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【短編】SHINONOME〈5.5〉②

滝沢幾馬と東雲紫陽、それから喫茶【Allegro】に、一原力也の名も出てきたか。

これら固有名詞について語り始めると、それだけでまた別の物語になってしまうであろうため、ここではばっさり割愛する。というか俺も、俺が関わった案件しか具には語れない。そもそもこいつらがどうやって出会い何をしてきたか、みたいな諸々の事情は、まぁ多少なりとも聞かされているけれど、説明がややこしくて難しい。

故に割愛。ショートカット。

まぁ何となく雰囲気で押さえておいて欲しいのは、滝沢さんというのが俺たちの親玉で、俺も東雲もあの人には頭が上がらなくて、こうして時折頼みごとをされる立場である、ということ。
そしてその頼みごとは往々にして無茶振りかつ厄介ごとの類であり、今日俺たちに下りてきたそれも、なかなかの難易度を誇るタスクであるということだ。

「ゲロめんどー」

マクドナルドのテーブル席、その一面を占拠するように突っ伏して、東雲は吐き出す。
すんでのところで倒れそうになった二人分のシェイクを、俺は両手で持ち上げる。間近に迫った東雲の頭頂部を睨みながら「それはこっちの台詞ですよ」と言い返した。

「滝沢さんの言っていた通り、今回のって東雲先輩の不始末っスよね。まったく関係ないのに、巻き込まれた俺の身にもなってください」
「別にお前は困んないだろ。暇を持て余したフリーターなんだから」

てめぇも定職には就いてねぇだろうが。喉から出かかるのを、すんでのところで堪える。こいつとこの手の問答をしても暖簾に腕押し、まともに相手をしたところでストレスが溜まるだけだ。

「で。俺は何をすればいいんですか。そもそも一週間でカタをつける算段なんてあるんスか?」
「無いよー、だからこうやって作戦会議してんじゃんか」

あぁ、これ作戦会議だったのか。

「そしてハチはその作戦を考える係」
「は?」
「ほれ、ブレストだ。なんでもいいよ、思いついたこと、言ってみ言ってみ。忌憚のないご意見をお待ちしておりますよ」

この野郎。

「なら言わせていただきますけれどね」いまだこちらを向いたままの頭頂部に向け、俺は語気を荒くする。「東雲先輩がその子、瀧本さらささんでしたっけ? その子から奪った記憶の中身を素直に話してやればいいんじゃないですか。それで万事解決でしょう」
「却下」

真下を向いていた東雲の顔が横を向き、じとりと湿度を帯びた目が俺に向けられた。

「バカ? ハチってバカなの? それができないから、こんな面倒な事態になっているんでしょうが。前提から覆してくるなよ、バカ」

殴りてぇ。

「その前提に懐疑的ですよ、俺は。そもそも、どうしてその子に話してやらないんスか。依頼を受けて消した記憶とは言え、その本人が返して、つってんでしょ?」
「だぁかぁらあ、そこも含めてやんごとなき事情があんの。お前さぁ、この状況に至ってる時点で、訳アリだってことぐらい察せよ。日本人なら侘び寂び効かせろ、っての」

だからその『訳アリ』の『訳』の部分を教えろと言っているのだが、しかし、俺はそれ以上は追及しない。東雲がここまで口を閉ざすということは、そうした方がよい理由があるのだろう。その辺り、言わば東雲自身が効かせる『侘び寂び』とやらを、不本意ながら俺は信用している。

不本意だけど。めちゃくちゃ腹が立つけれど。

「じゃあ、どうするっスかね」
両手に持ったままのシェイクのうち、自分の分をストローで吸って、俺は考える。

瀧本さらさは記憶を取り戻したい。
東雲は語りたくない。
この事態を収拾するなら、自ずと方向性は限られてくる。

「要するにやることは、瀧本さらさに諦めさせる、ですね」

俺の言葉に「お」と反応し、東雲はようやく起き上がった。俺は空いたスペースに、二人分のシェイクを戻す。

「いいじゃん、いいじゃん。タスクがフォーカスされてきたじゃん」
「いや、それしかないじゃないスか」

本当は、瀧本さらさを物言えぬまでボコボコにする、という案も浮かんだが、女を殴る趣味は無い上に、東雲がそれを許すとも思えない。

「で、で? どうやって諦めさせんの? 相手は一筋縄ではいかないエキセントリックガールだよ。さぁ、どうする?」

本当に何も考えてねぇな、こいつ。思いながら、「そんなの決まってんじゃないスか」俺は答える。

「『諦めろ』って先輩が言えばいいんスよ。マスク外して、その女の子に」

東雲はぱちくりと瞬きをした後、しばし考え込むような表情を見せた。

「……ハチ」
「何スか?」
「ナイス」

いや、ナイスか?
異能の力を持っているなら、最初に思いつく選択肢だろう。
しかし、そうではないところがまた、東雲のややこしいところだ。

《オーダー》。
《催眠音声》。
その肉声で口にした指令を、強制的に実行させることができる能力。

絶大で絶対で絶世。歴代で五例しか認められていない特例保護指定を受け、列強から不可侵の特約を得ているその力を、しかし、東雲自身は禁忌と捉え、みだりに使うことを良しとしていない。

一体何がこいつをそうさせているかは知らないが、東雲にとってそれは最終手段であり、その最終手段を採らずに生き抜いた日数を勲章のように数え生きている。らしい。

『普通』に生きようとしているんだよ、彼は。

いつだったか、滝沢さんが言っていた。
いや、本気で『普通』に生きたいと願っているなら、極論、その喉を潰すなり枯らすなりいくらでも方法があるだろうに。まぁ、その辺りには他人がどうこう介入すべきでない、意地やこだわりがあるのだろう。

「で、どうスか? 俺の、《オーダー》の力で黙らせる案」

ぶつくさ言いながら、ひとり検討を重ねる東雲に対し、俺は問う。

「うん。いくつか懸念はあるけど、候補としてはアリだな」
「懸念、って?」
「同じ相手に二度命じることの危険性。一度だけでも、精神が崩壊する人間がいるんだ。果たして二度目に耐えられるかどうか。こればかりは個人差があるから、やってみないとわからない」
「今までやってみたことは?」
「ある」

あるんかい。

「大丈夫でしたか」
「見かけ上は」

東雲はそれ以上は語らず、「ともかくこれは最終手段だ。別案をくれ」と促してきた。

だからなんで俺が。

鼻息と共に前を向く。背の低い東雲の頭上から、特に意味なく、左右に視線を巡らせてみた。店内、見える範囲に客は少ない。サラリーマンだろうか、東雲のすぐ後ろに男性の後頭部。通路を挟んで斜め奥に中高生の一団。離れた場所にイヤフォンをつけた若い女性。

と、そのうち東雲の真後ろに座る男が立ち上がり、スーツの背中が視界に入った。手にはトレイ。そのまま立ち去るのかと思いきや、驚いたことに男は身を翻し、こちらのテーブルの端に立った。

「失礼。シノノメさん、ですか」

俺も東雲も男を見る。

びっちり着こなした背広姿に、オールバックの面長な顔。四角い銀縁眼鏡の奥には、理知的な光を湛えた細い目がある。

「あんた、誰?」

訝しげにシノノメが訊ねる。

「影山真人と申します」男は答えた。「この度、訳あってあなた方の敵対勢力に与することになりました」

慇懃に頭を下げて、影山は続けた。

「できればその作戦会議、私も加えていただきたい」


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