【掌編】私の日
私の日と呼べるものを、すべて蔑ろにされてきた。
誕生日もろくに祝わず、卒業式にも顔を出さない。結婚式に至っては招くことさえ憚られた、そんな母だった。
いつからこうだったのかはわからない。物心ついた時にはすでに、母の私を見る目は冷えていた。出来のいい兄ばかりを持て囃し、「お兄ちゃんを見習いなさい」を刷り込みのように私に唱え続けた。実際それは刷り込みで、多感な時期を経て成人してもなお、私は自分が不当な扱いを受けていることに気づかなかった。
それを気づかせてくれた人と結婚を決め、しかし兄とは似ても似つかぬ彼の経歴に許しを貰えず、駆け落ち同然で家を出た。以来、母とは一度も顔を合わせていない。必要なやりとりはすべて兄を通して行なっていた。
『母さんがそろそろ危ない。会う気があるなら今のうちに』
唐突に送られてきたメッセージに、私は母が闘病生活にいたことを知った。パートの都合をつけ、切符と宿をとり、知らせを受けた五日後に病室を訪ねた。
兄夫婦と儀礼的な挨拶を済ませ、ベッドに横たわる母と対面する。「一日の大半は寝ている」。私に告げた後、「母さん、奈津美が来たよ」と眠る母に呼びかけ、兄は義姉を連れ出ていった。
痩せこけ、頭髪が白く薄くなった母の姿は、記憶のそれとはかけ離れていた。が、先に義母を見送った経験のある私には、それほどのショックはない。そうそう、人間こうなるのよね。感慨もなく思いながら、ベッド脇のスツールに腰掛けた。
開け放たれた窓から風が吹き込む。胸元までかけられた布団の上、点滴の管が伸びる母の腕は、その風に飛ばされそうなほどに細くか弱い。その儚さを前に、なお心が動くことない自分を自覚し、私は半ば安心した。
この女が死ぬときは。
そう思っていた。
あなたの下に生まれたことが、いかに私にとって不幸であったか。
そしてあなたの呪縛から逃れた私が、いかに幸福な人生を歩んだか。
今際の際には必ず立ち会い、耳元でそれを囁いてやる。
底意地の悪い、子どもじみた仕返しだとわかっていても、長らくそれが私の生きる目的だった。夫との結婚生活も、一人息子の子育ても、すべてこのため。私は私の幸せを勝ち取り、それでもって、母の人生を否定してやる。死に顔を絶望で歪ませ、失意のうちに幕引きを迎えさせてやる。
今日が、その日だ。
さすがに魂が消える瞬間とはいかないが、復讐を遂げるのは、このタイミングしかない。例え夜通しであってもこの場に座し、母が目を覚ますのを待ち続けるつもりだった。
母の顔、そこから視線をずらし、ベッドの横にある棚を見る。兄嫁が準備したのであろう、花瓶に生けられた花と、フォトフレーム。中の写真は、兄家族と母が並んで写ったものだった。
こんな時にも、やはり兄だ。写真の中の見知らぬ青年は、おそらく私の甥っ子だろう。その肩に優しく手を添え、母は満面の笑みを浮かべている。
私の息子には会おうともしなかったくせに。そんな笑顔、私には向けたこともないくせに。
憎しみの炎がゆらめいたその時、フォトフレームの横にある卓上カレンダーに目が留まった。どこかの企業ロゴが入った、よく見るデザイン。無機質な格子で区切られたフォーマットの中、その秩序を乱すように文字が並んでいた。
書き込みがあるのは、今日の日付。
『奈津美の日』。
そう、書かれていた。
反射的に母に目がいく。
もう手に力が入らないのだろう。線が震え、歪になった文字は、この人のものに違いない。
「……ちょっと……」
止めてくれ、という言葉が喉を出かかって、しかし声にはならない。
今日、私が来ることを知ったこの人が、何を思い、これを書いたのか。
否応無しにその考えが巡り、激しく胸が揺さぶられる。
止めてくれ。
この土壇場で、そんなことをしないでくれ。
余命幾ばくかの肉親に、呪詛の言葉を投げつける。いくら自分の人生を懸けたものとは言え、およそ人の道を外れたその所業に、罪の意識がなかったわけではない。
それでも、実際に母の顔を見てなお揺るがなかった自分に、胸を撫で下ろしたところだった。大丈夫、私はやれる。そこに後悔はない、と信じることができた。
それをたったの五文字。
ただのそれだけで、乱さないでくれ。
再び窓から風が入り、私たちの身体を撫でる。
なお目覚めることのない、母を見つめる。
決意と、困惑と、悔しさと。
それらがない混ぜになったまま、その目が開くのを待ち続け。
風の音だけが響く病室で、
私の日が、過ぎていく。
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