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【短編】九回死んで、直列。⑤

「あなた、最近何か楽しそうね」

南さんにそう声をかけられたのは、miyukiとの約束を週末に控えた木曜だった。デスクで端末と向き合い、システムから顧客リストを抽出していたところで、南さんが背後に迫っていたことに気がつかなかった。

「ちょっと前までは、毎日お通夜みたいな顔をしていたのに」

そうでしょうか、と頭を掻く。

実際、miyukiとのデートを前に、浮き足立っている自覚はあった。しかし、南さんが指している『最近』とはそれ以前、彼女とのやりとりが始まってからのことかもしれない。miyukiとの繋がりは毎日に活気を与えてくれ、仕事にも徐々に前向きさを取り戻しつつあった。

「これで実績も上げてくれれば御の字なんだけれど……どれどれ」

僕の肩越しに首を覗かせ、ディスプレイに映る情報を検める。

「これ、元は満期データ?」
「いえ。全体から主婦層に絞って検索をかけてみました」
「この辺りは街中だから、そんなにいないでしょう」
「多少足を伸ばせば対象は増えますし、どちらかと言うと市場調査的な意味合いが強いです」
「え、もしかして飛び込みで行くつもり?」

南さんの驚いた顔がこちらを向く。僕は首を引いてスペースを確保し、頷きを返した。

「どうしたの。春先に一度やった時、散々門前払い食らって、泣き顔になってなかった? だから、まずはテレアポで来店誘致を、って」
「いや、そうなんですけれど……」

『相馬さん、童顔だからオバさまとかに人気ありそう。』

先日、miyukiとのやりとりの中で貰った言葉を思い出す。

彼女からすれば、何気ないお世辞文句だろう。だが、少しでもそう感じさせるものが自分にあるのなら、実際に顔を出し、話を聞いてもらうアプローチも効果があるかもしれない。楽観的ではあるが、このまま同じことを続けているよりかは、前に進める気がした。

「まぁ、いいかもね。声にハリも出てきたし」
「声、ですか」

南さんは頷く。

「たとえハッタリでも、自信ありげに見せる、っていうのは重要よ、この仕事。それにはまず、堂々とはっきり喋ること」

ハッタリははっきり、ね。指を立て、語呂合わせのように唱える。

なんだか「数をこなせ」以外に、初めて南さんから教えを受けた気がする。皮肉にならぬよう、やんわりとそれを伝えると、「そうよ。数をこなしなさい」と強めに肩を叩かれた。

「今のあなたがどこまで通用するのか。何人のお客様の琴線に触れるか。数を打って、確かめてきなさい」

そう送り出され、意気揚々と挑んだ飛び込み営業だったが、やはり現実は厳しく、結果は芳しくなかった。

いつものテリトリーから二駅ほど先、比較的富裕層が集う住宅街を歩き回り、これと思った家のインターフォンを押す。法律上、自分の身分とこれが保険のセールスであることを告げなくてはならない。案の定、その段階で大半から「間に合っています」「手が離せないので」と断りを受けた。

門を開け、話を聞いてくれたのは二人。

一人は、こう言ってはなんだが、自分と同じく気の弱そうな中年の女性で、はあ、はあ、と頼りない返事をするばかり。最終的には「夫と相談してみないと」と言って話を切られ、名刺とパンフレットを渡して引き下がる形となった。

もう一人は、少し古びた一軒家に住まう高齢の女性だった。周囲の家並みとは一風異なる佇まい。そこでピンとくるべきだったが、インターフォンを押した段階ではわからなかった。
姿を見た瞬間、失敗を悟った。高齢者への販売は色々とリスクが高い。そもそも割りのいいプランを提示することも難しく、徒労に終わるケースが大半だと聞いていた。

「入りなさい」

門前で用件を告げると、女性は意外にも張りのある声で、自分を屋内へと招き入れた。表札にあった名は『横田』。玄関に靴はなく、見たところ独り住まいのように思われた。

突然訪れた非礼を詫び、何か今後の保障で困っていることはないか、と訊ねた。横田さんは矍鑠とした様子で「この歳になれば、保障も何もないわね」加えて「あんた、それをわかっていてウチの門を叩いたのかい」と答えた。意外にも「今は投資の時代だろうに」「外貨建てで戻りがいいのがあるだろう。そういうのを勧めてこないと」とリテラシーの高い突っ込みも入った。

「ウチで扱っている中には無いんです」答えると、「じゃあどうする。手ぶらで帰る気かい」とこちらを試すような言葉をくれた。

厄介な人に当たってしまった。早めに切り上げ、お暇しよう。
そう思い、辺りを見渡したときだった。

玄関脇に置かれた棚の上、一輪の花が生けられた花瓶があった。花より花瓶に目がいったのは、その形がぼこぼこと歪で、明らかに手作りと思われる代物であったからだ。

「手作りですか」訊ねると、「孫だよ」幾分、和らいだ声が返ってきた。

「小学校の図工か何かで作ったようでね。去年、敬老の日にプレゼントしてくれたんだ」
「素敵ですね。女の子ですか」
「そう」噛み締めるように頷く。「政治家がだらしないから、こんな先行きの見えない世の中になってしまって。私は自分より、あの子の未来の方が心配だよ」

絶好のパスだと思った。お孫さんの保障は大丈夫ですか。そう言って、学資を勧めてみればいい。年齢的にこの人が無理でも、親御さんを契約者に立てる方法もある。

しかし、険があった横田さんの口ぶりがこうして温かみを帯びてきたところに、これ幸いと商売気のある話を持ち込むのは、どうにも無粋な振る舞いに感じた。孫を思う横田さんの純粋な気持ちを利用するようで、気が引けた。

逡巡していると、横田さんがこちらを見ながら、うっすらと笑みを浮かべていることに気がついた。見守ると言うより、何かを見透かすような視線に思えた。

「あんた、まだまだだね」

そう言われた。

結局、さしたる提案もできぬまま、ここでも名刺とパンフレットを置いてその場を去った。渡した中に、学資保険のそれも含めておいたのが、唯一の悪あがきだった。

心機一転、挑んだ飛び込みは、かくして散々な結果となった。
ただ、出鼻を挫かれただけならまだよかった。自分の全身全霊を一笑に付すような横田さんの応対は、この先飛び込みを続ける意義どころか、ここにいる意味そのものを否定してきた。

もう、何をやっても無駄なのではないか。そんな風にさえ、思えてきた。

敗北感を胸に、肩を落として帰ると、落ち込み振りが伝わったのか、南さんがコーヒーを淹れてくれた。
まだまだだ、と言われた旨を話すと、「なるほどね」と南さんは鼻息を漏らした。

「私たちはさ、単なる保険屋なんだよね。無粋だろうが何だろうが、保険を売るしか人様の役に立つ術はないわけ」

何が言いたいかわかる? 問われるが、正直ピンと来なかったのて、首を振って返した。

「本当に相手を思うなら、あなたはそこで商売をするべきだった。迷いなくそれができるほど、自分の仕事に誇りを持てるようになりなさい、ってこと」

これも経験よ、と肩を叩かれる。「いつも言っているでしょう。いちいち落ち込まない」

はい、と答えるべきだったのだろう。

しかし、何故だかそうは言えなかった。今日あの場にいなかった南さんに、知ったような口を利かれることが、どうにも腹立たしかった。

「落ち込まないなんて、無理ですよ」

小さく息を飲む音が聞こえた。

「落ち込むな、落ち込むな。南さんに言われる度に、自分でもそう言い聞かせてきました。でも、無理です。僕はこういう人間なんです。誰かに邪険にされたり、非難を浴びたりすると、それだけで傷つき、疲れてしまう。慣れや努力じゃ、生まれながらのこの気質は、なかなか治すことができません」

僕は続けた。

「南さんの教えに、正直、懐疑的なところもあります。これも経験。でも、こんな経験に価値はあるんでしょうか。僕がしたことと言えば、家々のインターフォンを押して回って、応じてくれたうちの一人に嫌味を言われた。それだけのことですよね」

労が報われなかった八つ当たり。わかっていはても、苛立ちを抑えきれない。「すみません、言い過ぎました」。これ以上続けると取り返しがつかなくなってしまいそうで、自分で自分に堰を止めた。

南さんは答えず、しばらく黙っていた。

僕はコーヒーの黒い水面を見つめながら、沈黙に耐えた。このコーヒーを淹れてくれた先輩が今、どんな顔をしているのか。情けないことに、怖くて見ることができなかった。

「そっか」

ようやく口を開いた南さんは、一度場を離れ、すぐに靴音を鳴らして戻ってきた。

「はい」

何か差し出された気配を察し、顔を上げた。目の前に一枚の紙があった。
表題部には『社員希望調書』の文字。今度は僕が息を飲む番だった。

「このタイミングで渡すことに他意はない。でも、そろそろそういう時期だし、いい機会だから」

紙面に目を向ける。中央に、次年度の配属希望を記す欄があった。
確かに、そういう時期だ。うちの会社は、半期が終わる今ぐらいの時分に、この調書を認め、人事に提出する。異動を希望する場合、ここで申告しておかなければ、余程の事情がない限り斟酌はしてもらえない。

「このまま営業に残るか、はたまた経理に戻るか。あなた自身の気持ちと向き合い、しっかり考えて書きなさい」

言い残し、南さんは去っていった。

他意はない。わけがない。
無理なら辞めろ。
そう言われているに違いなかった。

残務処理が残っていたが、その日は何もする気になれず、定時を待ってすぐ帰宅した。ロッカールームでスマートフォンを見ると、miyukiからメッセージが入っていた。

『なんだか無性にフルハウスが観たくなって、シーズン1から見返し。ジェシーおいたんカッコいい……(初恋の人)』

送信時刻は十四時過ぎ。ちょうど自分が横田さんの家を後にした頃合いだ。
それを思うと、どこか胸につかえるものを感じ、すぐに返信する気にはなれなかった。


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