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【短編】ビタースウィート、或いは紅蓮。①

本を書く機会など、この先訪れるかわからない。しかし私がそれをするとしたら、間違いなくあの四ヶ月のことを書くだろう。

中学二年の冬、私は病気にかかり、死の縁まで追いやられた。

原因不明。医者も首を捻る症状に正式な病名診断がなかなか下らず、検査に次ぐ検査を繰り返した。打ち手が見つからぬままに病状は悪化し、やがて回復は絶望的に。水を飲むことすら苦痛となり、点滴でなんとか命を繋ぎながら、病院のベッドで天井を見つめるだけの日々が続いた。

「どうしてこんなことに」と「これからどうなる」が渦を巻き、「もう楽になりたい」へと姿を変え。そいつを胸の内で飼いながら、毎日見舞いに来る親には悟られまいと、精一杯の笑顔を向けた。

ごめんなさい、お父さん。ゆるしてください、お母さん。あなたたちから授かった命を、私は半分諦めかけている。

罪悪感に苛まれ、無力感に打ち拉がれ。ある日、ヒューズが飛ぶように力が抜けた。あぁ、今日も親が来る。そう思うと笑顔を向けるのも億劫になり、言葉を交わすのも辛くなり。寝たふりと死んだふりの中間の心持ちで瞼を閉じると、そのまま私は昏睡状態に入った。

走馬灯というものは本当にあって、しかしそれは人生のハイライトが高速で過ぎ去っていくものではなく、点在する思い出の水たまりに、ちゃぽんちゃぽんと順に足をつけていく感覚だった。どの水も温かく、漂う香りも甘く優しい。ずっとここに浸かっていたいと願う傍ら、程よいところでそれは干上がり、足元からすっと消えていく。それを繰り返し、遂には水たまりが無くなったところで、私は暗闇に取り残された。

え、もう終わり?
思った。
私の人生、こんなもん?

もっと色々あったろう、と思い返すが、何も浮かばない。あんなに嬉しくて、あんなに悲しくて。そんなあれこれがあったはずなのに、探せど探せど見当たらない。今際の際に至るまで、その温度を残すほどの記憶は、私の中にあまりに少なかった。

こんなことなら。
こんなことなら、もっと。

激しい後悔が押し寄せ、暗闇の中を懸命に藻搔いた。このままでは終われない。苦しさのあまり、容易く諦めかけたかつての自分を、憎んで、恨んだ。

死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。

生きていたい。

突如として暗闇が開け、眩しい光が瞳を襲った。
そう、瞳。私の目。
思わず瞑ったそれをもう一度開け、意識を外へ。
天井の蛍光灯。その隣、私を見下ろす両親の顔。
涙を流し、名前を呼んでいる。
見える、聞こえる。意味がわかる。

戻ってきた。

結局のところ、私の身体を蝕んだ病魔の正体はわからず、そいつを如何様に退散させたのかにも説明がつかぬまま、私はこの目覚めを境に回復し、日常生活に復帰した。今でも半年に一度検診へ行くけれど、あの期間が嘘であったかのように健康体。長らく続いた経過観察も、そろそろ打ち切りの様相を呈し始めている。

健康であるは身体だけでなく心も同様で、どちらかと言えばネガティブであった私のマインドは、復活以降、今を全力で生きることからそのベクトルをずらさない。この「全力」というところがポイントで、勉強も趣味もお洒落も交遊も、それまでほどほどで済ませていたあれこれに対し、私は一切の手を抜かなくなった。

及第点など望まない。
常に目指すは百点満点。

わかっている。きっと、こんな生き方はいつまでも続かない。下手をすれば、また身体を壊してドクターストップ。その前に精神が悲鳴を上げるかもしれない。

しかし、一度でもサボってしまえば、またあの暗闇で後悔する羽目になる。そしてそのテイク2は明日かもしれない。漠然とした恐怖に責め立てられるようにして、私は前を向き、走り続けている。

止まれない。
止まることが、怖い。

「希望」ではなく「恐怖」を原動力としたこの前傾姿勢を、果たして「前向き」と評していいものか。疑念を抱きながらも、足を動かす。きっと私が止まる時が来るとすればそれは、息が切れて動けなくなるか、誰かが強引に羽交締めにでもするかしたときなのだろう。

さて、今何文字だ。
せいぜい千か、二千辺りか。
原稿用紙数枚分。これでは本にはなりそうにない。

私の人生など、こんなもの。
故に今日も走り続ける。

息が切れて力尽きるか、誰かが止めてくれるまで。


「実家に来て欲しいの」

ショーちゃんに言われたときは、耳を疑った。
放課後デートの時もお泊まりの時も疑ったけれど、今回はそれらの比ではない。ダウトダウトと警鐘を鳴らし、ドッキリではないかと隠しカメラを探すレベルの疑心暗鬼だ。

実家?

おいおいショーちゃん。付き合って一年ぐらいの二十代カップルなイベントじゃないの、それ。まだあなたの口からお友達認定すらされてませんけど、私。
さすがにこれはおいそれとは従えない。ことの重大さを深刻に受け止める必要がある。一度持ち帰って検討だ。
まったく。そこまで軽い女じゃないのよ。甘く見ないでもらいたい。

「行く。いつ行く? 明日?」

軽やかー。私@軽やか羽根のようー。

「え、いいの?」
「なんで? 実家でしょ。行くよ、行く行く。バッチ来い」
「誘っておいてなんだけれど、あなたちょっと軽過ぎないかしら」
「ショーちゃんの実家って、遠いんだっけ。新幹線代あるかなー。青春18きっぷ使う?」
「会話をしましょう。会話を」

ショーちゃんが両腕を伸ばして、私の肩をむんずと掴む。ちなみに今は放課後で、ここは学校の廊下。いつものことながら教室を出たところを待ち伏せされていた形だ。

「ショーちゃん、人が見てる」
「乙女な声を出してる場合じゃないの」

あらやだツッコミのワードが豊富になってきているわショーちゃん。思いつつも、真剣な眼差しに口に出すのは自重する。

「いい? 実家と言っても、私が住んでいた分家じゃない。本家の屋敷に呼ばれているの」
「えーっと、ごめん。それってどういうアレなのかしら?」
「純血の私すら、屋敷に入れるのは年始の集いか特別な儀式や用
があるときだけ」
「つまり?」
「重要な用事がある、ということ」

肩から手を離し、ショーちゃんは髪の毛を掻き上げながら、目を逸らす。

「多分、怒られる」
「え! なんで!?」
「この間の儀式、ちゃんとやらなかったでしょう。あとミノのことで注文をつけた。恐らくそれがまずかったんだと思う」
「えぇえ? それだけで?」
「多分ね」
「嘘でしょう。ねぇ、一族にあのときの話伝えたのってミノ? あの子どんな風に報告したのよ? こう、マイルドに角が立たないよう、先方の顔を立てる感じで、うまいことやろうとしてくれたんじゃないの?」
「ミノを責めないでよ。リスク上等、ってあなたも言っていたじゃない」
「いやいや怒られるのは勘弁っすよ!」

やっべぇ。小娘がなんかでっかい組織に喧嘩売っちゃった。そりゃああん時は矢でも鉄砲でも来いみたいなテンションでしたけれど、いざ睨まれてみるとガクブルだ。小娘なんてそんなもんだ。

すみません。許してください。未成年なんです。未来があるんです。

「私だって、本家に行くのは気が滅入るわよ」
「え、そうなの?」
「そうよ。正装して行かなくちゃいけないし、言葉遣いだって気を遣うんだから」
「正装?」
「巫女みたいなやつがあるの。外部の女性の祓い師は、屋敷に入る時それを着る」

巫女、だと……?

「……私と行くときも、ショーちゃんはその正装をするの?」
「そうよ。堅苦しい」
「行こう」
「え?」
「由緒正しき歴史あるお家に、小娘が粋がって生意気を言ったのよ。お叱りごもっとも。甘んじて受け入れる所存だわ」
「ごめんなさい。心境の変化についていけない」
「腹を括りました。謹んで怒られに伺います」

いいだろう、六角形の一族。色々気に入らんところも多々あるが、今回はそれで手を打とうじゃないか。

ショーちゃんの巫女装束姿。

「まったく。想像しただけでブチ上がるぜ」
「今の、心の声よね」
「しまった!」
「もはや誰に向けてやっているのよ、そのくだり」

はぁ、と太めのため息を吐き、「まぁ、来てもらえる分にはありがたいけど」と、ショーちゃんは頭を掻く。

「いつ行く?」私は訊ねる。
「さすがに今日明日、って話ではないわ。あなたは学生だもの。夏休みに入ってから、ってことでミノが交渉してくれている」
「あ、そうなの」今は六月。まだ随分と先の話だ。「じゃあ、あらかじめお母さんにも話しておく」
「そうして頂戴。日帰りだときつい距離だし、一泊していってくれればいいわ。もちろん旅費はこちらで出すし、手配もするから」

お。お。
これはシンキングタイムですぞ。

いやいや、新幹線代を友達に持ってもらうとか話したら、お母さん激怒するんじゃないかしら。かと言って祓い師だの言主だのを説明する気にもなれない。ただでさえ過去に心配をかけた身だ。今また、そんなトンデモ事案に我が子が巻き込まれていることを知ったらなら、卒倒してしまうことだろう。
一方で、ショーちゃんも知り合ったばかりの私を家庭の事情で呼び出す以上、その費用ぐらいは負担したいに違いない。そうしないと、きっと負い目を感じてしまう。そういう義理堅い子だ、この子は。あと可愛い。女神。

いやー、参った。

こんなの、お母さんからお金をもらいつつ、そいつは謹んで懐に入れさせていただき、ショーちゃんから黙って切符を受け取る。それしか道がないではないか。心は痛むが、それしかない。不可抗力だ。必要悪というものはこの世に存在するのである。

「ショーちゃん。実家の最寄駅教えて」
「え、なんで」

Yahoo!乗換検索で往復おいくら万円か一刻も早く調べたいからだよ! とは言えない。言わない。
じゃあどう言おう。いや単純に気になるから、でいいのか。やましいことがあると判断が鈍るぜ。などと陽気に構えていると、廊下で向き合う私たちの側に、ふと人影が近づいてきた。

「あの」

声をかけられ、私もショーちゃんも、そちらを向く。眼鏡をかけ、左右におさげを垂らした女子が、肩にかけたスクールバックの紐を両手で握り締め、所在なさげに立っていた。

「え、何?」

ショーちゃんが訊ねる。リボンの色からして、同学年らしい。「あ、すみません。いきなり」メガネおさげの彼女は、もじもじと目線を彷徨わせる。一体なんだろう、と続く言葉を待っていると、やがて意を決したかのようにこちらを見て、その子が言った。

「あの、霊が見える、って本当ですか」

顔を見合わせる、私たち。
ショーちゃんが片眉を下げ、小さく舌を出す。

あ、今の可愛い。
この後に待ち受ける修羅場にも気づかず、場違いにも私の胸はときめいてしまった。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。


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