【掌編】ロストシティ待ちぼうけ
りんご箱というのだろうか。板を貼り合わせただけ、今にも朽ち果てそうな古ぼけた木箱に、君は座って待っている。
「ここで集合と約束したんです」
丘の上からの眺望は広い。かつて災害がつけた傷痕を、見るものが見れば感じさせる程にまで和らげ、復興した街並み。目を細め、それを眺めながら、君は言う。
「引越してきてすぐ、家族三人で近所を散策しよう、と足を伸ばして。娘がこの丘に登りたい、と言って聞かないものだから、車で来ればよかったなんて妻と愚痴り合い。当時から見晴らしは最高で、まるで秘密基地を見つけたような気分でした。だから言ったんです」
何かあったときは、ここを我が家の集合場所にしよう。
「まさかその『何か』が、一週間も経たないうちに来るとは思いませんでした」
指の腹を額に当て、君は少し俯く。
「大変な災害でした。その日は平日で、仕事の最中にそれは起きた。しかし、私はその瞬間を体験していません。遠く離れた出張先でそれを知ったんです」
輻輳する情報の中、まさに自分の住む街が渦中にあることを知りました。
新幹線に飛び乗ろうとしましたが、交通網も麻痺しており、辿り着けないことは明白でした。
「何十回と電話をかけました。けれど繋がらなかった。気が気でない中、出張先で数日を過ごしました。ようやく帰れたときにはもう、街は変わり果てていました」
妻と娘の安否は、今もわかっていません。
「大切な家族も、買ったばかりの家も、これからの未来も。何もかもがいきなり目の前から消え去って、私は途方にくれました。自分は何のために生きてきたのか、何のために生きていくのか。答えのない問いに取り憑かれ、そのうち、この命にも意味などないのでは、と思うようになりました」
額に当てた指をスライドさせ、掌をぺたりとそこにつける。その体勢のまま、動かなくなる。
「君の死因は?」
それまで黙って話を聞いていた僕は、ひとつ質問を投げかけた。
「自分でもよくわかっていません。土地を離れ、仕事も休み。自暴自棄になり、酒に溺れる日々でした。最後の記憶も、酔っていたのか曖昧で」
薄ぼんやりとした君の全身を見る。目立った外傷はない。身を投げたり首を吊ったりは無さそうだった。
「私を祓いに来たんですよね」
僕の右手、掴んでいる数珠を見て、君は言う。
「今までにも何人か来ました。この丘に石碑を建てるんでしょう。確かに当時、ここからの写真はよく撮られた。うってつけの場所かもしれませんね」
そこまでわかっているなら話が早い。とはきっと行かないのだろう。そうでなければ、今なお君がここにいる理由がない。
「後生です」古びた木箱に腰掛けたまま、君は頭を下げる。「どうか、ここで家族を待たせてはくれませんか。誰にも危害は加えません。ただ大人しく、待つだけです」
顔を上げた君は、歯を食いしばり何かを堪えるような表情をしている。
「死んだ後、しばらく現とあの世をさまよう間に、ここを思い出しました。いざと言うときの集合場所。家族で決めた約束の丘。あそこに行けばもしかして、三人揃って合流できるかもしれない。そう思うと同時に、私のカラダは此処にたどり着いていました」
以来、ずっとこうして待ち続けています。
首を巡らせ、再び街並みを眺めながら、君は言う。
「もう十年以上時が経っていますが、変わらずずっと待ちぼうけです。私だって馬鹿じゃない。二人が来ないかもしれないことぐらい、頭ではわかっている。後は心が納得するだけ。きっともう少しで気が晴れます。どうかそれまで、そっとしておいてくださいませんか」
「他の祓い師たちも、それで納得して帰っていった?」
僕は問う。
「はい。無害であることをご理解いただき、立ち去っていきました」
「ふぅん」
僕は君への距離を一歩詰める。君と君の座るりんご箱まで、一メートルにも満たない距離に立つ。
「確かに、そこに座っているだけならば、現世に危害を加える恐れはないね。せいぜい勘のいい誰かが、人の気配を感じるくらいだ」
「はい。ありがとうございます」
「でも祓うよ」
「え?」
僕はノーモーションで脚を振り上げ、
君の下にある木箱を蹴飛ばした。
「え? え?」
すでに朽ちかけていたそれは辺り一面に木端を散らし、割れ口は刺々しく、人が座れば拷問器具に成り得るほどの壊れぶりとなった。体重を乗せていた君は、しかしその実霊体だから体重なんてものはなく、ただ座った気になっているだけであったため、あたかも空気椅子を続けているような格好で固まっている。
戸惑いを露わにしたまま硬直する顔に向け、僕は数珠を突き出す。
「君を襲った悲劇については、心の底から気の毒だと思う。悲しみに暮れ、失望のうちに命を失ったことについても同情を禁じ得ない。君のように非業の死を遂げた者に対し鞭を打つような真似は、無粋で不謹慎であるとタブー視されている。死人に口なし、死んだ者を悪く言うな、とね」
でも、こうして死者と相見えることができる、僕の価値観はそれとは違う。
「ずっとここで待っている。災害から十年を過ぎた今日この日まで。なるほどその年月の長さは、君の悲しみが深く、愛情が強いものであることを示す証左だろう」
呆けたような顔に向け、僕は一度、数珠を振ってみせる。
君の目線がようやく僕から、差し出されたそれへと向く。
「けど一方で、君は知っているはずだ。死者の魂はしばし彷徨う。君はここに辿り着いたけれど、行き場が分からず浮遊霊となる例もある」
君の家族がいまだどこかを彷徨っている。
あるいは、違う場所で地縛霊となっている。
その可能性を考えたことはないか。
「無いとは言わせないよ。なにせ、十年もそこにいるんだ。あらゆる可能性を考えて然るべきだし、それができなきゃただの阿呆だ」
君の顔がみるみるうちに歪んでいく。「なんですか。何が言いたいんですか、あなた」。空気椅子の態勢のまま、唾を飛ばして僕を睨む。
「はっきり言ってやろうか」睨み返して、僕。「いつまでも待っていないで、探しに行けよ。薄鈍が」
一拍の間を空けて、割れんばかりの金切り声が響いた。発信元はもちろん君だ。半狂乱になり、縦横斜めに頭を強く振り乱している。気に当てられたか、先ほど蹴飛ばした木箱の破片が、ポップコーンのように爆ぜて弾ける。
「なんにも知らないくせに! 私がどんな傷を負ったか、どんな悲しみに暮れたか、なんにも知らないくせに!!!」
木屑が破裂し飛び散る中、君は言う。
「さっきも言ったろう。生前の君には心底同情する。深くお悔やみ申し上げるよ。しかし、死後の君の行いに限って言えば、実に怠慢極まりない」
「怠慢!? 私の十年間が、怠慢?」
「今一度問うよ。君の家族がまだ成仏せず、浮遊霊、地縛霊となっている可能性。それを考えたことは?」
「ないわけではない。だが確証など持てるわけもない」
「試してみようとは思わなかった?」
「行き違いになったら、どうする。待ち合わせ場所はここなんだ!」
「だからここで待っている」
「そうだ」
「十年も? 一度も動かず?」
君は口籠り、ただ鬼のような形相で息を荒くしている。
僕は続ける。
「要するに、疲れたんだろう。面倒臭くなったんだろう。だからそこに座ってばかりで、一歩も動きはしなかった。未曾有の大災害。度重なった不運。誰も責められぬほどの悲劇を盾に、被害者面して地縛霊ポジションに甘んじていた」
「違う、違」
「結局君は家族に会いたいんじゃない。単純に休みたかっただけなのでは?」
「違ぁあああう!!!」
一際大きな音を立て、木っ葉が砕け散る。
しかしその後、動きは治まり、しんとした静けさが丘の上に残った。
「会いたい……会いたいんだ……」
溢すようにそう言って、君は涙を流し、懇願するような目で僕を見つめる。
その顔に向け、僕は右手の数珠を掲げ、もう片方で宙に点を打つ。
「一つ目は母のため。
二つ目は父のため。
三つ目は祖のため。
四つ目は裔のため。
五つ目は己のため。」
五つの点は光輝き、それぞれを繋ぐ線を結ぶ。
僕は奥にいる君を見た。
「おい」
「へ?」
「座ったまま祓われるつもりかい」
目の前の光に恍惚とした様子の君は、僕の言葉を受け、はっと我に帰ったようになる。そして小さく頷き、手の膝の上に置いて、ゆっくりと腰を上げていく。
君の脚と背筋が伸び切ったのを見てとって、僕は最後の点を打った。
「行ってらっしゃい。六つ目は君のため」
光る六角形が空中を移動し、君と同化し、君を散らす。
残ったのは、見晴らしのよい景色と、壊れて誰も座れぬりんご箱だけだった。
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