【掌編】君に贈るもの、その価値。
誕生日ぐらい顔を見せて頂戴。
そう言われたから、自殺したんです。
扉の向こう側、君は答えた。
「甘いケーキも、大好物のフライドチキンも。プレゼントだってばっちり選んだ。後はあなたの笑顔だけ。そう促され、たまらなくなりました」
廊下に座り、僕は黙って話を聞く。目前にある部屋のドアは、よく見る木目調の合板でできたものであるところ、頑なな君の態度と相まり、堅牢な檻のごとき重圧を放っている。
中学一年から引き篭もりとなった君は、トイレとたまの風呂以外はこの自室から出ようとせず、ついには部屋の中で首を吊り、その生涯を終えた。一日二回の食事が二回とも手付かずのまま廊下から動いていないことに異変を感じ、母親がコインで鍵を開け中に入ったときにはもう、君の身体は変色し、冷たく硬くなった後だった。夏場の出来事、律儀にも君はエアコンを切っていたため、幾分腐敗も進んでいたと言う。
「そもそも君は、どうして部屋に引き篭もるようになったんだい?」
僕はドアに向け、訊ねる。あの日コインで開けられた鍵は、今また、この部屋に縛られた君により内側から閉ざされている。そしてコインではもう開かない。
「何もかもどうでもよくなったから。自分がひどく無価値なものに思えたから」
君の声が答える。
それは君ぐらいの年代ならば誰しも感じる無力感だ。誰しも一度はそれとぶつかり、絶望する。まともに対峙しようとしない者も多い中、正面から向き合い、そうして言葉にできるなら大したものだ。
とは言わない。それは生きている者、これからも生きる者に対して告げるべき言葉であり、すでにそのコースから外れた君にとっては何の意味もなさない。
過去を振り返り、今僕が言える台詞はただひとつ。
「それは、大変だったね」
無言による頷きが返ってくる。
僕は廊下に座ったまま、傍らに置いたアルバムを手に取る。息子です、と今は階下で待つ君の母親から手渡されたもの。君を祓うに当たっては特段必要のないものであるけれど、今ドアの向こう側で鍵をかけ閉じこもっているのが本当にこの夏旅立った我が子であるのか、その確認を、と懇願された。母親には霊が見えないのであるから、それを知りたいのは、当然と言えば当然である。
僕はアルバムを開く。この手のものに馴染みがなく、どうやら反対側から開けてしまったらしい。数枚の白い台紙を経て、一番最初に飛び込んできたのは、校門の前で母親と並ぶ君の姿。ご丁寧に写真の下、日付と共に『中学入学式』と注釈が添えられている。
「中学受験をしたのかい?」
写真の中、校門に刻まれた『私立』から始まる学校名を確認し、僕は訊ねる。
「いえ、小学校受験です」
君は答える。
なるほど、アルバムをめくっていくと、小学生ながら品格ある制服姿の君の写真が、ちらほらと見てとれた。
そしてさらに、なるほど、と思う。ページをめくり、薄い透明カバーで固定された君の写真を辿るうち、君がこの夏首を吊るまで、どのような環境でどのような日々を送ってきたか、その様子がありありと伝わってきた。
「ふぅ」
思わず、息を吐く。
階段の方を見遣り、階下で待つ母親を思った。
祓うべきか否か。まずは君の顔を見て見定める。そう思い、こうして廊下から、ドアを開放するよう説得を試みていたが、止めだ。
祓う。
君はここに、いるべきじゃあない。
一方、さすがにドア越しでは六角形は放てない。せめて対象である君がどの方向、どの程度離れた距離にいるのかがわからなければ、まったく見当違いの場所を狙ってしまいかねない。
さて、どうしたものか。
「僕の話をしていいかい」
廊下から、僕は問いかける。またもや、無言。イエスと解釈して先を進める。
「僕は祓い師の家に生まれた。特殊な環境でね。純血の子を産むために、祓い師は一族の者と結婚する。愛情で結ばれた家族もいるにはいるが、やはり事業体としての色が強い。乳母というのかな。子どもの世話をする役割の者がいて、僕を育てたのはその人だ。僕にとって父と母は、たまに母屋に赴く際に出会える、一般的な感覚で言えばそうだな、田舎の祖父母といった存在に近い」
三歳になるまで、その状況が続いた。
「三つになると、僕は父母の元へ預けられた。うん、戻った、というより、預けられた、の方がしっくりくるな。これも、家族で仲良く暮らせ、というわけではない。祓い師として僕を育てるため、同じく純血である父母から手解きを受けるんだ。指先に光を宿す。空中に点を打つ。祝詞を唱える。この三つを朝から晩まで叩き込まれる。父は大方働きに出ていたから、多くのそれを僕は母から教わった」
厳しい訓練だった。母親は母親としてでなく、祓い師の先達として、僕の人生に介入してきた。僕にとってそれは幸福でも不幸でもなく、ただそういうものとして受け入れるべきものだった。
「ところが」僕は一度、目を瞑る。「母親の教えの下では、僕は祓い師として、能力を開花させることはなかった」
失敗作。
あの二人の血を引く者が、何故。
よもや他所者の子ではあるまいか。
当時囁かれた言葉が蘇る。
「一年で見切りをつけられた。力を使えない僕は、本家の屋敷から出され、分家の者と暮らすこととなった。もちろん、母ともまた離れ離れ。同じ敷地に入ることすら許されず、先生に出会い六角形を描くに至るまでの二年間、僕は母親の顔も見ていなければ声も聞いていない」
修練を積んで、早く本家へ戻りましょう。
母君もきっと、心待ちにされています。
半ば迫害と評してもいいほどの扱いを受けた、苦渋の日々。分家の者たちの励ましは、実体のない「僕を待つ誰か」を想像させた。その誰かに母の顔を貼り付けると、不思議なもので、それまで微塵も感じたことがなかった母親への思慕が、むくむくと自分の中で育っていった。
会いたい。
もう一度。
心からそう思った。
あの頃、先生に出会えていなかったら。そう思うと、今でもぞっとする。喉を涸らして求めても、一滴も満たされぬ想い。そいつに食い殺されていても、きっとおかしくはなかっただろう。
二度の別れを経て、三度目の出会いは、本家の庭。
新たな祝詞で六つの点を打つ様を、一族の前で披露した。庭に立ち、縁側で祖父である大父様を始め父と母、その他大勢が集い見守る中、腕いっぱいに描いた図形で、一族が捉えた霊を祓った。
「父も母も、満面の笑みで僕に近づいてきた。母親は涙を流し、僕を抱きしめ頭を撫でた。よく励みました。ご立派です。その言葉に、乾き切っていた胸の内が潤っていくのを感じた」
「あの」
さすがに長く語りすぎたか、君は割り込んできた。「結局、何が言いたいんですか」。悪かった、もう少し。僕は答える。
「では、ここで問題だ」
「問題?」
「力を発動させ、母と再会したこの時点で、一体僕は何歳でしょうか」
は?
ドアの向こう、君が顔を顰めるのがわかる。
僕は在りし日の光景を思い浮かべながら、続ける。
「『ところで貴方、いくつになりましたの』」
記憶にあるまま、台詞を再生。
「ひとしきり、家族の再会と僕の覚醒を喜び合った後、母がそう言ったんだ」
君は何も口を挟まない。
「混乱した。祓い師として、本家に戻る許しを得た僕を、涙を流して祝福してくれた母。母に会えるまでの年月を、指折り数えて待ち続けた僕。母が与えたもの、僕が求めたものの間には、どこかしらズレがあるように感じた」
僕が思い描いた「僕を待つ誰か」。
それは母親ではなかった。誰でもなかった。
「以上で僕の話は終わりだ」僕は立ち上がり、君の部屋のドアへと近づく。「結局何が言いたかったんだ、と言われるかもしれないけれど、特に言いたいことは何もない。ただ、君の様子を見ていると、何となく話したくなっただけだ」
「……僕とあなたが、同じだって言いたいんですか」声音に熱を込め、君は言う。「僕もあなたと同じく、母親から愛されていなかった、と」
「いいや、僕は母に愛されていた」
僕は首を振る。
「祓いの仕事に就いてみてわかったよ。遠く離れた一人息子の身を絶えず案じながら、この生業を続けていくことは困難だ。過ぎゆく年月に思いを馳せている余裕などありはしない。それでもあの日の僕の頭を撫でた熱、僕との再会に流した涙は本物だったよ。母の心の片隅に、僕という存在は居続けていた」
僕は足元、君のアルバムに目を向ける。
そしてそれを手渡した時の、君の母親を思い返した。
本当にあの子なんでしょうか。もしあの子なら。
どうか、私にも会わせてもらえませんか。
「愛されていない、というわけではないんだよ。僕も君も」僕は言う。「ただ、望む形で愛されなかった、というだけだ」
「知った口を利かないでください。あなたに僕と母の何がわかると言うんですか」
「わかるさ」
アルバムを手に取り、先ほどのように反対側からめくる。
XXXX年4月8日 中学入学式
XXXX年10月10日 運動会
XXXX年8月21日 家族旅行
日付と注釈が入ったその写真たちには、笑ったり真顔だったり時に困り顔だったりの君と。
そしてその全ての君の横に、君の母親の姿があった。
「他にも当ててみせよう。君は自分で自分の服を買ったことがない。違うかな」
「……え?」
「髪を切るときも母親の意見を聞いたはずだ。どうだい?」
「ちょっと……なんなんですか」
「好きな女の子を選ぶ基準は?『母親が気に入りそうな子かどうか』とか考えなかった?」
「やめてください!」
「やめないよ」
アルバムをめくる。
君の、いや、君の母親と君の母親の息子の、歩んだ軌跡。
途中を一気に飛ばし、最初のページに辿り着く。
XXXX年12月29日 誕生
「『誕生日ぐらい顔を見せて頂戴。そう言われたから、自殺した』。君は言ったね」
甘いケーキも、大好物のフライドチキンも。プレゼントだってばっちり選んだ。
「君が亡くなったのは、夏」
後はあなたの笑顔だけ。
「君が死んだのは、誰の誕生日?」
「…………」
「泣かずに答えろ」
か細く震えるような声が、閉ざされたドアの鍵穴を通ってくる。
「………………お母さん」
突如、ドアからの重圧が勢いを増す。部屋が膨らみ、パンクするような威圧感。それと共に、君が赤子のように泣き叫ぶ声が弾ける。
僕はアルバムを投げ捨て、右手に数珠を構えた。
我が子を自分の一部、あるいは自分を彩る装飾品のごとく扱う親は少なからずいる。
可愛い。可愛い。
こんなに可愛い子を産み、育てている、この私。
強すぎる愛情と、強すぎる自我の高配合。
「何度も言う。愛されていないわけじゃないんだよ、僕も、君も。だけどもそんな愛、糞食らえだ。糞食らえ、と僕らは言うべきだ」
僕は左手を前に、指先に光を灯す。
「母親が君に会いたいと言っていたよ。どうする? どうせ向こうには君の姿は見えやしない。けれど、通訳ぐらいならしてやるぜ」
君はただ泣いて喚くだけ。
重圧は増し、足元が軽く揺れる。
「答えろ。決めろ。会って母の子として祓われるか、会わずに君として祓われるか。会うならドアを開けろ。会わないならドアを叩け」
しばらく待つ。
泣き声は続く。
待つ。
やがて癇癪を起こした子がそのまま眠りにつくがごとく。
身を千切るような慟哭が消え、傷をなぞるような啜りが途絶え。
一時は部屋がはち切れんほどであったプレッシャーも、ゆるゆると萎んでいく。
静寂。
そして、コツ、と小さく扉が揺れた。
「もっと強く」
ドン、と重く低い音。階下の母親にも聞こえるほどの。
「いいね。そこから動くな」
僕は構える。
問題はここからだ。
ドアを叩いた。つまり正面にいる。位置は特定できたから、狙うことはできる。
だが、祓えるか。意地でもいつもの祝詞は使わない。初めての試みだが、いけるか。
いや、いく。
祓ってここから、君を出す。
息を吸い、指先に神経を集中。
光を手放し、宙に点を。
「一つ目は君のため。
二つ目は君のため。
三つ目は君のため。
四つ目は君のため。
五つ目は君のため」
点は力強く輝き、やや緩慢な動きでありながらも、真っ直ぐ線を伸ばし始める。
いける。
「全部やるよ。六つ目は君のため」
木製のドアの前、浮かび上がった光る六角形は、その遮蔽物をすり抜けて、君の元へと進んでいく。ドアの四角い隙間から、漏れ出る輝き。やがてそれは一際強く煌めき、散って、消える。
「……ふぅ」
息を吐く。いつもより神経を使ったからか、一気に疲労が押し寄せてきた。
一度投げ捨てたアルバムを手に、階段を降りる。リビングのドアを開け、座って待つ母親に「終わりました」とそれを返した。息子でしたか。違いました。本当に、嘘じゃなく。引き下がられるが、首を振る。あそこにいたのは、あなたの息子じゃない。
涙を流す母親を横目に、僕は黙って玄関へと向かう。
家の外に出る。
見上げると、君が引きこもっていた部屋の窓。
「ハッピーバースデイ」
目を閉じ、僕は君の住んでいた家を後にした。
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この作品は、こちらの企画に自主練習として参加しています。
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