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【掌編】独白ドーナツ解脱編

※ この物語はフィクションです。

フレンチクルーラーが好きです。
特に某有名チェーン店のものが好物で、子供の頃からご馳走と言えばそれでした。

風邪を引き、熱を出したときも。
受験勉強のお夜食も。
生活圏内に店舗が無く、なかなか買ってはもらえぬ我が家において、ここぞと甘えられる要所要所で、それをねだっては手に入れてきました。

もちろん、自分で買いもしました。
二桁に及ぶそれをトレイに載せ、箱にびっしり詰めてもらったこともあります。
時には在庫が切れており、長蛇の列が伸びる中、出来上がりを待つことも。
今日はもうないんです。閉店間際にそう言われ、ブチ切れたのはいつの日だったでしょう。

「揚げればいいじゃないですか」
「まだ営業時間ですよね」
「店長を呼べ」

お店の方も、さぞ困ったことでしょう。
若気の至りであったと、今では反省しています。

卵色のうねりを帯びたふわふわ生地に、白く照るシュガーコーティング。
今この一文を書いただけでも涎が出てしまうフォルムをたたえたそいつですが、その寿命は決して長くはありません。
時間の経過と共に、表面の砂糖は溶け、べとべとになってしまいます。砂糖を溶かすまいと冷蔵しても、水分が飛ぶのか、しおしおになってしまいます。

それでも食べます。

もしあなたのパートナーが私と同じくフレンチクルーラー好きで、しかし「でも時間が経ったやつはちょっとなぁ」などと宣う輩であるのなら。
悪いことは言いません。別れなさい。
それは「若く美しい君は好きだけれど、年老いたその先までは愛せない」と言っているのと同じです。

愛することには責任が伴うのです。
例え全盛期の輝きに満たなくとも、その時々の良さを味わい、変化を受け入れ、愛し抜くのです。

私事ですが、先日引っ越しをしました。
新しい居住地には、歩いて十分程度の大通り沿いに、件のチェーン店の店舗がございます。

初めて新居の下見に来たときは、歓喜のあまり発狂するかと思いました。
その気になれば毎日買える。そんな距離にフレンチクルーラーがあるのです。住めば都どころか、ただの都。うだつの上がらねぇサラリーマンの俺にもようやく幸運が巡って来やがった。そう思いました。

しかし、越して来ておよそ一か月が経とうという今もなお、店に足を向けたことは一度もありません。「あぁ、食べたい」と衝動に駆られることは幾度もあれど、「近くにあるし、明日でも行けるな」と見送ることが続いています。

それは「衝動」と言うよりは、むしろ「安心」。どこかへ向かう「線」ではなく、留まり続ける「点」の有り様。

大好きなのに。
抱く愛は、変わらぬままであるはずなのに。

おそらく自分は、フレンチクルーラーと結婚したのだろう、と思います。
生涯離れず、側に居続ける。その確約を結ぶことによって、長年持て余していた愛情の置き場所を得たのでしょう。好きで好きで何が何でも我がものにしたい、という時期は過ぎ去り、あぁ好きだな共にいるな、と実感するフェーズに入った。きっとこの家の契約書に判を押すと同時に、フレンチクルーラーとの婚姻届にも判を押したのです。そういうことだったのです。

人生とは、こうして持て余していた感情の置き場を作り、手放す準備をしていくことなのかも。
フレンチクルーラーとの繋がりから、ふとそんなことを考えました。

だって、無いから。
旅立ったその先に、フレンチクルーラーはおそらく無いから。

これほど強い想いを持て余したまま、それが無い世界に身を置いたなら。
きっと在りし日のように、怒り狂う羽目にきっとなる。
悔しいですがその時、「店長を呼べ」と騒ぐわけにはいかないのです。

愛情に満ち満ちた関係も
情熱を捧げている営みも。
後悔に塗れている過去も。
希望を託している未来も。

憂いなく「さようなら」を言えるように、ここに置いていくね、という場所を作って。
少しずつ、準備をしていかなくてはならないのかもしれません。

なんて悟りの境地など実は心底どうでもよくって、今ほど件の店舗に初めて足を向けたのですが、タイミングが悪いことにフレンチクルーラーは品切れ中、アルバイトのお姉さんによれば十五分ほどで準備が整うとのことで、逸る気持ちを抑えつつ、スツールに腰掛け、待ち時間にこんな駄文を認めている次第でございます。

ドーナツと結婚?
どうかしている。
想いの置き場所?
馬鹿を言え。

そんな終活にリソース割いている暇があったなら、愛せる時に愛せるだけ愛し抜こうではありませんか。

あぁ、ようやく用意ができたようですね。ショーウィンドウにトレイが差し込まれます。
お姉さん、それ十個ください。
え、なんですか。まだ十個もない?

おいおい、ふざけるなよ。
店長を呼べ。


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