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【短編】IRORI ③

【第10次経過報告】
 対象が私立M学園中等部を卒業。
 高等部への進学は辞退。
 状況に変化が見られぬこと、調査開始から起算して特記事項が僅少であることを鑑み、20XX年4月1日付で本件の対応レベルを1.5へ引き下げ。
 以降、原則として年度報告のみの案件とする。

待ち合わせと言えば、新宿アルタ前か渋谷のハチ公。その両方を下見し、迷った挙句、私は前者を選択した。

街中に出るのは久しぶりだった。予想はしていたが、眩暈がするほど人が多く、その大半が着飾った若者だ。洒落た服など持っていなかった上、何が洒落ているのかもわからなかったため、適当に検索をして、オーバーサイズのパーカーにスキニージーンズ、スニーカーをネットで買って着用してきた。

目の前の往来を眺める。人や車が忙しく流れていく中、ぽつぽつと私と同じように立ち尽くし、スマートフォンをいじる影。そのうちの一人が、待ち合わせの相手を見つけたのか、軽く手を上げ立ち去っていく。

ごくり、と唾を飲んだ。今からあれと同じことをするのだと思うと、緊張で身体が強張る。

「こんにちは」
「ひっ」

突然の声に振り向くと、リクルートスーツ姿に髪を後ろで束ねた女性が立っていた。
思いもしない出立ちだが、切れ長の目、そしてその上にある痛々しい痣は間違いない。

「瀧本さらさです」

肩掛けの黒いバックを膝の前にやり、さらさは恭しく頭を下げた。

「あ、はい。えと、ひたきです。こんにちは」

上擦った声のまま、お辞儀を返す。顔を上げると、先日のプライベート配信で見たと同様、端正な無表情がこちらを向いていた。

「あ、あの、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「えっと、スーツなので、驚きました」
「午前中、たまたま着用の機会がありまして」
「就活ですか」
「そのようなものです」

会話が途切れる。就活のようなもの、とは一体何だろう。疑問に思ったが、深追いはしない。

「では、行きましょうか」

予約したのは、これもネットで評判と言われていたパンケーキ屋。十分ほど歩いて、地下に入る。「パンケーキ、お好きですか」道中訊ねると、「食べたことがありません」との返答。私も本日デビューである旨を告げると、「そうですか」と頷かれた。

会話が弾んでいるとは言えない。しかし、さらさに気負った様子が見られないからか、居心地の悪さは感じなかった。

それでもやはり、緊張は解けない。

席に腰を落ち着かせ、注文を済ませてからも、他愛ない会話で間合いを探るような時間が続いた。

「あの」さすがに剛を煮やしたのか、さらさの方から口火を切ってきた。「先日、お訊ねした問いの答えを教えていただけますか」

単刀直入な物言いに、言葉が詰まる。

あなたにとって、"友達"とはなんですか。

あの問いへの回答を、私は「次、実際にお会いするときに」と保留にしていた。つまり今日この場こそが、そのペンディングを解くタイミングである。

「えっと、回りくどいご説明になってしまうのですが……」

さらさの様子を一瞥する。無言のまま、先を促すような面持ちでこちらを見ている。

「私には友達がいません」思い切って、私は続けた。「少し特異な体質を持っており、物心ついた頃から周囲との接触を避けてきました。中学から不登校になり、高校へも行っていません」
「特異な体質、とは?」

当然、気になるところだろう。
が、「それはまた別の機会に」と横に置く。

「だからでしょうか、私は"友情"というものに、並々ならぬ憧れを抱いています。それはもう、時に自分を見失ってしまうほど」自ずと、パーカーの胸元に手がいく。「このままでは、私はこの感情の奴隷になってしまう。自分を守り抜くためにも、この憧れを昇華させなくてはならない。とある出来事を契機に、私はそう感じるようになりました」

手段は二つ。
友情を手に入れるか、
友情に幻滅するか。

「友達を作ろうと思いました」私は言う。
「友達を作れば、"憧れ"は"現実"になる。そうすれば、私の中からこの感情は消え去ってくれる。そう仮定し、行動に移そうとしました。しかし」

難題がひとつ。友達とは、友情とは何か。それが皆目わからない。

「さらささんのおっしゃる通り、まずはそこをはっきりさせなくてはなりません。今隣にいる人が、友達と呼べるかどうか。その基準を設けなければ、自分が条件をクリアしたのかどうか、判然としない」唾を飲む。「友情を知らない人間が友情とは何かを決める、つまり、これまで体感したことのない対象に、自分なりの定義を設けるのです。自然、他者からの意見を仰ぐ形となりました。と言っても、それを訊ねられる相手すら、私にはいません。苦肉の策で、ネットで検索をかけてはみましたが、しかし、目にする答えは千差万別。中には"定義を求めている時点で、友達とは言えない"なんてものもあり、どうすればよいか途方に暮れました」

お飲み物失礼します。トレイを持った給仕が割って入り、私の前にオレンジジュース、さらさの前にアイスティーを置いて、下がる。
私はオレンジジュースに刺さったストローを咥え、一気に三分の一ほどを飲み干した。

「結論をお伺いしてもよろしいですか」

さらさが問う。ほんの僅か、焦れるような響きを感じた。

「すみません。話が長いですよね」
「いえ、そうではありません。大変興味深いです。ご検討の末、どのような結論を出されたのか、気になります」

ありがとうございます。私はストローから指を離し、ひとつ息を吸って、続けた。

「『利害の一致』。それが現時点における、私の中での友情の定義です」

さらさを見る。ほんの少し、眼光が鋭くなった気がした。

「続けてください」

私は頷く。

「友情に限らず、あらゆる人間関係を成り立たせているのが、これだと思います。利害一致。ドライに思われるかもしれませんが、もちろんビジネスに発生するような金銭利害だけではありません。愛も情も絡めたギブアンドテイクに釣り合いがとれているか。そこが鍵であると感じています」
「そのお話ですと、無償の愛は存在しない、というお考えですか」

まるで予習をしてきたかのようなスピードで、質問が来た。

「いえ。一般に無償の愛と呼ばれる、例えば母親が我が子に対して抱くようなそれも、その実、無償ではないと私は考えています」私は答える。「"利害"という言葉がミスリードでしょうか。説明が難しいのですが、相手の幸不幸が自分の幸不幸にシンクロしている状態。程度の差はあれ、それを愛情と見做している、とでも言いましょうか」

しばらくの間、私の言葉を吟味するように黙った後、「理解しました。的確な表現かと思います」さらさは頷いた。

「つまり、あなたが悲しめば私も悲しい。故にあなたの悲しみを除去する働きかけを行う。前段を利害の一致と捉え、後段を愛情の表れと見做している、ということですね」
「……はい、そうです」

すごいな。
今の説明でここまで伝わるのか。

しかし、本当に舌を巻くのはこれからであった。

「配信を始められたのも、そのお考えに基づくものですね」
「え……あ、はい」
「面白いご見解です」さらさは再び頷く。「なるほど。まずは共同配信者、謂わばビジネスパートナーを募ることで、強制的に"利害が一致する関係"を結ぼうとした。そこからさらに、"幸不幸のシンクロ"へのシフトを試みる。そういうプロジェクトですか」

はい、と応じるべきなのだろうが、唖然として声が出ない。

『プロジェクト』という言葉のチョイスが、いかに私の思考をトレースしてくれているかを窺わせる。最も理解が得難いと踏んでいた部分を、事もあろうか先回りして言い当てられた形だ。

「どうして、そこまで……」
「はい?」
「どうして、そこまでわかるんですか」
「お話いただいた内容から推察しました。不足がありましたら、ご教示ください」

失礼します、と、さらさは目の前のアイスティーに口をつけた。ストローから唇が離れて間もなく、「補足がないのであれば、ひとつお訊ねします」問うてくる。

「何故、泣いていらっしゃるのですか」
「え?」

頬に手を当てる。指先が濡れた。

本当だ。泣いている。
自覚した途端、本格的な嗚咽が込み上げてきた。慌てて下を向き、歯を食いしばる。しかし堪え切れず、俯きながら肩を揺らし、咽び泣くような格好となった。

昼間のパンケーキ屋で、しかも初対面の相手を前に何をやっているのか。情けなくなるが、しかし、止まらない。
目の前のさらさはただ黙り、私が落ち着くまで待ってくれた。

「何か失礼なことを申し上げましたか」

さらさが訊ねる。

「いえ、違います。泣いてしまったのは……」目尻を拭いながら、心の上澄みにある感情を掬い取る。「多分、嬉しいからだと思います」

今まで、こんな話をすることは無かった。
相手もおらず、いたところで理解されないと思っていた。
それに理解を示し、共感してくれた。

「ありがとうございます」

言って、今一度背筋を伸ばした。

この子だ。
この子とならば。

「瀧本さらささん、あらためて、私の方からお願いします。私の相方として、一緒に配信活動をしてください」
「はい、お願いします」

さらさは頷く。

「利害関係を結びましょう」

ほどなくして注文したパンケーキが運ばれ、私たちはお互い、生まれて初めてのそれに口をつけた。ただのホットケーキではないか、と感じたが、「美味しいですね」とさらさが言ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。


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