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【掌編】ニトロ

私のこと好き、と訊いてくる女が心底嫌いだ。どれくらい好き、と訊いてきたなら殺意を覚える。

何様なのだろう、と思う。

人に名を問うなら自分から名乗るのが礼儀であるように、それなら己はどうなのか、先に自己開示をすべきだろう。俺のことが好きか。好きと言うなら、何を持って「好き」とした。それは果たしてお前の中で、確固たる基準か。では、それがどのように俺に当てはまるのか。

大抵の女は、そこで興が冷め去っていく。願ったり叶ったりだ。自分でも説明がつかない感情の有無を、他人に向けて問い糺す。そんな不躾な連中とは、触れ合う時間が惜しい。ろくな理由も述べぬまま、気持ちひとつで引き下がる阿呆もいるが、俺が曖昧な態度を貫く限り、無駄を悟って引き下がる。

そう、曖昧だ。
好きという感情がわからない、などと青臭いことを言うつもりはなく、胸の内に湧いた衝動を「それかな」と感じることはある。しかし、その輪郭は依然として曖昧なままであり、そして定まることはないのだろう、という確信もまたある中、そこに画一的な線引きを設けることを俺の信条はよしとしない。

だから、冒頭にあるような馬鹿な問いを提起してこない、お前のような女といるのは楽だった。繋がりに名を設けず、会いたいときに会い、言葉と思考、肌を合わせる。俺はそれを良しとしていたし、お前もそうだと信じ込んでいた。

だが、違った。
お前もまた大方の女と同じように、終わりにしましょう、と別れを告げた。明確な「終わり」など不要な仲だと捉えていた俺は、それだけで些か幻滅した。

「形にならなかったわね、私たち」

お前が去り、一人きりになった部屋。煙草の煙を燻らせながら、お前が残した台詞の余韻を吸い込む。

形。
形というからには型がある。恋人として愛を育み、それを誓って家庭を築く。そんな紋切り型のことを言っていたのだろうか。あるいは、俺とお前しか持ちえない、オーダーメイドの独自の型か。いずれにせよ、俺たちがこの身体を強引に丸め、そういう型の内側に一緒に収まることを、どうやらお前は望んでいた。

「私のこと好き?」

あれだけ安心していたところ、最後の最後でお前は訊いた。わからない、と答えると嘆息され、決められない、と付け加えると涙を流した。

「女の敵」

違う。「お前の敵」だ。味方と感じる女もいる。傍に居続けることができないだけで、存在はする。
お前もそれをわかっているのか、泣きながらも笑っていた。その顔がどこか痛々しく、ほんの少しだけ胸が疼いた。

短く痩せていく煙草にまた口をつけ、煙を吐く。それは空中を白く流動し、やがて薄らと溶けていく。

どうして、決めないといけないのだろう。
決めたら、進まなくてはならない。何か型を用意して、そいつに身体を捩じ込み、時に窮屈さに痛みを感じながらも、生きる道を。

どうしてだ。どうして、わざわざ。

煙を吸う。脳が拡張。俺にとっては愛も情も、この煙草のようなものだ。収縮した脳の血管を拡げ、圧迫される心臓を押し戻し、荒んでいく心を潤す、一服。決して不要とは言わない。ただ、恒常的に必要とも思わない。欲しい時に、欲しいだけ。そうではないのか。

恐らく、面倒なのだろうと思う。

型が無ければ、形が崩れる。崩れてしまえば、容易くは戻らない。その時々に姿を変え、様相を変え。変幻自在であるそれを、絶えず見張り、互いの関係性を見定める。そのような行為が億劫だから、型を設けて当てはめる。

好き。傍にいる。共に生きる。そういう間柄だと、縛る。型が罅割れ崩壊するか、中身の二人が朽ちるかするまで。

怠慢だ。
既成事実に思考停止し、有耶無耶なまま現実逃避。

「一緒にいたかった」

お前の最後の言葉を、俺は吸い込む。吐き出した煙は、輪郭を持たずに消えていく。

それをぼんやりと眺めてから、俺は煙草の火を消した。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。


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