【掌編】若輩アリス、新橋にて。
「飲みに行きましょう」と国見さんに誘われ、新橋に来ている。
対面の二人席。店内は僕ら同様、仕事帰りのサラリーマンで賑わっていた。
「では」
お通しと共に運ばれたビールジョッキを掲げ、国見さんが乾杯を促す。慌てて自分の分を持ち上げ、お疲れさまです、とそれを合わせた。
国見さんは、この春の異動先にいた古株だ。若輩者の僕なので、総括課長として部を切り盛りする彼から、何かにつけフォローを受けている。が、こうして飲みに誘われたのは、初めてのことだ。
「どうですか、最近は」
最初の一口もそこそこに、国見さんは訊ねてきた。
このタイミングで誘われたなら、話題はひとつ。
「やっぱり、兎野原さんが大変ですね」
答えると、「ですよねぇ」と国見さんは苦笑してみせた。
兎野原は新入りの女性社員で、一言で言うと、鼻っ柱の強いタイプだ。雑用ひとつとっても「どうして私が」、「意味ありますか」と素直に引き受けない。自然、周囲から腫れ物扱いされ、孤立しがちである。
歳も近いため、声をかけるようにしているのだが、とりつく島もない。極め付けは今日。「もう構ってもらわなくて結構です。暇なんですか」と、皆の面前で拒絶されてしまった。
「一体どうすればいいか……課長、名案はありませんか」
ちらりと国見さんを見ると、ややしかめ面で、
「まず、あなたはどうしたいんですか」
訊ね返された。
「いや、えっと」まずい、何か癇に障ったか。「態度が悪いのは、注意すべきかと。けど、それで臍を曲げられて、今日みたく部の雰囲気まで悪くなるのは……」
「彼女個人への指導より、部の雰囲気が大事だと」
「あ、いや。そういうわけじゃ……」
国見さんは更に顔を顰める。僕の兎野原への指導が弱い、と言いたいのだろう。
「すみません、力不足で」
目線を下げ、ろくに口をつけていないビールを見る。
誘ってもらえた時は、何か有効なアドバイスをもらえるものと期待した。しかし、今日のテーマは、不甲斐ない僕への叱咤激励であるようだ。
「本当に、課長にはご迷惑を……」
敵わない、と早々に白旗を上げようとしたところ、
「違います」
不意に遮られた。
「有栖川部長。どうか私の顔色を伺うのは止めてください」
顔を上げる。
国見さんの真っ直ぐな目。
「確かにあなたはまだ若い。でもこの部の長は、あなたなんです。私の反応を鏡にして、あるべき部長像を映し出すことはない。あなたが自分で考え、決めてください」
全力でお支えしますよ。
落ち着きながらも力強い声に、あたたかなものが胸に広がる。
「ありがとうございます」
キャリア組のお飾りと揶揄され、自信を無くしていたこと。国見さんの言う通りにしておけば、と甘えた思考に陥っていたこと。
それらを看破した上で、なおも僕を『部長』と呼んでくれている。
敵わない。
でも敵う必要はない。
この人は、味方だ。
僕はようやく手元のビールを煽る。
お、いけますね。国見さんも頷き、同じようにジョッキを持ち上げた。
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