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【短編】HITOKAGE ⑥


「お久しぶりです、影山さん」

待ち合わせのテラス席に現れた瀧本は、前回のリクルートスーツ姿から一転して、白いシャツの上にモスグリーンのニット、黒のタイトパンツという学生然とした出立ちだった。

「お久しぶり。どうぞ」

席を勧める。円形のテーブルを挟んで向こう側、椅子を引いて瀧本は腰掛けた。

「ご足労いただき、ありがとうございます」
「いや。私もT大は初めてだったからね。採用の担当として一度見ておきたかった」

場所は、瀧本の通う大学構内のカフェテラス。席からは赤煉瓦の校舎、冬枯れを迎えた並木を背景に往来する若者達が見える。
仕事柄、学生を相手にすることは多い。その経験からすると、やはりぱっと見ただけで優秀だと思える子が多く感じる。

できる人間というのは、不思議と目を引くオーラのようなものがある。
その教えは、確か南原部長からだったか。

「その後、いかがでしょうか。お仕事の方は」

訊ねられ、瀧本を見る。
ぴんと伸びた背筋、隙の無い佇まい。
先述の文脈に倣えば、この子の纒うオーラはやはり一級品と言えた。

「おかげ様で順調だよ。少なくともストーカーの懸念が無くなり、比嘉が調子を取り戻したのが大きい。部長はどうだかわからないが、まぁ大丈夫だろう」
「あの二人は、別れたんでしょうか」
「さぁね」瀧本から、構内へと目を逸らす。「私への実害はなくなった。それで十分だよ」

そうですか。ひとつ頷き、瀧本は早々にその話題を切り上げた。

「では、本題である私からの依頼事項ですが」
「引き受けよう」
「え?」

訝しげな顔になる瀧本。「先日は、三つ条件がある、とおっしゃっていましたが」

「君には今回、追加でリスクある仕事を依頼した」私は続ける。ストーカー行為のでっち上げのことだ。「今回に限り、君の要望は無条件で
引き受けよう。その代わり」
「違法行為を教唆したことについては、口外無用」
「その通り」
「承知しました」

さすがに話が早い。

「では、君の話を聞こう」

瀧本が語り始める。"シノノメ"という異能の存在。その男に消された記憶を取り戻す。そのために協力いただきたい。端的に言うと、そのような内容だった。

「具体的には、何をすればいい」
「わかりません」
わからない?「その心は」
「シノノメは何らかの組織に所属、もしくはその庇護下にある、との話です。個人で立ち向かうには分が悪い。こちらも何らかの勢力を築く必要があると判断しました」
「つまり、その勢力の一端を担え、と」
「ひとまずは」瀧本は頷く。「具体的な動きは、どのような勢力となるかにより異なります。ただ……」

そこでめずらしく言い淀むような間を空けた。

「最終的にシノノメに対しては、実力行使に出る可能性が高いと思います。その場合、あなたの能力を使う……パチンとしていただく運びになろうかと」
「了解した」

瀧本が気遣うように私を見る。

「……よいのですか」
「言っただろう。無条件に引き受ける」
「しかし」
「なんだ」
「その、今回のストーカー騒動へのご対応からしても、能力を行使することに消極的でいらっしゃるようにお見受けします」

瀧本の表情を観察する。今度は目を逸らさない。

なるほどな、と思えた。

「確かに、できれば使いたくない。しかし、それが依頼なのだろう」
「えぇ、まぁ」
「なら構わない」
「……そうですか」

瀧本は瞬きをひとつして、表情を切り替える。元の平淡な顔つきに戻り、す、と椅子から立ち上がった。

「ご協力感謝します。詳細が決まりましたら、追ってご連絡いたします」
「了解した」

では。颯爽と身を翻し、去っていく瀧本さらさ。その後ろ姿が校舎の中へと消えるのを見届けた後、私も椅子から立ち上がった。

枯れ木が両脇に続く並木道を歩く。

記憶を取り戻したい、と瀧本は言った。理由はわからないが、おそらくそうすることが、彼女が自己実現する上で不可欠な手順なのだろう。"異能"を揃え、勢力を築こうとするところからも、目的のためには手段を選ばぬ徹底振りが伺える。

その中にありながら、彼女は躊躇した。
私に、シノノメに対して能力を使わせることを。

……よいのですか。

その何とも言えぬ表情と共に、彼女の言葉が甦る。
表向き私を気遣った様子を見せてはいたが、そうではない。あれはきっと、私の力でシノノメに危害が及ぶことを、心のどこかで恐れてのこと。

「やれやれ」

褐色に変化した枯れ葉を踏みしめながら、私は呟く。

無条件と言ったが、こんなことならばきちんと従来の条件を提示しておくんだった。

一つ目。本業に支障をきたさないこと。
二つ目。何を壊すかを明確にすること。

そして三つ目。
壊した後の処理は依頼主が行うこと。

壊した後のことを、君は考えているか。瀧本さらさ。
君が何を得て、何を失うか。
それらをリアリティを持って想像できているか。

できているならば、自ずとわかる。

保護したいのは、その消された記憶か。
それとも、シノノメと会って以降、積み上げた記憶か。

「ふぅ」

いけない。
これはビジネスで、瀧本からの依頼だ。年長者として、彼女を導く。そのような立場に私はいない。

私は彼女を救う、ヒーローではない。

それでも。
今回の選択が、彼女にとって本懐を遂げるものであることをどこかで願う。
それはさながら、数多いる学生の人生の岐路に立ち会う、私の仕事への思いに似ていた。

私の傍を、数名の男子学生が談笑しながらすれ違っていく。
私は足を止め、その場で目線を上げた。
左右から伸びる枯れ枝のフィルターの向こう、白く曇った寒空が見える。それに向けて左手を伸ばし、中指の爪を親指の腹に当てた。

壊すことしかできない、そんな自分も。
我が身を守るため、卑怯な手段を覚えた自分でも。
彼ら彼女の将来を救う。そんなヒーローになれないか。

若い頃から、幾度となく潰えては、いっとう拭えぬその幻想に向け。

私は小さく指先を弾いた。

「パチン」

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