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【掌編】いわゆるキュン死だ、この野郎。


初夏を聴く。そして、くたばる。
いわゆるキュン死だ、この野郎。

女子高生に希少価値があると言うのなら、私は既にその三分のニを浪費したわけだけれど、とは言え残りを何にベットしてよいのかもわからず、今日もこうして自習室に座る。

窓際の一席。乾いた風に、カーテンが揺れる。アリバイ的にノートと参考書を広げてはいるが、ろくにペンなど動かしてはいない。人影がまばらなのをいいことに、音漏れ上等の爆音をヘッドフォンから垂れ流す。

高校三年、五月。
世に言う『青春』の最中にいるのだろうが、しかし、私のスクールライフに春めいた要素はまるでない。
分かち合う友情も、心ときめく恋愛も、打ち込む趣味も、追う夢も。

確か『青春』とは、五行思想の言葉だったか。春の次は『朱夏』、人生の盛りを示す赤い夏が来る。
それで言うと、受験勉強も本格化し始めた今の私は、さながらこの気候と同じ、初夏の装いか。

もうすぐ春が終わる。生きている限り、応募者全員サービスでついてくる、"若さ"という特権。そいつをさして有効活用できぬまま、私はこれから人生の夏を迎える。

これでいいのだろうか。
こんなものなのだろうか。

鼓膜を震わすギターソロに、はっと現実に戻る。
そろそろ参考書に向き合わなければ。机に寝かせていたシャープペンシルを手に取り、いざ、というところ、正面に黒い影が現れた。

「わ」

入学したての一年生だろうか。目の前に、小柄な男の子が立っていた。切り揃えた黒髪に、大きめのブレザーが、初々しい。

もじもじとしながら、男の子は私を窺う。首を傾げてみせると、バツが悪そうに人差し指を私の足元へと向けた。

椅子を引き、指先のベクトルを辿ると、足のつま先周辺に消しゴムがひとつ。なるほど。男の子がどこに座っていたかは知らないが、何かの拍子で落としたこいつが、弾み、転がり、ここまで来てしまったのだろう。

どうぞ、と男の子に向け、手を広げる。座ったままだと、私のポジションでは届きづらい。目の前にいる彼に、自ら取ってもらった方が早い。

しかし、男の子はなおももじもじとした様子で、胸の前、まるで見えない直方体を左右の手で挟み、横にスライドさせるようなジェスチャーを見せた。

なんだろう。眉を顰めるが、男の子は必死でジェスチャーを繰り返す。そもそもなんでジェスチャーなんだ。不思議に思ったところで、自分が爆音ヘッドフォンを装着していることに思考が至った。

「ごめん。何?」

ヘッドフォンを外し訊ねると、男の子は「あ、あの……」緊張した面持ちになり「あしを……」消え入りそうな声で言う。

「脚を……ずらしてください」
「え、なんで」

男の子の顔が真っ赤に染まる。
そして残る力を振り絞るように、続けた。

「み、見えちゃうからぁ……」

……あぁ、はいはい。

私は女子高生で、ここは学校の自習室。シチュエーション的に制服を着用しており、しかもいくらか腰の布地を折っている。男の子がこのまましゃがむと、否応無しに私の生脚が、さらにはその奥にあるスカートの中が目に入らないとも限らない。

「はい、どうぞ」

ご要望通り脚をずらすと、男の子はそそくさと消しゴムを拾い、頭を下げて去っていく。

なんだ、今の。

不意に意識がクリアになり、聴覚が冴え渡る。それまで爆音で塞いでいた耳に、様々な音が飛び込んでくる。
外したヘッドフォンから、漏れ出るドラム。校庭に響く運動部のかけ声。揺れるカーテン。走るペン。

高鳴る、自分の心臓の音。

なんだ、今の。
殺人的に可愛いじゃないか。

数十秒前までのアンニュイさはどこへやら。ただ消しゴムを拾っただけの男の子に、それまでの私がじわじわ打ちのめされていくのがわかる。

ヘッドフォンのボリュームをゼロへ。
心臓は、なおも五月蝿い。

私に訪れた初夏を聴く。
胸の痛みに、ひとりくたばる。

いわゆるキュン死だ、この野郎。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。




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