしてくれているんだ、とお門違いな怒りを覚えながらも、至近距離に兄様がいるという落ち着かない数時間を過ごすことを強いられ、その間、もちろんのこと眠れはしなかった。

そして、今に至る。

「ウツシ、大丈夫かい」
「はい」

むくれ面で答える。
むくれているのは寝不足のせいだけではない。

この何時間かで、兄様が私を在りし日と同じ自分の妹分、遠い親戚の一人としてしか捉えていないことはよくわかった。それはいい。半ば予想していたことであったし、私に魅力がないのが敗因だから。

だが、そのような扱いを実感する度に、兄様がミノと通じていた、という事実が何度も過ぎる。

『あの混血の女が怒らないか』。
『いつもお前と一緒にいた』。

センゲの言葉に出てきた見知らぬ誰かが、ミノを指しているのはほぼ間違いない。あれだけ毛嫌いしている様を打ち出していた癖に、そんな繋がりがあったとは。

あの部屋に、ミノも行ったことがあるのだろうか。
あの布団の匂いを、吸ったことが。

はしたない詮索ではあるけれど、大事なところだ。その回答如何では、これからの立ち振舞いが変わってくる。これが終わってひと段落したら、とっちめて洗いざらい吐かせてやろう。

そう、これから。
これが終わったら。

そのための、今。

私は大きく息を吸い、脳に酸素を。目を見開き、覚醒を図る。

「大丈夫です。いけます」頷く。「兄様はいかがですか」
「うん」

先ほどから兄様は、スマートフォンの地図アプリを開き、ディスプレイに映る屋敷の全体像を鳥瞰している。

「あらためて、無駄に広い屋敷だなぁ」
「……うまくいくでしょうか」
「多分ね。手筈通り行こう」

気楽に答えているが、心許ない。兄様の力量を信じないわけではないが、それでも今回の『手筈』には無理がある。
しかし、この人を頼ると決めた以上、すべて委ねるほかない。「はい」と頷き、私は兄様と共に前を見た。

兄様は歩き出す。門の前まで、十メートルほどの距離を詰め、私と共に扉に肉薄する。そして斜め上、渋い趣を醸し出す門扉の隅、そこに設置された監査カメラに向け、手を振った。私の姿も画角に入るよう、気を配っているのがわかった。

「出てきてくれますかね」
「当主の血筋が来たんだ。無視はできないさ」

今頃中は大慌てだろうな、と場違いにも気の毒に思っていると、これも門扉の傍にあるインターフォンのような装置から事務的な声がした。

『お入りください』

知らない声。専担の要員がいるのだろうか。そもそもこのインターフォンを使うこと自体、初めてだ。

「ありがとう」

兄様は答え、私を見る。が、

『ただし、その女は叶いません』

音声が続いた。

「どうして?」
『理由はご存知の筈です』
「僕の連れだ」
『主のご意向ですので』

はぁ、と兄様は息を吐く。

「堅いことを言うなよ。忘れものをとりにきただけなんだ」軽い調子で。
『なりません』
「おい、三下」

兄様の声がワントーン下がる。

「あまり僕の機嫌を損ねるな。憂さ晴らしに中で暴れて、面倒ごとが増やしてやってもいいんだぜ」

音声の主はしばらく沈黙を保った後、『お入りください』とのみ応答。インターフォンが切れ、扉を開錠する電子音が鳴った。開いたのは門の左にある、通用口のような扉だ。ただの木戸に見えるこの扉が電子ロックされていることを、私は初めて知った。

「『三下』なんて初めて言ったよ」敷居を跨ぎながら、飄々と兄様。そして小さく付け加える。「次はセンゲが来るぞ」
「……はい」

兄様の言う通り、門を通り、母屋へ続く石畳の上、センゲが立っていた。記憶と変わらず黒スーツに身を包んでいるが、昨日はジャケットの前ボタンを閉めていたところ、今日は開け、心なしかネクタイも緩んでいた。

「よぉ、塩顔」

兄様が声をかける。

「来るな、と言わなかったか」センゲは返し、こちらを睨む。「昨日の今日だぞ。節操がないにも程がある」
「妹分の頼みだ。聞き流すわけにもいかないだろう」

チ。センゲは舌打ちをする。

「よく考えろ。この女の願いを聞いたところで、お前にはなんのメリットもない」
「そうだね」
「何を考えている」
「別に何も。成り行きだよ、成り行き」

センゲは突然、私に視線を向ける。下から上へ、全身をさっとなぞる様に見た。

「身を売ったか」
「心を打たれたんだよ」すぐさま兄様が返す。「発想がふしだらだな。もしかして欲求不満なのか」
「あぁ、不満だね」また兄様へ視線を。「さんざん根回ししてやって屋敷から遠ざけたお前が、肝心なところで出しゃばってきやがる。不満も不満。フラストレーションの塊だ」
「悪いとは思っているよ」
「なら帰れ」
「交渉がしたい」

交渉? センゲが片眉を上げる。

「どんな交渉だ」
「言えない。先に手持ちのカードをバラす馬鹿がいるかよ」
「ふん」鼻白むセンゲ。「ならば譲歩の余地はない。後で電話でもしてくるんだな」

どきり、と胸が疼く。動揺を悟られぬよう慎重に、私は兄様を見た。

「いいね、それ」

兄様は笑みを浮かべる。

「……何だと?」
「ウツシ、スマートフォンは持っているかい?」
「あ、はい」

私は端末を取り出した。さりげなく時刻を確認する。兄様はそれを見て、目で頷いた。

「僕は謁見の間にはいかない。ウツシ、お前一人で行け。僕は門の外に出て、そこからお前に電話をかける。スピーカーで通話を繋げ」

兄様はセンゲを見る。

「お前が懸念しているのは、僕が大父様と対峙して、七代目を祓うことだろう。この条件なら呑めるはずだ」
「屋敷のど真ん中で、軽々しく七代目の名を口にするな」凄みのある声で、センゲが言う。「ならば俺の端末を使え、と言いたいところだが、女。今は『言主』を言い聞かせるため自由を許しているが、事が済めば、恐らくお前を処分するよう、命が下る。むしろお前は屋敷に留まれ。わざわざ探す手間が省けていい」
「乱暴だねえ」
「提案に乗ってやっているんだぞ。いいのか、悪いのか、どちらなんだ」

いいよ。それでいこう。
兄様は言う。

「実のところ、ウツシの身の安全もまた、交渉に組み込むつもりだった。後は大父様と直談判といくさ」

ウツシ、それでいいかい? 兄様が私を見る。「はい」と私は頷いて、目を伏せた。どうにもこういう化かし合いは苦手だ。余計なことは喋らないに限る。

「じゃあ、大父様と面会できたら、電話をくれよ」

ひらりと手を振り、兄様は踵を返す。そのまま入ってきた通用口を通り、外へ出た。扉が閉まり、姿が見えなくなる。

「よくあいつを説得し、動かしたな」閉まった扉を見ながら、センゲが呟く。「面倒ごとは大嫌いな筈だぞ」
「私があの子……『言主』の彼女を友として救いたい。そうお伝えしたところ、動いてくださる運びとなりました」
「友、ね」
「あなたは、兄様と友人であったのですか」

無駄口は叩かない、と決めた矢先ではあったが、私は訊ねた。『友』という言葉が自分で口にしていてこそばゆく、誤魔化したい意味もあったが、もうひとつ、戦略的な意味もあった。
十五分。欲を言えば二十分は持たせて欲しい、と兄様からは言われている。時間を稼ぐ必要があった。

「俺はあいつのお守りだよ。友人などではない」センゲが答える。
「親しげに見えますが」
「そういう役目だ。あいつの懐に入り、思考を知る。意のままに動く傍ら、時に応じて洗脳する」
「洗脳……?」
「俺の得意分野だ。あいつには効かなかったがな」
「何のために洗脳するのですか」
「無論、一族のため」

そこではっとしたように目を見開き、センゲは私を睨む。一族を追われた身である私に、易々と内部事情を話してしまった。隙を見せてしまったことが腹立たしいのか、舌打ちをし、身を翻す。

「行くぞ。今日の貴様はただの仲介役だ。何も問うな、何も喋るな」
「あの子、『言主』も今、あなたに洗脳されているのですか」
「問うな、喋るな。聞こえなかったか」
「お答えください」

もはや時間稼ぎなどではない。これは聞いておかなければ。
センゲは顔だけこちらを振り返り、眉根を寄せて私を睨む。

「その最中だ」
「どのような状態です」
「見ればわかる」
「私の声が聞こえますか、意味がわかりますか」
「そもそもお前は喋らない」

これ以上相手はしない。そう態度で示すように、センゲは再び前を向き、母屋へ続く石畳を歩き始めた。

スマートフォンを取り出し、時刻を見る。まだ兄様と別れてから、数分しか経っていない。

不安要素をまたひとつ増やしつつ、それでも今は向かうしかない。向かうしかできない。
忠告通りに私は黙って、センゲの背をただただ追った。

謁見の間に通され、昨日とは違い、一人座って大父様を待った。静けさの中、この先の段取りを頭の中で反芻し、想定される流れを思い描く。あの子が自分を失う前に、何とか。そんな焦りの中で、ふと気づいた。

考えてみれば、あの子がこの場に同席する理由がない。現れるのは大父様だけで、あの子は別室でセンゲの言う洗脳を受け続ける。その可能性だってあるし、その可能性の方が高い。あの子の無事を確認できれば、との思いでいたが、今この場でそれが叶うとは限らない。

しかし、センゲは「見ればわかる」と言った。ということは、ここに来るということだろうか。だとしたら、今度は理由がわからない。私の前にわざわざ顔を出す、道理がない。

ひとり疑念を感じているうちに、奥手にある襖戸が開いた。昨日と同じ焦茶の着物に身を包んだ大父様。それに続き、見慣れた制服姿が現れる。

心臓が跳ねる。

あの子が一緒に来る理由が、果たしてあるかと訝った。しかし想像が足りなかった。用意されていた答えは、思い浮かべたどの想定よりも酷く、残虐だった。

目の前の彼女には、首輪がつけられ、大父様が握る鎖とそれは繋がれていた。口には猿轡。瞳には生気が無く、虚な表情で人形のように、大父様に従い歩みを進める。
制服姿でそれだ。見ようによっては不埒な装いにも映るであろうところ、しかし、そのようなエロティックな香りは微塵もしない。

そこにあるのは、暴力。
ただただ彼女を蹂躙する、不条理な力。

拳を握る。暴れ出したい衝動を、堪える。

「一日と経たずに戻ってくるとはな」
大父様が私を睨む。
「忙しない女だ」
「今回、この者は遣いです」
同じ襖戸から、続いて入ってきたセンゲが言う。大父様はそちらを見もせず、ふん、と鼻息荒く吐き捨てる。
「わかっておる。だが目障りだ。腹いせに心を折ってやらねば」

大父様は握った鎖を引っ張る。繋がれた彼女がそれに呼応し、バランスを崩して少しよろけた。

「私は此奴の自我を潰し、これから身体を乗っ取る」
「大父様」センゲの声。
「この女はいずれ始末する。娘も今は半睡状態。聞かれても構わん」言って、大父様は続ける。「洗脳は順調だ。しかし、自我が強い。時折目を覚ましては、生意気な口を利く。折檻をしたいところだが、直、私のものとなる身体だ。無闇なことはできん」
「……何故、鎖で?」私は問う。
「いつ目を覚まし、動き出し。そして屋敷の純血に『祝詞』を授け、私に歯向かうかわからん。この娘は狂犬だ。狂犬に首輪をつけ、監視するのは当然のこと」

また、鎖を引っ張る。今度は強く。弄ばれるように彼女がよろけ、足をもつれさせる。

「お止めください」
「貴様に止める資格はない」大父様が言う。「この娘は、お前の身を庇ってこうなった。すべてお前の弱さ故。お前が弱く、存在する故」

ざわり、と胸の中でざわめきが生まれる。

「これからどのように私がこの娘に取り憑くか、具に教えてやろうか。身体から身体へ移動するのだ、その媒体となる依代がいる。血液、体液。それらを体内に流し込み、同化を図るのが常」
「……そんな」
「いずれでも成し得ると言うならば、愉しめる方を選ぶのがよいだろう。何なら貴様の目の前で、それを成すのも一興だ」
「止めて!」
「控えろ、女」センゲ。
「お願い。止めて!」
「聞くに耐えぬか。だがこれも、貴様のせいだ。争う強さを持たず、守る強さを持たず、我を通す強さを持たず。弱い弱い弱い弱い貴様のせいだ」

真正面から目を見開き、攻め句を浴びせてくる。
不覚にも涙しそうになり、慌てて私は目を伏せる。

手が震える。

赦し難い悪行。度し難い怒り。
しかし、ここで私が暴れたとしても、何にもならない。
一矢報いる、その矢を持たない。

持っているのは。

「本日、私は兄様の遣いとして参りました」

奥歯を噛みながら、私は言う。

「聞いている」
大父様が言う。
「お繋ぎします」

スマートフォンを取り出し、電話をかけた。スピーカーのボタンを押すと、呼び出しの音が広間に響く。

「このまま折ってやっろうと思ったが。つまらぬ」大父様は鎖を手にしたまま、昨日と同じ位置に腰掛けた。繋がれた状態の彼女は少し離れた位置に立つ。可動域の狭い人形のように、無造作に足を開いた立ち姿。

ごめん。待っていて。

呼び出し音が途中で切れ、くぐもった音が数秒流れた。

『お待たせ致しました。大父様』

兄様の声。心細さが幾許か安らぐ。
しかし、

『お久しぶりでございます』

続く言葉がやや乱れ、息切れを思わせるものであることに気づく。
不安が広がり、鼓動が早くなる。

やはり、兄様でも無茶があるのか。

何か勘付かれていないか、それとなく大父様を見る。表情に変わりはない。
次にセンゲ。こちらも表情は変わらず。変化があったとすれば、兄様が応答したのを見て取り、昨日の立ち位置に移動したぐらいだ。座りはしない。いざとなれば、私を押さえ込みに駆け寄れる位置。つまり、私の動きを警戒している。

大丈夫。舞台は整いつつある。問題は、最後まで兄様が持つか。
スマートフォンから、兄様の音声が続く。

『大父様におかれましては益々……』
「挨拶はよい」忌々しげに、大父様。「交渉があるそうだな」
「はい」
「申してみよ」

展開が早い。私は思わず時計を確認した。約束の二十分まであと数分ある。
当初予定した段取りのうち、一体どれほどが済んでいるのか。一方で、兄様はあとどのぐらい耐えられるのか。
時間を稼ぎたいのか、巻きたいのか、どちらだ。状況がわからない。わからない以上、やはりここも委ねるしかない。

兄様。

『では、本題に』兄様は言う。『何でもこの度、『言主』様をお迎えになられたとか。私もそこにいるウツシから仔細に及ぶ報告を受け、その力の大きさに感嘆しております』
「それがどうした」
『『言主』から祝詞を授かれば、『アタワズ』をも祓える。これまで並の祓い師では届かなかった領域に、誰しもが踏み込める』
「だからこそ、憂慮しておる。力の制御が必要だ。お前の市場価値も揺るがしかねない」
『まさにそこです』
「何がだ」

息切れをしたのか、すう、と多めに息を吸い、兄様は続けた。

『今、私に課している縛り。祓いの利益の八割五分を一族に納める。その割合を減らしていただきたい』

大父様は一瞬黙る。口の端を引いて、表情を険しくした。

『私の代わりはいくらでも生み出せるでしょう。今後はそいつらで稼げば事足りる。そうなってくれば、おっしゃる通り、私の値打ちもガタ落ちだ。祓いの仕事の報酬も、今よりきっと目減りしていく。それでは暮らしが担保できない』
「祓いの値が壊れることは、一族にとっても痛手だ。故にそうならんよう、制御する。そのための同化だ」
『私の立場もお考えください。不測の事態を前に、確たる収入源を得ておきたい』
「ならぬ」
『ならぬと仰るならば、どうかご再考いただきたい。『言主』を迎えず、ウツシの身の安全の確保を。従来の環境であれば、私もこれまでと変わらず、売り上げをお納めいたします』
「更に、ならぬ、と言うのなら?」
『もはや一円たりとも、一族に金は回しません』
「おい」

センゲが割って入る。目が血走り、肩を怒らせている。

「調子に乗るなよ。次期当主であるはずのお前が、そうして自由を謳歌できているのは、誰のおかげだ。その対価としての上納を、拒否することは許されない」
『なんだ。いたのかお前』
「癇に障る奴だ」
『おいおい。平場で随分な口の利き方だな』
「忠告してやっているんだぞ。いいか、祓いの世界に身を置く以上、あくまで一族あってのお前だ。その恩義を忘れ、なお我儘を通すと言うのなら、もはや追放もあり得るぞ」
『お前こそ調子に乗るなよ。それを決めるのは大父様だ。一族最強、僕というカードを手放す度胸が果たしてあるのか』
「減らず口を……!」

ど、と大きな音が響き、私もセンゲもそちらを向く。
大父様が床に拳を突き立て、憤怒の表情を浮かべている。

「巫山戯おって。そもそも貴様との折衝に応じる理由がどこにある」
『理由ならあるでしょう』兄様は答える。『”あなたを祓いはしないこと”。僕がその不文の密約を守り続けている時点で、あなたには常に負い目があるはず』

そうだろう? "七代目”

煽るように、兄様。
それが引き金となった。

突然、唸るような音と共に、前方から空気の塊が襲ってくる。スマートフォンを持ったままの腕で、慌てて顔面を庇った。身体全体が押しやられ、足が滑り、後退する。
「大父様!」センゲの声。
腕の隙間から前を見る。大父様が立ち上がり、着物の裾をはためかせ、圧を剥き出しにこちらを睨んでいる。

「ここに来い、小童。顔を見せ、非礼を詫びろ」

大父様の口は開いていない。声も幾分、太く低い。
大父様、その心臓。そこに取り憑く七代目の声だ。

『あれ。行ってもよいのですか』
「数の利はこちらにある。捕らえさせ、手足を縛れば貴様など、ただ小煩い若僧だ」

また、一陣の風。押し寄せる圧がどんどん高まってくる。耳の横で囂々と音が。
まだか。スマートフォンを強く握る。まだなのか。
これ以上は、私が持たない。

『交渉決裂だね』

これからのものも、今までのものも。

すぅぅぅ、と溜まっていたものを吐き出すかのような、兄様の長い息。それが端末を通してノイズとなり、風が乱れる中で数秒続いた。

『ウツシ、待たせた。準備完了だ』
「準備?」反応したのは、センゲ。「何の準備だ」
『祓う』
「祓う?」
『そこにいる、”七代目”をだよ』
「世迷言を」まさにその七代目が反応し、鼻で笑う。「わかっておるぞ。先ほどから息が乱れておるところから、余程長い六辺で、祓いの図形を描く気でいるのだろう。が、しかし。いくら貴様とて、屋敷の外から何ができる。見えぬ位置から狙いを定め、届かぬ位置から壁を擦り抜け、無闇矢鱈に闇雲に、この私を光で祓うと?」

傲慢だ。
如何に天賦の才があろうとも、身の程というものがある。

『身の程、ね』兄様。『試してみますか』
「おい!」センゲ。
「やってみよ」七代目。

そして祝詞が始まる。

『一つ目は母のため。
 二つ目は父のため。
 三つ目は祖のため。
 四つ目は裔のため。
 五つ目は己のため』

ぴたり、と急に七代目から発せられる圧が消えた。怒りを剥き出しに猛っていた空気が、神経を研ぎ澄ます張り詰めたものに変わる。

『ウツシ』
「はい」
『衝撃に備えろ』

六つ目は君のため。

最後の文句が唱えられ、しばらくは無音だった。やがて地鳴りが聞こえ始め、床が振動する。すぐさま大きな揺れが来て、弾き飛ばされように身体が跳ねた。

一面が白い光に包まれる。

「……何だ」センゲの声。「おい、何をした!」
『『言主』について報告を受けた中で、最も僕の気を引いた事項は何か、わかるかい』

輝きを強める光の中、スマートフォンから兄様が告げる。

『『カタナシ』を祓ったことでも『アタワズ』を祓ったことでもない。三十六回祝詞を唱え、六角形で六角形を描く。その斬新な発想とそれがもたらした増長効果だ』

そんな手法があるのか、と目から鱗の思いだった。同時に、ひどく興味が湧いたよ。僕の出力でそれを実行すれば、どれほど巨大な図形になるか。

『下手をすれば、地図に載るレベルのそれが描ける』
「……まさかお前」
『インスピレーションだよ。六角形で六角形を、しかも空中でなく地表に描く。これは今回、使えると思った。いざ面と向かって祓おうにも、確かにさっき七代目が言ったみたく、手足を縛られちゃあ敵わない』

だから、敢えて外に出た。
この屋敷がすっぽり収まる、そんなサイズの六角形を地面に描き。

『屋敷ごと祓ってやることにした』
「この、出鱈目が……!!!」

地揺れは激しく、私たちの平衡を奪う。光は強さを増し、視界を白で埋め尽くす。

そう、出鱈目。

無茶だ無謀だ。この策を聞いたときは、私もそう思った。地図を頼りに、塀を周って、要所要所で六角形を打つ。計六つのそれを結んで、屋敷全体を覆う六角形を。そんな大それたことが、できるわけない。
光の保持に、どれだけの労力を要するか。『カタナシ』を祓おうとしたとき、私の力量では、一メートル四方の図形さえ祝詞が長く、点と点を繋ぎ切ることができなかった。色濃く残るその記憶が、兄様の案を夢物語と断じた。いくら出力が高いとは言え、五つの六角形を保ち、繋いだまま、描き切るなどできるわけがない。

しかし、最強。
まさに、最強。

さすがに息を切らしながらも、見事、六つのうち六つ目、最後の六角形の点を結び、こうしてすべての辺を繋いだ。

不安も懸念も一切不要。
これが、兄様の『身の程』。

「…………すごい」

目の前、七代目の身体が白い光に包まれていく。猛吹雪に霞んでいくように、目の前から消えていく。

祓う。
祓える。

しかし、

「母、父、祖、裔、己」

光の向こう、七代目の声。

「神」という言葉と、『ゲ』と吐く兄様の声が重なる。

目の前で白い光がさらに眩く光り、鋭い衝突音。これまでで一番強い風圧が、私の身体を吹き飛ばす。見えない獣に横殴りにされたような感覚。何が何だかわからず、悲鳴を上げる余裕さえ無い。体勢を整えることも叶わぬまま、床に半身を打ち付ける。
この光の中、スマートフォンを離せば見失う。痛みと恐怖に翻弄されながらも、必死に手の中の端末を掴んだ。

しかし、身を起こした直後、その一面の光がガラスのように罅割れ、砕けていく様を目前にする。
霧が晴れるように、光が散る。

そこからは、地獄。

「わざわざ種明かしをする辺りが、青い。おかげで対処が間に合ったぞ」

身を屈め、肩で息をしながらも、二本の脚で立つ大父様の身体。その息の切れ間から、嗄れた声帯を使って、言葉を吐く。

「六角形に対抗し得るのは、六角形のみ。この私が何代にも渡り、貴様等に教えてきたことだ」

そう。確かに純血はそう学ぶ。祓いの手法は数多あれど、一族が持つこの力は絶大。力及ばず、祓い切れないことはあったとしても、光そのものを消し去り、押し返すことはできない。
同じ六角形の祓い師が描く、六角形以外は。逆に言えば、同じ六角形であれば、それが可能。

つまり、相殺。

私の手が絶望で強張る。その手の中から、兄様の声。

『ウツシ』
「兄様……」
『あの子を守れ』
「え」
『急げ』

咄嗟に彼女を見る。散り散りになった光の向こう、その輝きに似つかわしくない、生気を灯さぬ薄暗い表情。

あの子を守る。
何から? どうやって?

「センゲ」今度は大父様でなく、七代目の声。「娘に血を飲ませろ」
「血?」
「この身体ではもう保たぬ」

私は視線を左に。床に手をついていたセンゲが一瞬目を見開き、そして彼もまた私を見た。

視線の交錯。

「やめ……」
『ウツシ、止めろ!』

真っ先に動いたのはセンゲ。大父様の身体に駆け寄り、その拳から垂れる鎖を掴んで、力一杯引き寄せる。彼女の身体が前のめりで近づいてくるのと同時並行で、大父様の手を掴み。胸元から銀色の刃物を取り出し、その掌を上を一閃。細かい赤が散る。

それら一連を、私は駆け寄りながら把握する。血に滲む掌がセンゲの右手に。左手であの子の髪が掴まれ。滴る血が彼女の顔へ。叫びを上げながら、その赤い中心に向け、身体ごと飛び込む。

衝突。どこに当たったかはわからない。遅れて、頬にぬめりとした感触。血か。つまり、手を弾いた。「他所者が」センゲの声。振り返ると、すぐさま腰を蹴られる。床に尻餅。顔を上げる。

「もっと血を出せ」
「お待ちを」
「待てぬ!」

大父様の腕が伸び、あの子の顎を強く掴んで。

その唇を、唇に当てる。

目一杯、顎を反らせたあの子の顔。それを抑え込むような大父様の顔。

取り憑くには依代がいる。
血液、そして体液。
唾液。

「……ぁ……あ……あああ……あっ……!!!」

やめろ、とも、嫌だ、とも、離れろ、とも言えない。ただ掠れた叫びを上げ、その悪夢のような情景を否定する。流し込まれるそれをあの子が嚥下する、その喉が揺れる様を目前にしながら、ただ座り込む。

ごめん。
ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん。

弱くて、ごめん。

大父様の身体が、突如として崩れ落ちる。萎んだ風船のように儚い動きで、頭から床に倒れ。代わりに、それまで人形のようだったあの子の身体が、むくと起き上がるように背筋を伸ばす。ぎこちない動きで右腕を持ち上げ、口元を拭う。

「さすがにすぐには馴染まぬか」

あの子の口は開いていない。聞こえるのは、七代目の声だけ。
虚だった瞳に、輝きが宿り。
奪われたばかり。否、奪ったばかりの唇を引き攣らせ。
その顔が決して見せぬはずの、愉悦の表情で私を見下ろす。

そして、口が開く。

「ようやく折れたか。弱小が」

これみよがしにあの子の声を使い、七代目はそう言った。


****************************************

この作品は、こちらの企画に参加しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?