見出し画像

【短編】九回死んで、直列。①

「え。相馬君って、今まで誰とも付き合ったことないの?」

繁華街の居酒屋。掘り炬燵の半個室に、マキコちゃんの声がこだました。
いや、いくら大きな声でも、四方に隙間ありありのスペースで、こだまが生じるなどあり得ない。エコーが響くのは、僕の頭蓋においてだ。

付き合ったことがないの?
じゃあ、女の子と手を繋いだことも、唇を重ねたことも、朝まで一緒にいたことも?
その歳になるまで、一度もチャンスはなかったの?

こだまは止まない。どころか、そこに込められたであろうニュアンスを勝手に脳が汲み取り、次々と違う言葉に変換されていく。人それぞれ。恋愛はタイミング。ピュアなのも魅力じゃん。他の面々が場をとりなそうと掻き集めるワードも、その残響に薄れる。努めて気にしていない振りを装いながら、僕は取り皿のサラダをつつく。

出会いを求め、若い男女が集う場だ。こういう話題が出るであろうことを想定しておくべきだった。あらかじめ上手い返しや誤魔化し方を考えておけば、こうして周囲に気を遣わせることもなかっただろう。

今までであれば、特に気にはしない。しかし、その『今まで』を捨て、今日この場に来ることを決意してきた身にとって、マキコちゃんの言葉は手荒い洗礼とも言えた。

ありがたいことに、すぐに話題は流れ、他のメンバーの仕事の話になった。胸を撫で下ろし、耳を傾ける。しかし、動揺がいまだ尾を引いているのか、話がまるで入って来ず、口に入れる料理も味がしなくなってしまった。

「今日、悪かったな」

帰り際、小峰が言った。男性陣が支払いを終え、各々が連絡先を交換し、駅前で解散となった、その後のことだ。

「ああいうコが来る、って、聞いてなかったんだよ」

マキコちゃんのことを指しているのだろう。「いいよ、全然気にしてない」僕は笑って返す。今日の幹事は小峰とその女友達だ。これが原因で、二人の仲がぎくしゃくしても困る。

「誰とも付き合ったことがないのは事実だし、だからこうしてコンパに参加してみたわけだしね」

今日は誘ってくれてありがとう。僕が告げると、「まぁ、これに懲りずに、また参加してくれ」小匙一杯、苦みを含んだ顔で、小峰は片手を上げ去っていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?