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【短編】SEVENTH HEAVEN① -縫い目-

春と風を引き連れて、その子は私の前に現れた。

すなわち、出会いと変革。

紆余曲折と悲喜交々を経て、念願とも言うべき高校生活を手に入れた私だったが、しかし待っていたのは孤立と虚脱だった。

真新しい制服に身を包み、近代的なガラス張りの校舎へ踏み入ってはみたものの、中にいたのは良くも悪くも、ただの『子供』であった。里にいた同年代と比べ、姿形は幾分垢抜け、立ち振る舞いもこなれた風である一方、本質的な部分は変わらず、むしろより幼なげな印象を受けた。

稚拙で。未熟で。視野が狭い。

一般的な入学時の年齢より二つほど歳を重ねているため、余計にそう感じたのかもしれない。初日から、アメーバのように集団を形成しては離れていく彼女たちは、浮き足立って落ち着きがなく、ひどく頼りない存在に映った。
自分を支える軸がなく、何かしら拠り所が無いと立ってはいられない。見つけたと思い身を寄せては、やっぱり違うと次へ行く。

探して、試して、諦めて。

おそらく、『生き方』なのだろうと思う。

純血か混血か、はたまたそれ以外である血を持たぬ者か。私を含め、祓いに関わる里の子たちは、それらで大方の人生が決定する。探すことも試すことも諦めることも叶わず、祓い師として、世話役として、通じ人として、幼い頃から未来予想図を刷り込まれ、出来合いのアイデンティティを埋め込まれている。

自分がどのように生き、死んでいくか。筋書きを既に知っている。
それがこの学校にいる彼女等と、私たちとの決定的な違い。

まだ見ぬログラインを意識し、知りたいと願い、逸る気持ちで模索する。私たちが経験し得ないそのモラトリアムこそ、世間一般において、同年代が通過すべき洗礼なのだろう。そう悟った時点で、私の高校生活は意味や意義を失った。

もし、ここが『生き方』を見つけるための場所ならば。
私にとっては無用の世界だ。

元々遠くに感じていた周囲との間に、確たる隔たりを感じるようになり、私は教室内での居場所を見失った。誰とも交わらず、交わろうとせず。話しかけてくる子もいるにはいたが、果たして彼女たちと通じ合うポイントが自分にあるのか、あるとすれば何なのか。それがわからず臆病になり、自ずと殻に閉じこもるようになった。
そんな私の態度を「見下している」と受け取ったか、上級生から呼び出され、言いがかりをつけられたりもした。詳細は割愛するが、彼女らを返り討ちにしたこと、その過程で明かした、私が他の同級生より歳上であるという事実が広まり、ますます私は孤立を深めた。

出会いの季節である、春。
その温もりや香りを一切感じぬまま、私の四月は過ぎていっ

「ショーちゃん! 起きて! 富士山! 富士山!」
「………………」

いや、回想に耽っているところなのだけれど。

「起きた? 早くこっち来て。富士山っ! 写真撮ろうよ、イェーイ」

強引に窓際の席へと引き寄せられ、掲げたスマートフォンの自撮りにフレームインさせられる。シャッター音。すぐさま戻ろうと身を起こすも「待って、私半目! もっかい!」と再び引っ張られ。しかし二度目の背景に富士山はいない。

「あー、もう! 撮り損ねたぁ。ショーちゃんが暢気に寝てるから初動が遅れたぁ」

決して寝ていたわけではなく隣でしきりに話しかけてくるあなたに正直ついて行けず身を守るため狸寝入りを決め込んでいただけなのだけれど、そんなことは勿論言わない。「悪かったわね」と代わりに謝る。

「悪いよ。大罪だよ」
「帰りにまた撮りましょう」

言ってやると、子犬が尻尾を振るかのごとく、鼻息荒く目を輝かせる。やばい。帰りの切符、ちゃんと富士山側の座席になっているだろうか。もし違ったら盛大にぶーぶー言われるやつだ、これ。後で確認しておこう。

さて。

打ち切られた回想の続きもさることながら、まずは状況の説明が必要だろう。

私たちは今、新幹線の車内にいる。二人がけのD・E席。富士山が見えることからおわかりの通り、本州を大きく横切る東海道、それを東から西へとなぞるものだ。
向かう先は、私の実家。今住む街から片道五時間の距離にある山奥。当初、夏休みに赴く予定であったところ、実家側の要請により、突如として時期が早まった。

用向きは、ひとつ。
大父様に怒られにいく。

……駄目だ、言葉にするだけで、胃に鉛玉でも詰め込まれたかのよう。気の重さが実際の質量となって襲いかかり、顔が下を向く。

「ショーちゃん、ポッキー食べる? 私めっちゃ小刻みに食べれるよ、見てて」

唐突にビーバーのように高速で前歯を動かし、ヂグヂグとポッキーを咀嚼し始める隣人。

五月蝿いなぁ。悲しいくらい五月蝿いなぁ。

「あなたね。緊張とかしないわけ?」
「えーするよ。だってバチバチに怒られに行くんでしょう」
「まぁ、多分ね」

もちろんのこと、『お説教をするからこちらまで来なさい』と呼び出されたわけではない。表向きは『言主』様とのご挨拶であり、儀礼めいた色を纏っている。

しかし、

① 済ませなくてはならない儀式を蔑ろにしたタイミングで呼び出され、
② 祓ってはいけない『アタワズ』を祓ったタイミングでその時期を早められた。

これがお説教でなくて何だと言うのか。

しかも今回、大父様自らが出てくるという異例ぶりである。一族の長。年始の集いでお姿を見かけるかどうか、というレベルの大人物。そこまでのキャスティングがなされていながら、ただ説教だけで済むとは思えない。何らかの制裁、ペナルティが課される可能性が高い。

やはり、退学だろうか。

それを思うと鉛が詰まった胃に、今度は穴が空きそうになる。

もともと『アタワズ』の動向を視察する名目で許可を勝ち取った進学だ。その『アタワズ』自体を祓ってしまった今、その許しが覆されることは十分にあり得る。一族側とて、私がそれを切望していたことは承知の筈。領分を侵し、禁を犯した私に対する罰としては、理に適った内容だろう。

「……はぁ」

思わずため息をついてしまった。
慌てて横を向くと、隣の彼女はポッキーの先端を唇から出し、きょとんと目を丸くしている。

「いや、ごめん」顔を逸らす。「ちょっと憂鬱で」

ふと、膝に置いた手の上に、温もりが降り立った。見ると、掌が重ねられ、柔らかく私の拳を包んでいる。

手の主を見る。

「だーいじょうぶだよ、ショーちゃん。始まるものはいずれ終わるんだから。ちょっとの間耐えれば、後はショーちゃん家でバカンス三昧だよ」
「だから、あなたは何でそんなに……」
「そうだ。私、ご実家にめちゃくちゃ美味しいお菓子買って来たんだよ。ミルフィユメゾンだよ。お母さんと銀座で買ったんだよ。何なら今開ける? 二箱あるから」
「いや、いい」
「あとね、夜食べるお菓子も持ってきた。ショーちゃん家、周りにコンビニとか無さそうだったから。ハッピーターンもあるよ。名前がいいよね、『ハッピーターン』。幸せへの転換だよ。超絶ポジティブ。怒られてる間、苦しくなったら、心の中でハッピーターン、って唱えようよ」
「わかったわかった」

怒涛のように喋りかけてくる間も、ずっと掌は私の拳に。汗ばみながらも冷え切っていた指先に、温もりが伝播してくる。

「だからショーちゃん」こちらを見る目にも、熱が。「今は一緒にポッキーを食べよう」

言ってようやく手を離し、細長い一本を箱から抜いて、私の口元へ差し向けてくる。

目線を合わせるだけの、無言の攻防。

「………………はぁ」

どうにもこの子の、こういう押しに弱い。あの日、美術室で『ニャー』と言わされた瞬間から、ずっとこうだ。抗えど抗い切れない。従わないと、ぎゃあぎゃあ騒いでかえって面倒なことになりそうで、つい楽な方を選んでしまう。

選ぶ自分を、許容してしまう。

目の前には、差し出されたポッキーの先端。せめてもの抵抗をと、それをそのまま咥えることはせず、私は持ち手の部分を奪い取り、ぱきりと音を立てて齧ってみせる。

「にへへ。美味しい?」
「にやにやしないで」

確かにこの子の言う通り、私は暢気だったのかもしれない。
一度諦めた出会いの季節。それを遅ればせながらに運んできたこの子は、しかし温もり、香りを感じさせる間も無く、突風のように私を乱し、私を変える。すでに数ヶ月を共にした今もなお、この身はその風に巻き込まれている真っ最中だ。

春と風の回想になど、耽っている余裕はまだない。

窓の外を見る。七月の空は燦然と輝き、遠くに見える山々を緑に照らす。

「ねぇ」
「何? お代わりいる?」

振り向くと、今見た太陽に負けじと、大きな目を光らせた顔。私はまたため息をつき、胃に溜まった鉛を吐き出してから、その顔に問うた。

「ミルフィユメゾン、って何?」

百聞は一見に如かず、と用意されたうち一箱を私たちは車内で開封し。
舌鼓を打ち、もう一箱は今夜私の実家で、と我慢を誓う。

どうせならば二箱とも食べていればよかったかもしれない。

先に結論を言っておく。

その日、二箱目を私たちが揃って開けることは、無い。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。


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