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【短編】SHINONOME〈5〉⑤

榊が素早い動きでテーブルを回り、私の傍で脚を折ってしゃがみ込む。
その体勢のまま強引に、ジャージのポケットからスマートフォンを引き抜いた。

着信の震えは止まない。

榊はディスプレイを一瞥した後、私にそれを向ける。苦しい姿勢のまま、目線をそちらへ。080から始まる数字の羅列が視界に入る。

「知っている番号ですか」
「いいえ」
「出てください」

有無を言わさず通話ボタンが押され、ようやくバイブレーションが止まった。榊はスピーカーのボタンを押し、スマートフォンをテーブルに置く。

「……もしもし」

そう口にするより前に、空気で相手を確信した。

『あ、さらさ? 僕です。シノノメだよー』

場違いに間延びした声。
こちらは屈強な男に身体を押さえつけられていると言うのに、呑気なものだ。

「連絡は非通知から、じゃなかったんですか」
『うん。ちょっと立て込んでいてね。これは急遽、そこらの中高生から奪った端末』
「犯罪ですね」
『終わったら交番に届けるよ』

思わず、ふ、と息が漏れた。
いつもの丁々発止に、緊迫感が和らぐ。

『それより、どう? 無事にお家に帰れた?』
「帰れました」
『上々。変なやつから連絡来たりはない?』
「ありました」
『え、マジ?』
「今、その方の事務所にいます」
『事務所?』
「横から失礼します。はじめまして、シノノメさん」

急に声が割って入る。目の前のソファに座り直した榊が、再び脚を組むのが見えた。

『……誰、君?』

シノノメのトーンは変わらない。

「榊信也と申します。本日、銀座でお会いする予定だった者ですが、約束の時間になってもお越しいただけないので、助手である瀧本さんにご相談させていただいておりました」
『ふうん』

むふう、と電話の向こうで息を吐く音が聞こえる。

『おーい、さらさ。何、捕まってんだよ』
「申し訳ありません」
「捕まった、だなんてとんでもない。瀧本さんには、自発的にご協力いただいております」
『自発的になってんじゃねえぞ』
「申し訳ありません」

あっはっは。榊が張りのある声で笑った。「随分と仲良しでいらっしゃる。微笑ましいです」言って、前のめりになり、スマートフォンに口を近づける。「シノノメさん。大変お手数ですが、今からお伝えする住所までご足労いただけませんでしょうか。瀧本さんと共にお待ちしております」

慇懃な口調で言ってのける榊。
だが、

『えー、嫌だ』

シノノメの返答に、言葉を詰まらせる。

「嫌、とは?」
『今、こっちも用があって移動中なんだよね。遠いところを友達に車出してもらって、ようやく目的地に着きそうなの。今から行き先を変えるなんて、面倒臭くてできないよ』
「しかし、瀧本さんもお待ちですよ」
『知らないよー、そんなの。さらさが自発的にそこにいるんでしょ』
「それはそうですが」
『折角、お小遣いまであげて撒かせてあげたのにさ。僕、怒ってるんだからね。十万返せ、ばーか』

予想外の反応だったのか、榊はしばし口をつぐんだように黙る。

「瀧本さん。貴女からもお願いしてもらえませんか」
「……待機するだけ、との協力条件の筈ですが」

捻られている腕の角度が上がる。鋭い痛みに、思わず呻き声が出た。

「シノノメさんが来ないと、貴女もお困りになるのではないでしょうか」榊は私の顔を覗き込む。細い目が見開かれている。「どうか、お願いいたします」

奥歯を噛んで痛みをやり過ごし、私はスマートフォンを見る。

「シノノメさん」
『なにー?』
「来ていただかなくて結構です」

榊だけでなく、シノノメもまた、息を止めたように黙った。

私は続ける。

「お越しになった場合、あなたは私に対し能力を行使するよう、強要されます。そして恐らく、その強要自体が今回の目的」私は目線を榊に向ける。「“シノノメは《オーダー》の力を失っていないか“。その真偽を確かめるつもりかと」

榊の瞳が僅かに揺れるのが見て取れた。

「加えて言えば、ここにいる連中に、それ以上の目的があるようには見受けられません。単なる情報収集が彼らの仕事。その情報を利用しようとしている誰かが別にいて、そこからの依頼を受け動いているに過ぎない。つまり」

榊を睨みながら、私は言う。

「下請けの三流です。あなたが相手をする必要はない」

頭部に衝撃。そのままテーブルに打ちつけられる。コーヒーカップが跳ねるけたたましい音がした。不覚にも悲鳴が漏れる。

「シノノメさん、今からその端末にショートメールを送ります。そこに書かれた住所でお待ちしています」

榊の指が通話を切り、スマートフォンを取り上げる。いくつか画面を操作した気配の後、荒々しくそれをテーブルに戻す。

「腕を折りますか」

背後から私を押さえつけている男が、初めて声を発した。

「それはシノノメが来てからでないと意味がない」鼻息荒く、榊が答える。「顔を」

今度は後ろ向きの重力を感じ、上半身が持ち上がる。背中が反り、弓形のような格好で、私は榊の顔を正面に迎える。

「お見事ですよ。瀧本さらささん」

苛立ち混じりの声。

「ご明察の通り、我々はある勢力から作業をアウトソーシングされ動いています。作業内容も貴女の言った通り。”シノノメ”の能力である《催眠音声》、その実効性の確認だ」
「地味な仕事ですね」
「そうでもありませんよ」

怒りをやり過ごすように、強く息を吐き、榊はソファの周りを歩き始めた。

「”シノノメが能力を使えない”。貴女にはわからないかもしれないが、この事実により、大きく変わるパワーバランスがあるのです」

三つ巴、と言うのですかね。
語りながら、榊はソファの向こう側へ。

「我々の業界では、大きく三つの勢力が存在します。今回、私達に業務を委託した勢力もそのひとつ。そこは”シノノメ”のような異能を飼ってはいないが、それらと渡り合うだけの組織力がある。そうやって各々が力を持つことで、均衡を保っているのです」

まぁ、”シノノメ”が属しているのは、『勢力』と表現するにはやや毛色が異なりますが。注釈のように付け加え、榊は続ける。

「およそ二年。最後に”シノノメ”が《催眠音声》を行使したことが確認されてから、それだけのブランクが存在している。数ある異能の中でも、”シノノメ”が使うのは”声”だ。声なんて、声帯の変化と共に容易く変わり得る。つまり、いつ能力が使えなくなってもおかしくない。そこに来て、二年の空白。”シノノメは既に能力を失っている”。その推察に確証が加われば、それはもう均衡を崩す上で、いや、崩れた均衡の中、他勢力を出し抜く上で、最も有力なカードだ」

一気に捲し立て、榊はまた私へと近づいてきた。人差し指を折り曲げ、その側面を私の顎に当てる。

「情報というのはね、瀧本さん。”その情報を持っているか否か”も含めて情報なのですよ。我々がシノノメに対し《催眠音声》の試験を促し、その結果を確認した。結果だけでなく、その事実すら秘密裡に守り通さなくてはならない。それが貴女のせいで台無しです」

”シノノメ”に、こちらがそのカードを欲しがっている、と勘付かれてしまった。

「この時点で、カードの価値は半減。いやはやお見事です」

榊の指が弾かれ、私の頭が揺れる。

「あぁ、なんだか腹が立ってきましたね」また息を吐き、榊。「やっぱり、腕、折るか」

背後の男が息を吸う。やばい、と思うも束の間、右肩にかかっていた手が外され、左の二の腕へ。握力だけで、既に先程の何倍もの痛み。それが徐々に大きくなる。目を瞑り、衝撃に備える。

インターフォンが鳴ったのは、そのタイミングだった。

榊の掌がこちらに向けられ、男の動きが止まる。連中が無言で顔を見合わせ、階段前で立っていた男が頷き、盆を持ったまま一階へと降りる。

「いやに早いな」榊が呟く。

階下でドアを開閉する音。それからしばらく、静寂が続く。
ほどなくして、階段を登る足音が近付いてきた。

繰り返しになるが、この二階フロアには廊下も壁もない。剥き出しの階段口から、足音の主の姿が、徐々に露わになる。
黒いパーカーに金の髪。白いマスクに小柄な体躯。

「こんばんはー。お邪魔します」

シノノメは言って、私を見る。そして怪訝そうに首を傾げ、訊ねてきた。

「あれ、さらさ。なんでジャージなんか着てんの?」

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