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【短編】IRORI ⑥

信じられないことに、さらさはエントランスを開錠し、サカマキをマンション内に招き入れた。

「どの道、逃げられません。応援を呼ばれ立ち行かなくなる前に、交渉します」

時間勝負です。さらさが言い切るよりも前に、今度は部屋のインターフォンが鳴った。

早い。

「ひたきさん」
「はい」
「ひとつ、お願いがあります」
「お願い?」
「ここを切り抜けられたら、後で私の依頼を聞き入れていただけませんか」
「切り抜ける、って……でも」
「策があります」
「策……?」

続くさらさの提案に、果たして頷くべきか、考える間もないまま、再びインターフォンの音。

「お願いします」

もう一度言って、さらさは鳴り響くベルに応じる。通話ボタンを押し、「今、開けます」と廊下へ。取り残された私からは、鍵を開錠する音と、ドアの開閉の音しか聞こえない。

その場で一言二言、言葉が交わされたようだが、内容は不明。程なくして二人分の足音が近づき、さらさと共に男が一人、部屋のドアから現れた。

「どうも。直に会うのは初めましてだねぇ」

身長は百七十センチに満たないくらいか。小太りで、冴えない色のポロシャツにチノパンを履いている。年齢はおそらく四十代後半。頭は禿げかかり、肌が脂で光っている。

一年近く配信を通じてやりとりをしていた『サカマキ』としては、さもありなんな風貌。しかし、これが『警視庁公安課の捜査員』となると、話は別だ。まったくもってそんな要素は感じられず、かえって不気味さが増す。

「あぁ、これがひたきちゃんの部屋か。久しぶりだなぁ」

部屋の様子を見渡しながら、サカマキ。

「……久し、ぶり……?」
「そうだよ」私の声に、顔をにやけさせる。「君がここで一人暮らしを始めてすぐ、カメラと盗聴器を仕掛けに入ったんだ。居間もトイレも脱衣所も。今、僕からも見える位置に三台あるよ。どこかわかる〜?」

全身を鳥肌が覆う。
しかし、

「耳を貸さないでください」

さらさの声。

「心を折りに来ているだけです。真偽はわからない」目だけで、背後のサカマキを見る。「おそらくこの変質者じみた言動も演技です。あなたを怖がらせることが目的。呑まれないで」

さらさの言を受け、サカマキのにやけ面が、一気に冷めたものに変わった。
視線が鋭く、攻撃的なものへ。

「なるほど、多少は場慣れしているようだな。瀧本さらさ」

なら、手っ取り早く済ませようや。言って、決してスタイリッシュとは言えない身体を俊敏に動かし、さらさの前に出る。

「相原ひたき。てめぇ、異能者だろ。ん?」

ビクン、と身体が震えた。

「あ……」

声が出ない。言葉では形容し難い”凄み”のようなものに、心が圧される。

「サカマキさん。話し合いましょう」

さらさが再び私とサカマキの間に立った。
サカマキの顔が険しくなる。

「お前に用はないんだよ。そもそも、シノノメの子飼いがどうしてここに出しゃばってきている」
「”子飼い”と呼べるほど、あの人に育てていただいた覚えはありませんが」

揚げ足とってんじゃねぇ。吐き捨てながらも、「とは言え、お前を無碍にすると、それはそれで厄介だ。こちらは異能を一人確保したいだけ。それでNo.4・シノノメ様の逆鱗に触れちゃあ、うまくない」サカマキは続ける。

『No.4』、『シノノメ』。
一体何の話か、私には皆目見当がつかない。しかし、「話を聞こうか」とサカマキ応じたことから、どうやら交渉のステージに持ち込むことには成功したらしい。

「では、ひとまずソファへ」
「いいや。俺もお前も立ったままだ」
「慌ただしいですね」
「いいから話せ」

さらさは頷き、単刀直入に言います、と続けた。

「見逃してください」
「却下」

ハッ、とまさに一笑に伏し、「お前、舐めてんのか。俺がこいつを何年張ってたと思っている。この状況で、見逃すわけがないだろうが」サカマキは吠える。

こいつはな。サカマキの目線が、私へと向く。

「犯罪者だ。六年前、中学入試の試験問題を、異能の力を使って入手した。それだけじゃない、その情報を同じ学習塾に通う友人計十四名に事前共有した疑いが持たれている」
「存じ上げています」
「あぁ、そうだ。お前が存じ上げていることを俺は存じ上げているよ。一体どうやったかは、後でたっぷり絞ってやるからな」またさらさを睨み、チッ、と舌打ち。「何せ、この件の秘匿レベルは最上級の”甲”。実はその十四名の中に要人の娘が混じっていてな。馬鹿げた理由だが、それ故、公には知り得ない事実となっている。加えてこの異能の存在も絡んでいるとなりゃあ、一丁前に国家機密だ。一般人がアクセスできていい情報じゃあねぇんだよ」

サカマキはまた私を見る。

「なぁ、おい。犯罪者。わかるだろう。てめぇのせいで、合格すべきなのにできなかった人間が発生した。それだけじゃない。お前が試験問題をリークした十四名の中に、『自分はイカサマをした』という罪の意識を植え付けたんだ。そういう奴がどうなるか、わかるか。今自分のいる場所は、自分の力で勝ち取ったものじゃあない。自分はズルをした。どれだけ努力しても、何をやっても、その事実がチラついて、自信が持てない。実際、無力感に苛まれたか、合格後に退学した女が二名出ている」

一歩、私に近寄る。

「二桁に上る人の人生を変えちまった。なのになんだ、てめぇは。逃げるように不登校になり、親の反対を押し切って、一人暮らし。汗水流して自活しているならまだいい。だが、てめえの生活資金はどこから来ている。件の要人、お前が試験問題を教えて合格した子の親から渡された、口止め料だ。向こう十年は賄える額のそれを使って、好き勝手に暮らし、挙句の果てには、動画配信でアイドル気取り。何もかも忘れた顔して、いい気なもんだ。もう一度聞いてやろうか、なぁ? いつもお前が口にするご挨拶でよぉ」

”好調ですか”〜?

「やめてぇえええ……!!!」

堪えきれず、叫んだ。
堰を切ったように、涙が溢れてくる。六年間溜め込んだ後悔が、出口を求め、身体中を暴れ回る。

忘れない。忘れるわけがない。

今井洋子ちゃん、加藤紗雪ちゃん、坂倉千穂ちゃん、獅童絵見ちゃん、獅童波瑠ちゃん、素野ゆかりちゃん、立花綾音ちゃん、手嶋京香ちゃん、東堂あおいちゃん、西田翼ちゃん、野田真由美ちゃん、真鍋きらりちゃん、山田美津姫ちゃん、和田蓮子ちゃん。

追い込みの冬季講習で一緒のクラスだった皆。
うち一人の誘いに応じ、参加したお泊まり合宿。
同年代の子の家に宿泊するなど初めてで、舞い上がっていた。

みんなで合格しようね。

その言葉に、頷き合ったあの夜。

”友達”になりたかった。
ここにいる皆んな一緒に、同じ中学に上がって。
一緒に登下校したり、お弁当を食べたり。夢にまで見たものを、手に入れたかった。

だから、迂闊なことをした。

学校見学の場を利用して、隙を見ては片っ端から教員の身体に触れた。ほとんどが用を成さない記憶の断片。その中で、ひとつだけそれらしき映像を入手した。

合格発表の後、私の周りがちょっとした騒ぎになった。うちの子が変なことを言っている。塾を通して、そんな報告が私の親へ集まった。事の重大さに漸く気がつき、途方に暮れていたところ、しかし、急にその喧騒がパタリと鳴りを潜めた。

これは君の分。

いきなり家に来たのは、例のお泊まり合宿を催した子の父親だった。私の親と何かを話した後、私を呼び出し、紙袋を渡して、言った。

合格おめでとう。私の娘と娘にしたことは、これで全て忘れてもらいたい。

「使っちゃいけないお金だと思いました。燃やそうとしたら、お母さんが預かると言って。親のものになるならそれはそれでいい、と思いました」

咽び泣きながらも、私は口にしていた。

「でも、何年も考えるうちに、逆だと思いました。あのお金を使わなきゃ。私は友達が欲しかったんじゃなくて、お金のためにやったんだ。そう思わないとやっていられなかった」

これはビジネス。そう思い込むことで、心の均衡を保とうとした。
だけれどそんなまやかしは、体裁は取り繕えても、自分自身には通用しない。

逃げられない。
自分からも、自分の過去からも。

「友達を作らなきゃ。そうやって、あの日から抱き続けている憧れを昇華させなきゃ。そう思って配信を……

「はいはいはい。そう言うのは別で聞く奴がいるから」無情なサカマキの声。「俺の仕事は調査と逮捕。大人しく身柄を確保されてくれや」

また一歩、私に近寄るサカマキに、身がすくむ。しかし、その間に再びさらさが割って入った。

「お話は終わっていません」
「どきな。こっちは公務だ」
「交渉をしましょう」
「ほぉ。どんな」
「シノノメの情報を渡します」

私からは後ろ姿しか見えない、さらさが言う。

「私が彼と行動を共にした間の詳細な記録。こちらでどうでしょう」
「却下だ」

サカマキは応じない。

「No.4の陣営には別の諜報員が潜っている。情報はそこから入手可能だ。あまり俺たちを舐めるな」

わかりました。さらさはあっさり引き下がり、「ではもうひとつ」続けた。

「"No.4の陣営には別の諜報員が潜っている”。今、あなたがおっしゃったこの情報を、シノノメに渡さない。その確約ではいかがでしょう」

一瞬、間が空いた。

「……ほぉ」サカマキが唸る。「なかなかいい手だ。噂通り、頭が回るじゃねえか」
「恐れ入ります」
「だが却下だ」

さらさの肩に、ぐ、と力がこもるのがわかった。

「向こうだって馬鹿じゃない。国から監視の一人や二人つくだろうこと、当然のことのように心得ているだろうさ。よしんばそれがわかったとしても、なぁ、俺たちは公安だぜ?」サカマキは続ける。「本名を始め身分を偽り、対象の生活基盤に溶け込んでいる。国家権力の下、それをやってるんだ。”いる”とわかっているだけの相手に、簡単にバレてちゃあ、飯の食いっぱぐれだよ」

繰り返し言う。俺たちを舐めるな。

凄みのある声でサカマキは言って、さらさを睨みつける。
しばらく、どちらも口を開かない時間があった。

「逮捕されれば、ひたきさんはどうなるのですか」
「さあな。司法が決める」

さらさが頷き、息を吐く。

座り込んだ私は、置いてきぼりだ。
意味不明の単語、現実感のない話の応酬についていけず、ただ成り行きを眺めることしかできない。

しかし、

「では、実力行使です」

さらさの言葉に、弛緩した脳が引き締まる。

策があります。サカマキを招き入れる直前の、さらさの突拍子のない提案。
『実力行使』。その言葉が合図だと言っていた。

本当に、やるのか。

「実力行使ぃ?」サカマキの眉が吊り上げる。「おいおい。中年太りの鈍間なオヤジに見えるかもしれねぇが、これでも訓練を受けた調査員だ。女二人に腕っぷしでどうにかされるほど、落ちちゃいねぇぞ」
「そうかもしれませんね」
「あん?」

さらさはサカマキに近づく。
私はひとつ唾を飲み、床につけた手の指先に力を込める。
気づかれぬよう、重心を前へ。

「"友達ならキスはアリですか”」
「……なんだと?」
「前々回の配信で、あなたがひたきさんに投げかけた問いかけです」

サカマキの顔に警戒が走る。

「アリですよ」

おい。制止の声を聞き入れず、さらさの両手が、サカマキの頬へと伸びる。

「そして私とひたきさんは、"トモダチ"です」

さらさの頭部が迷いないスピードで動き、何か言いかけたサカマキの口を塞いだ。


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