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【短編】羊頭狗肉マーメイド

ありがとう、と誰に御礼を言えばいいものか。

天に御坐す神様か。この世に生を授けてくれた母親か。齢十五に至るまで、僅かながらの善行を重ね、密かに徳を積んできた私自身か。

ショーちゃんに、お昼に誘われた。

四時限目終了のチャイムが鳴り、いそいそと教科書類を机に仕舞って、お弁当をカバンから取り出しいざぼっち飯、というところで、教室の入り口からただならぬオーラを察知。まさかと思い目を向けると、マイエンジェルたるショーちゃんが首を巡らせ、そこここでランチグループを形成する面々から何かを見つけ出そうと、レーダー探知を試みている。そして私と目が合った。

STEP1  ショーちゃんが手にぶら下げたコンビニ袋を持ち上げる
STEP2  ショーちゃんが無言のまま、人差し指を自分と私、交互に向ける
STEP3  私、猛ダッシュ

「ねぇ、お昼? お昼食べよう、って意味? 今から一緒にランチタイムって解釈で相違ない!?」
「そうだけど……マズかった?」
「万難を排して馳せ参じます!」

再びダッシュでお弁当と水筒を取りに戻る。
拝啓、お母さん。いつもお昼を作ってくれてありがとう。昨日の残りものとか冷食の唐揚げとか春巻きとか結構入っているけれど、とても美味しくいただいております。お喜びください。この度、晴れてあなたのお弁当が、ミシュラン三つ星に勝るご馳走へと進化を遂げることに相成りました。暑くなって参りましたので、お身体にはご自愛ください。かしこ。

「よし、行こう。どこで食べる? 屋上行く?」
「いや、そんなに鼻息荒くされても……」

ちょっと話があるの。くるりとターンして廊下を進むショーちゃんに、尻尾を振って私はついていく。

ショーちゃんは隣のクラスの女の子で、一言で言えば女神だ。最強の顔面を顔面に携えながらも、他の追随を許さない神秘オーラで周りを寄せ付けず、孤高のスクールライフをお送り遊ばされているS級美少女。あと祓い師。
目立った取り柄のない、平々凡々たる私のような者がお近づきになれる対象ではないところ、この春ふとしたきっかけ(霊とバトった)を経て、斯様に言葉を交わす間柄となるに至っている。

ちなみにショーちゃんの本名には『ショー』の音がないことがその際発覚したけれど、私は変わらず『ショーちゃん』と呼び続けている。なんと言うか、私が彼女を『ショーちゃん』と呼びその距離を縮めていったあのどぎまぎした時間を、呼び名を本名へとクラスチェンジすることで無かったことにしくないな、という思い。ショーちゃんも「お好きに」とのことなので、甘えさせていただいている。

「ここにしよう」と随分歩いた先で立ち止まり、ショーちゃんは見るからに空き教室と思しき部屋の扉を開けた。中を覗くと想像通り、今は使われていない装いで、薄暗く、壁際の棚に雑多なものが置かれている物置部屋だった。

真ん中にあるテーブルをウエットティッシュで軽く拭いて、私たちは昼食を広げた。進化を遂げた私のお弁当に対して、ショーちゃんはなんとカロリーメイト(チョコレート味)一箱という潔さだった。

え、カロリーメイト食べればこんな可愛くなれんの。グロスで買う。

突如、神の食べものであることが判明した黄色い箱をまじまじ見ながら、私は自分のお弁当の蓋を開ける。うん、美味しい。お母さんありがとう。

「あなたのことを、家に報告した」

カロリーメイトの包装をピリピリ破りながら、ショーちゃんが言う。

「え、お家の人に? なんて?」

友達ができた、とかだろうか。だとしたら嬉しくて泣いちゃう。

「『カタナシ』は本来、私単独で祓える類の霊じゃない。でも、あなたの指示通りに六角形を六角形で作り、祝詞を唱えたら、祓えた。しかもあんな滅茶苦茶な祝詞で」ちょっと悔しそうな顔で、カロリーメイトを齧るショーちゃん。何か食べているところを初めて見た。超可愛い。「はっきり言って、これは異常事態。革命とすら呼んでいい。すぐさま本家に情報が共有され、対応が検討された」

本家? 対応?

「……なんか、物々しいね」
「そういう家なの」

ショーちゃんの家は代々続く祓い師の家系で、その業界ではちょっと有名な一族であるらしい。その中でも血を濃く引き継いだショーちゃんのような人は、六角形を宙に描いて霊を祓うことができる。

心霊だのオカルトだのにとんと縁がない日々を送ってきた私だけれど、ショーちゃんと知り合ってからと言うもの、不思議とそれらしいものが視えるようになった。ショーちゃんに言わせれば、それは私が中学時代に一度病気で死にかけたことに起因するもので、ショーちゃんと出会うことでその変化が加速しただけのことらしいけれど、とりあえず視える。なんだったら声も聴こえる。

霊というものが、意外と身近に存在するありふれた事象であることを、ここ最近になって私は知った。自由に浮遊しているもの、ひと所に留まっているもの、態様はさまざまだが、とにかく、いる。一度認識したら次第に目につき始め、今や私の家から学校まで、一時間足らずの通学路においてすら、片手では数え切れぬほどの霊を認めるに至っている。

怖くはない。ただ今まで気づかなかったものに、気がつくようになっただけだ。
向こうから危害を加えてくることはなく、ただ通り過ぎる中で「いるな」と感じる。普段、道ゆく通行人にわざわざ話しかけることがないように、私から霊にアプローチすることも皆無。互いに没交渉の状態であり、生活になんら支障は出ていない。

だが、祓い師となると話は違う。

彼ら彼女らは人間であり、かつ没交渉とはいかない。積極的に霊に関わり、その存在に干渉する。らしい。祓い師なるものの存在をショーちゃんを通じてしか知り得ないため、偏った見方かもしれない。ただ、ショーちゃんの一族は間違いなく、そうだ。
斯様な連中が私のことを槍玉に挙げ、その対応について検討中とあらば、私の平穏に影が差すことは必須。その動向については、目を皿にして見極めなくてはならない。

「結論から言うと」カロリーメイトを飲み込み、ショーちゃんは言う。「あなたは『言主』の可能性がある、という話になった」
「ことぬし……?」

もののけ姫でそんな名前のやついたな。なんだっけ、イノシシみたいなやつ。

「祝詞を定める者。それを私たちの一族は、『言主』と呼ぶ」

イノシシじゃなかった。

「百年に一度ほどしか現れない、稀有な存在。でも予兆はあった。一度は本家を追いやられた兄様が、祝詞を変えた途端に企画外の力を発動した。六角形の力を余すことなく使うには、新たな祝詞が要される。そう囁かれていたところだった」

言葉は移ろう。
穢れを祓い、罪を清める、六つの光。
その繋がりを祝う言の葉もまた然り。

「移ろった結果『ニャーニャーニャー』で祝ってたけど……」
「言わないで。恥ずかしい」

氷の目。こわい。
ショーちゃんはゆるゆると頭を振る。

「実はそこも話のネックになっているところなの。あんな出鱈目な祝詞で祓えたのは、一体何故か」

今回のイレギュラーはふたつある。
六角形で六角形を描いたこと。
祝詞が変わったこと。

「力の弱い私が『カタナシ』を祓えたのは、どちらのイレギュラーによるものか。前者が無関係の場合、原因は祝詞。たとえ出鱈目であろうとも、『言主』は思いのままにそれを定める力を持つ。あなたはそれである可能性が高い」

思いのまま。
『言主』。
まだ全貌を把握できてはいないが、私がそれであるならば、つまりは、ショーちゃんの口から発せられる言葉を自在に決められるということか。

おいおい。

「涎が止まんないぜ」
「涎?」
「しまった。心の声が」
「何を考えているか知らないけれど、次変なこと言わせたら一生恨むわよ」
「え、『一生』?」
「ときめくな」

とにかく、あなたは私たち一族にとって無視できない存在になった。

「悪いけれど、いくつか協力してもらいたいのよ」

言って、ショーちゃんはコンビニ袋からペットボトルを取り出す。水。軟水かな硬水かな。蓋を開け、軽く傾け、上品に一口。やだもうCMみたい。

「聞いてる?」
「え、あ、うん」答える。「それで、私は何をすればいいの」
「まずはあなたが『言主』であることを確認させて欲しい」
「どうやって?」
「霊を祓う。あなたの決めた言葉で」

カロリーメイト二本目を取り出し。
そしてショーちゃんは、私に訊ねた。

「今日の放課後、空いている? ちょっと付き合って欲しいのだけれど」

パンパカパーン。
頭上で天使が喇叭を吹く。紙吹雪が舞い、地面は彩り豊かなお花畑に。

今、なんつった?
放課後? 付き合う?

「行ける?」

歓喜に打ち震えるあまり言葉が出ず、ぶんぶん首を縦に振りOKの意を示す私。

落ち着け。声出していこう。

「行く! 行く行く!絶対行く!!」
「じゃあ、よろしく。迎えに行く」
「正座で待ってる!」
「いや、普通に待っていて」

迎えに行く。待っていて。
なんと甘美な響きだろうか。

お弁当に口をつける。三つ星に進化を遂げたはずの品々は、私の味覚に軽くジャブを打ちながらも、呆気なく噛み砕かれ、嚥下されていく。
お母さんごめんなさい。味がしません。

放課後デート。
しかも、ショーちゃんと。

どうする? プリ撮っちゃう? ずっ友とか書いちゃう?

来たるべきアフターファイブに向け、シミュレーションを組み立てる私であったが、その記念すべき初デートがよもや初喧嘩も含むイベントであろうとは、このときはまだ知る由もなかった。


学内で合流しそのまま繁華街へ、ひとまずは軽くお茶してそれから……と想像を膨らませていた私だが、校門をくぐり数歩歩いたところで、易々とそのプランは打ち砕かれた。

門の脇に一台のタクシーが横付けされており、フロントには『迎車』の文字。何かしらん、と目をやったところ、ショーちゃんがそちらへすたすた向かっていく。傍に立つ運転手の男性に声をかけると、待ってましたとばかりに開けられるドア。ショーちゃんは中に入らず、振り向き「乗って」と促してきた。

思うてたんとちゃう。

後部座席でショーちゃんと並びながら、あっれーおっかしいぞーっ、な気分でいるけれど、しかしショーちゃんは構ってくれない。すでに行き先は告げているのか無言で発車、流れる景色。遊びたかった繁華街を抜け、その先へとイグニッション。

学校引けてから遊びに行くのにタクる女子高生、いる?
いやいるだろうけど、少なくとも一般的ではない。
でもまあ、仕方ないか。ショーちゃんは、一般的な女子高生とは一味も二味も違う企画外だ。

美少女で、歳上で、祓い師で。

「ねぇ」ふと気にかかり、私は訊ねた。「ショーちゃんは、なんで高校に通おう、って思ったの?」

意表を突いた質問だったか、それまで窓の外を見つめていたショーちゃんは、こちらを向き、切れ長の目をぱちくりとさせた。

「あ、いや。お家の事情とか考えると、すんごい住む世界が違う感じがしちゃって。そんなショーちゃんがわざわざ普通の学校に通うのって、特に意味……っていうか、メリット? ってないんじゃないかな、って。しかもその……一年か二年、遅れたタイミングで入学してきているわけでしょう。そこまでしてどうして、って思っちゃったり」

うーむ。うまく伝えられない。ただ理由を知りたいだけで、ショーちゃんがここにいてくれることを否定したいわけではないのだが、その辺のニュアンスがちゃんと出ただろうか。

ショーちゃんはしばらく考える素振り。そして前を向き、フロントガラスを睨みつけるような横顔を見せた。

「視察」
「え?」
「とある霊が、あの学校の近辺に縛られているの。強力で、容易く関わることは禁じられている。その霊が、ここ最近変調を見せた」

呪いに変わるかもしれない。低い声で、囁くように。
「私は言わば尖兵よ。不審な動きがないか視察し、定期的に報告を上げる。そのために、生徒として送り込まれた」

うむ。さらりと呪いとか尖兵とかデンジャラスなワードがトッピングされておるの。一般人が踏み込めぬ深淵を覗いてしまったようじゃ。

そうやって意味がわかりきらない部分を無理矢理納得させようとしたところ、

「というのは建前」ショーちゃんは目を閉じ、ふ、と息を吐いた。「もちろん、視察任務は請け負っているけれど、『送り込まれた』というわけではない。私は自分から志願して、あの高校に入学した」
「え、そうなの?」
「ただ視察をするだけならば、別に学校の生徒になる必要はないわよ」ショーちゃんは私を見て、苦笑いをする。「高校に行きたいと私が申し出た。別に禁止されているわけではないけれど、義務教育を終えた純血の者が、任に就かず進学することが、あまり良しとされない風潮があるの。視察の話は、上を納得させるためのアリバイのようなもの」

ほえぇ、と嘆息する私。
学校へ行くためにアリバイが必要だなんて。

「大変なんだね」
「まぁ。私の場合は、一度は進学しない道を選んだから尚のこと、というのもあった」
「どうして、そこまでして……?」

訊ねると、ショーちゃんは一瞬、ここにはいない誰かを眺めるような眼差しを見せた。

「外の世界を見るため」
「外?」
「ある人に言われたの。一族以外の世界に触れた方がいい、って」

聞けば、ショーちゃんが通った小中学校は一族が属する集落にあるもので、そこでは自分が祓いの血を持つことが当たり前に許容されていた。言わば身内の延長線上にあるコミュニティ。家の門を出た先にある、唯一の外界ですらそういう環境だった、とのこと。

そしてその集落に、高校はない。

「祓い師がいることが普通ではない世界。それを知って学ぶべきだ、って」
「ふうん」

私は頷く。
なんだか、人間に憧れる人魚みたいな言い方だ。確かにショーちゃんは人魚並みの浮世離れ感はあるけれど、どうだろう。私たちの住む世界はそんなに違うものなのだろうか。

「どう? 二ヶ月近く通ってみて」
私は訊ねてみる。
「そうね。まだ何とも、というところ」
目線を上にやり、ショーちゃん。「あぁ、でも」とまた私の方を向く。

そして初めてその顔に、「苦」のつかぬ純粋な笑顔を浮かべて、言った。

「私を"ショーちゃん"と呼ぶ人に会ったのは、あなたが初めて」

車が左折する。その遠心力にやられるまでもなく、私はドアの方へと仰け反りそうになる。

ずっきゅん。

やばいやばい今のはやばい笑顔でそれは破壊力やばい!

当のショーちゃんはとうに元のクールビューティーに戻って「もうすぐ着くわ」とかなんとか言っているけど、私の心臓はバックバクでそれどころではない。今、聴力検査されたら自分の鼓動の音で何にも聞こえない自信がある。天にも昇る夢心地。

やっべーな。『言主』なんかいなくても、その笑顔で祓えんじゃね?

「着いた」

車が止まる。我に返って外を見ると、町中にある小さな公園が見えた。どこだここ、そう言えば随分走ったな、と思いメーターをチェックする。

九千円超。
え、もしかして途中高速乗った?

「どどどどどうしよう、ショーちゃん」
「大丈夫。経費だから」

ショーちゃんを見ると、鞄から小さなメモ帳のようなものを取り出している。魔法の紙、タクシーチケット。そいつにさらさら数字を書きつけ、ピリリと千切って運転手に手渡す。

うん、やっぱ人魚だわ。住む世界が違う。

二人とも車を出て、タクシーは走り去る。「帰りも送るから、安心して」。さらりと言って、ショーちゃんは公園へと踏み込んでいく。中には砂場に滑り台、あとはブランコ。右手奥にはトイレがあり、それらを取っ払えれば、バトミントンが楽しめる程度の広さだ。夕方の時間帯、近くに小学校もあるようだが、今は遊んでいる子供はいない。

「どうして、ここに?」
「霊がいる」
「学校の近くにもいるよ」
「祓ってもいい霊」ショーちゃんは言う。「私には、契約締結の権利は与えられていない。一族が契約を済ませ、許しを得た霊しか祓えないの」

そう言えば、前もそんなことを言っていた。

「契約って?」
「請負契約」

要は、祓う代わりにお金を貰うのよ。私たちはそれで生活している、とのこと。

「いたわ」

公園の隅、トイレに隠れ、入り口からは死角にあったベンチ。そこに座る女性を前に、ショーちゃんと私は歩みを止める。二十代半ばぐらいか。ロングヘアで、ベージュのコートを羽織り、どこか脱力した様子で宙を眺めている。

なるほど、確かに霊だ。

姿形は生身の人間と変わらないが、どことなく存在感が希薄で、のっぺりとした空気を纏っている。光の織りなす印影が周囲のものとやや違い、そして何より音がしない。呼吸の音。衣擦れの音。生きていれば自ずと空気を震わす筈のそれらが、ミュートをかけたように消え去っている。否、元より発生しない。

視線を感じたのか、女性の霊は緩慢な動きで私たちの方を向いた。

「……え、視えてる……?」

女性の声。何故だかこれは聴こえる。以前はノイズ混じりだったが、耳が慣れてしまったのか、今やクリアにくっきりと。

まじまじと見られることがめずらしいのだろう、女性は半信半疑といった様子だ。ショーちゃんが何も言わないので、「はい、視えています」と私が告げると、いそいそと髪を直し、居住まいを正し始めた。その慌てようが人間らしく、いや、この人も人間だったんだよな、と思い直す。

泣き腫らしたように腫れぼったい目。悲壮を感じさせる窶れた頬。現実世界の気候とは不釣り合いのベージュのコートが、この女性の時間が悲しみのまま止まっていることを物語っている。

死んでも死に切れない。

一度『それ』に瀕したことのある私には、その気持ちが痛いほどわかる。生の終わりを前に襲ってくる、途方もない後悔。命が尽きた後も、消えぬほどの無念。その強さたるや、案外、縛られる霊の方が多いのではないか、と思えてくるほどだ。

この人も、きっとそう。消化しきれぬ想いを抱え、昇華されずにここにいる。

一体、何が。

「じゃあ、祓おう」
「え?」

ショーちゃんの声に顔を向けると、いつぞやのようにリボンを外し、首にかけた数珠を引っ張り出している。

「ちょ……ショーちゃん?」
「今度は六角形で六角形を描くことはしない。あなたの祝詞の力だけで、私があのサイズの図形を描けるかを試してみる。それができたなら、おそらくあなたは『言主』よ」
「いや、でも……」
「気負うことはないわ。あの時みたいに、思いついた言葉を言ってご覧なさい。きっとそれが、そのまま祝詞に……」
「そうじゃなくって!!」

思わず大きな声が出た。ショーちゃんは面食らったように、私を見る。

「あ、いや、ごめん。でも私たち、まだこの人と何にも話してない」

ショーちゃんは数珠を片手に、怪訝な顔をして、私を見る。

「話す必要があるのかしら」
「必要って……もし祓ったら、ここからいなくなっちゃうんでしょう。こんな悲しい顔してここにいるのに、有無を言わさず消されちゃうんだよ」
「思いを成就させて祓えるならば、他の術師がとうにやっている。そうでないから、うちの一族に話が回ってきたの」
「でも、だからって……!」
「あのね」

ショーちゃんの口調が険しくなる。

「私たちは仕事として、これをやっているの。この霊のためじゃない。最終的にこいつを祓えれば、手段はどうでも構わないのよ」

かっちーん。
おいおい美少女。そいつは横暴だぞ。

「ちょっと待って。じゃあ、この人が浮かばれない思いを抱えたまま、この間の霊みたいに消えてもいい、っていうの?」
「あなただって、この間は、それをよしとしていたじゃない」
「あれは殺されるところだったからだよ。あとなんか腕が伸びて暴走してたし。でも、この人とはまだ対話の余地があるでしょう」
「だから、対話する意味が無いんだって」

意味がない、ですと?

おいおいおいおいおいおいおいおいおい。まったくもって暴君じゃないか。私は激怒した。かの暴君……えーっと、なんだったか、思い出せないけれど、とりあえずこれは走れメロス案件だ。

「意味がない?」私、猛ダッシュ。「なんでそんなことが言えるのよ」
「仕事なの。何度も言わせないで」
「その仕事って、自分で選んだ仕事?」
「はぁ?」
「お家から言われて、無理矢理にやらされているんじゃないの。ショーちゃん自身が納得して、誇りを持ってやっている仕事なの?」
「ちょっと……いきなり何の話よ」
「ショーちゃんが祓い師をやりたくてやってんのか、って聞いてるの!」

怒鳴っちゃった。だけど止まらない。ショーちゃんもまた、私を鋭く睨みつけてくる。

「家業なの。家系なの。私がやりたいかどうかなんて、関係がないの」
「ショーちゃんは、それでいいの?」
「いや、ちょっと待って。話が」
「それでいいか不安になったから、学校に通おうと思ったんじゃないの!?」

ショーちゃんが何か言いかけて、しかし押し黙る。

「それは……」
「確かめたかったんでしょう。このままずっと同じ世界にいていいか、他の世界には何があるのか。じゃあ、私の話も聞いてみてよ。今持ってる常識だけで突き進もうとしないで」
「……わかったような口を利かないで。私たちが背負っているものを、あなたには理解できない」
「だぁかぁらぁ! そうやってシャットダウンすんな、って言ってんの! このわからずや!」
「わからずやぁ?」
「それでいいなら、それで済ますなら、一生、人魚やっていればいいじゃない! 見せかけだけで、何にも受け入れる気がない。そんな社会科見学なら、とっとと元の世界に帰ればいいじゃん!」
「え、ちょっと待って。人魚って何」

私は、ずん、とショーちゃんに近寄り、その端正な顔に自分の怒り顔を突きつける。

「出逢ったの! 私たちは! それを無意味なものにすんな!!」

真っ直ぐ、目を見る。ショーちゃんも何も言わず、私の目を見つめ返してくる。
数秒、お互い何も言わずに互いの胸中を探り合うような間があった。

「とにかく。この人の話をちゃんと聞こう」私は目線を切り、ベンチに座る女性を指差す。「そうでないなら、祝詞、だっけ? それはこの間みたいに恥ずかしいやつにするから。ショーちゃんの初恋の人の名前とか叫んでもらうから」
「はぁ?」
「いい、わかった!?」
「あぁ、もう……」ショーちゃんは数珠を持った手を額に当て、眉間に皺を寄せる。「わかったわよ。聞けばいいんでしょ、聞けば」

うむ。よろしい。私は頷いて、女性へと向き直る。変わらず、戸惑いを帯びた視線が私たちを撫でる。
私は一歩踏み出し、ショーちゃんと女性の間に入った。

「お待たせしました。セリヌンティウス」
「セリヌンティウス?」
「この人のこと」
「東洋人に見えるけど」
「お名前は」
「いや、セリヌンティウスじゃないの?」

本当に見えているのね。何年振りかしら。

ようやく事態を受け入れてくれたのか、女性は呟き、髪を耳にかけて私を見た。

「アケミと言います」

あ、良かった。いい人そう。

「こんにちはアケミさん。アケミさんはここに縛られて、どれくらい経つんですか」
「さぁ、わかりません。随分長い気がするけれど」
「そうですか。長く留まるに足る、何かお辛いことがあったのだと思います。よかったら事情をお話願えませんか」
「……あなたたちに?」
「はい。私たち、しがない女子高生ですが、お話いただくだけで何か気が晴れることがあるかもしれません」

アケミは「ふ」と笑って目線を下に。「そうね、聞いてもらおうかしら」と垂れてきた髪をまた耳にかけた。

「実は、好きな人がいました」
「素敵なことじゃないですか。どんな方ですか」
「義理の兄です」
「…………」

え、重。

お昼ラジオの人生相談ぐらいの気構えで挑んでいたのに、こいつはちょっと時間帯が違う。ディレクターがハガキの選別をミスっている。

どうしよう。しがない女子高生で何か返せるものがあるだろうか。
助けを求め、ショーちゃんを振り返るけれど、気難しい顔でじっとアケミを見つめているだけ。何も話す気はないらしい。

これ以上は放送事故だ。何か会話を続けなくては。

「……えーっと、義理のお兄さん?」
「はい。姉の夫です」
「その方を、好きに」
「なってしまいました」アケミは頷く。「一目惚れでした。家に挨拶にきた時から、もう好きだった。私、小さい時からずっとお兄ちゃんが欲しかったんです。優しくて、かっこよくて、私を守ってくれる強いお兄ちゃん。そんな理想の男性像に、あの人はぴったりでした」
「ナルホドーソウデシタカー」
「ようやく姉がいなくなって、あの人が一人になった後も、その思いは変わりませんでした」

ん? お姉さんいなくなった?
『ようやく』?

「親族ではなくなってからも、あの人はとても優しくて。私の相談にも、親身になって接してくれて……想いは膨らんでいく一方で……」

ちょっと待って。お姉さんなんでいなくなったの。怖い怖い怖い怖い。

「意を決して、抱いて欲しい、と迫ったんです。でも断られてしまいました」

いや畳み掛けないで。降参です。私が悪かったです。もう止めて。

「あんなに勇気を出したのに。兄と妹という関係、それまで培った絆を全部捨てても構わない。それぐらいの覚悟で挑んだというのに。あの人はにべもなく、どこか誤魔化すように去っていった。それが悔しくて、辛くて……私…………」

アケミは肩を震わせ、嗚咽を漏らし始める。

やっべぇ調子に乗ってすげえパンドラ開けちまったわこれ。一介の女子高生DJじゃ回しきれない。ていうかこの人もよく一介の女子高生にこんな話しようと思ったな。まぁ訊いたのは私だけれど。

えーっと、どうしよう。

途方に暮れていると、私の後ろからショーちゃんが進み出てきた。そしてアケミの前にしゃがみ込み、覗くように彼女を見上げる。

「その義理のお兄さんには、きちんとあなたの想いは伝えたんですか」

まさかのショーちゃん参戦。

「はい。伝えました」
「一時の感情や気の迷いではなく、人生を捧げる覚悟であることも、相手には伝わっていたはず?」
「そう……思います」
「それでも、断られた。どころか誤魔化された」
「……はい」また咽び始めるアケミ。「もう、惨めで、悔しくって……あんなに愛しかったあの人が、殺したいほど憎らしく思えるほど……でも、それでも」
「やっぱり好きでいてしまう」
「…………はい」
「わかります」

嘘。わかるの? ショーちゃん。
すげえな。

「……………………『わかります』?」
「え?」

一瞬にして空気が変わるのがわかった。
ショーちゃんが素早く飛び退き、アケミから距離を取る。それまでベンチに腰掛けたままだったアケミは、ゆらゆらと炎がゆらめく速度で立ち上がった。「離れて」。ショーちゃんが私に向け、短く告げる。

アケミは目を見開き、低い声で続ける。

「いやいやいやいやいやいやいや、あなたにわかるわけないでしょう。何言っちゃってんの、本当。ねぇ」

ショーちゃんが数珠を構える。

「あなたみたいな顔のいい女に、わかるわけないわよ。あんなに綺麗な姉を持つ私の気持ちなんか、一ミリたりともわからない。あの人もきっと、私の顔が姉に見劣りするから、私を抱く気になれなかったんだわ。身体はほぼ一緒で何だったら私の方が若いんだからそれしかないわよ。顔なのよ所詮顔」

綺麗になりたい。もはや低すぎて掠れた声で、アケミが吐く。

「可愛くなりたい美しくなりたい。ううん、違う。綺麗に生まれたかった可愛く生まれたかった美しく生まれたかった。同じDNAで出来上がっているはずなのに、こんなに差があるなんて不公平よ。美貌に愛嬌。 元々それを持って生まれ持ったあんたみたいな人間が、羨ましくて仕方がない!」

突如、足元で砂嵐が舞う。アケミが放つ刺々しいオーラに、まるで呼応するかのよう。

あー。心の中で、私。
なんか途中から話が変わっているけれど、何ならこっちの方なら、私としては共感できる。
成程、そうなんですね。カタコトじゃなく、頷ける気が。

「ねぇ」ショーちゃんが、数珠を構えたまま言う。「祝詞。早く」
「いやぁ、でも……」
「わかるでしょう。もう話し合いが通じる状態じゃない!」
「そうなんだけどさ」私は言う。「なんか、私わかるなーって」
「はぁ?」
「だってほら。ショーちゃんといるとさ、自分もこの子みたいに可愛かったらなぁ、っていつも思うもん。私は『推し』としてその感情を昇華しているけれど、もし今後ショーちゃんが恋敵になったのなら、こうやって恨み辛みを抱いても、まぁ、仕方がない部分もあるかな、っていうか」
「ちょっと待って。何の話?」
「いや、だからショーちゃんが可愛くって……」
「知らないわよ、そんなの。早く祝詞を……」
「知らない? え、ちょっと待って。ショーちゃん、自分が美少女である自覚ないの? せめてそこは自認しておいて欲しいところなんだけれど」
「それどころじゃない、って話をしているの!!!」

いやいや待って。そこは待って。ここはアケミさんサイドだわ、私。引いては全国の可愛いに悩む女の子サイド。

私はアケミの巻き起こす砂嵐に立ち向かい、彼女へと近づく。ショーちゃんの制止する声も無視。ベンチの前でアケミの傍らに立ち、振り返ってショーちゃんを見た。

「『私は美少女です』」
「……は?」
「祝詞。思いついたものなら何でもいいんだよね」

ちょっと待って、信じられない。口の端をわなわなさせながら、ショーちゃん。そんな崩れた表情すら絵になるのだから、もう今回はこれしかない。

「もっと他にあるでしょう」
「ありませーん」
「真面目にやって頂戴」
「大真面目です」

あなたが持っているものを、羨んで仕方がない人が沢山いること。
せめてそこには、自覚を抱いて。

「ちゃんと気持ちを込めて六回唱えてね。はい、スタート」

パン、と私は手を叩く。ショーちゃんは悔しそうに奥歯を噛み、「祓えなかったら覚えていなさい」と数珠を持ち上げ、左手の指を二本揃えた。

そして点を打つ。

「私は美少女です。
 私は美少女です。
 私は美少女です。
 私は美少女です。
 私は美少女です。
 私は美少女です」

今回は三十六回ではない。その六分の一。
にも関わらず空中に、前回と同様、巨大な光る六角形ができ上がる。

「できた……。と言うことは、やっぱりあなた……」

『言主』。

自分の生み出した光を見つめて、ショーちゃんは呟く。
そして驚いた顔を苦渋に歪め、吐き捨てるようにこう言った。

「……最悪」

あああああああああああああああああああああああああああ!!!!
私の真横で、アケミが咆哮する。光る六角形がみるみるうちに迫ってくる。

「何、その光。私を消すの? ねぇ。ブスは消していいって言いたいの? 調子にのってんじゃないわよ!美人だからって何でも許されるとか思ってんのぉ!?」
「いやいや、そういうわけじゃないんですよ」片目を瞑り、眩さを堪えながら、隣のアケミに私は告げる。「ショーちゃんはショーちゃんで色々大変なんです、って」
「何よ。何が大変なのよ。どうしてこんなことするのよ!」

光る六角形がアケミに触れたのを見てとり、私は彼女の真正面へと移動した。

結局この人を救えなかった。無理矢理祓う形になった。
でも、これだけはわかって欲しい。

「ごめんなさい。これ、ショーちゃんのお仕事なの」

美人にも悩みはあるよ。
そう付け加えようとしたけれど、光は瞬く間にアケミを包み込み、呆気なくその姿を露へと変えた。

公園に静寂が戻る。

さーて。

恐る恐る振り返ると、ショーちゃんがむすりとした顔で、じっとりと粘性の高い視線を私に向けていた。

「あなたねぇ」
「……ごめんなさい。調子に乗りました」

ショーちゃんは息を吸い込み、何か言いかけるけれど、それは力無いため息に変わって、宙に溶ける。

「もういいわ、色々言いたいことはあるけれど、今日は疲れた。タクシー呼んで、早いところ帰りましょう」

どうやら御慈悲をいただいたらしい。
ありがたやありがたや。心の中で女神を拝む。

いや、もう女神でもないか。

「ねぇ、ショーちゃん」
「何」
「プリクラ撮って帰らない?」
「あなた本当、どういう神経してんの?」

また今度ね。
そう言って、ショーちゃんはスマートフォンでタクシーを呼ぶ。

「えへへ。ありがとう」

人魚を気取っていた同級生に、私は笑って御礼を言った。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。


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