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【短編】SHINONOME〈5.5〉①

東雲が滝沢さんに説教されている。
俺は少し離れた場所から、椅子に座ってそれを眺めていた。

「それで? 君としてはどうしたいわけだい」

場所は、開店前の喫茶店【Allegro】。壁側にある四人がけのテーブル席に腰掛け、ノートパソコンを触りながら、滝沢さんは訊ねる。店の入り口付近、立たされたままの東雲は、不遜なことにパーカーのポケットに手を突っ込んだ態勢でそれに応じた。

「えーっと、できればなんにもしたくない」

あーこいつ馬鹿だ殺されたいのかな。思いながら、俺は滝沢さんを見る。

「ふうん」

相槌を打ち、ディスプレイを睨みつつ軽やかなタイピング。いかにも事務作業ついでの雑談といった風であるのが、かえって怖い。

「状況を整理しようか」

唐突に手を止めた滝沢さんが、ノートパソコンの蓋を閉じる。座ったまま体を捻って、上半身を東雲に向けた。

癖のかかったロン毛に無精髭、銀縁眼鏡の奥には鋭い瞳。椅子の背もたれに肘を置き、長い脚を組む様は、さながらイケオジ系の雑誌モデル。

しかし、そんな生優しいもんじゃない。

『滝沢幾馬』。

聞く者が聞けば、小便漏らして「ゆるしてください」と有り金全部差し出すような、業界屈指のビッグネームである。

かく言う俺も今すぐこの場から逃げ出したい。しかし、「東雲君を説教するから君も店に来るように」と言われてしまえば、少なくともこの問答が終わるまで、今いる空間から爪の先ほども出すわけにはいかない。

「まず」柔らかな口調で、滝沢さんは始める。「君が雇った女性、瀧本さらさは、かつて君が依頼を受け、その記憶を消した相手であった」

東雲は答えない。

「沈黙は不可。YESかNOで答えなさい」
「……YESです」
「よろしい。では次だ」

滝沢さんは続ける。

「その瀧本さんの目的は君から消された記憶を取り戻すこと。しかし君は一向に応じようとはしなかった」
「YESですー」

語尾を伸ばすなこの野郎これ以上俺を冷や冷やさせんじゃねぇと苛つくが、しかし東雲は何食わぬ顔(と言っても大半マスクで覆われている)。本当、どういう神経してんだ、こいつ。

「暴走した瀧本さんは君の元を離れ、事もあろうか過激派の早蕨ミツルと手を組んだ。それだけじゃない。同じ異能者であるヒトカゲと、都市伝説とまで言われていた存在、イロリまで仲間に引き入れる大立ち回り。結果、界隈のバランスが崩れ、一触即発のムードが漂っている」

滝沢さんは銀縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、東雲を睨む。

「この責任の所在は、君にあるとは思わないか。東雲君」
「ノー」

あ、死んだ。死刑確定。最終回だ。

「どうして?」

あくまでジェントルに訊ねる滝沢さん。俺はぶるりと身を震わせる。

「だってー、誰もあいつがここまでやるとは思わないじゃん。拗ねていじけて暴走した挙句、よもや新興勢力を作り上げるなんて、そんなの普通あり得ないよ」
「普通、ね。ところで彼女は普通の女の子かい?」
「全っ然。ガチで異常なエキセントリックガール」
「そのエキセントリックガールを一時飼っていながら、手綱を離したのは誰かな」
「東雲紫陽クンでーっす」
「そろそろ巫山戯るのは止めにしようか」

空気に罅が入る音。
さすがの東雲もこれ以上はヤバいと思ったのか、ポケットから手を出し居住まいを正した。

いや、遅えよ。

滝沢さんは立ち上がり、前髪を大仰に書き上げて見せる。
百九十センチはある筋骨隆々とした体躯と、細身で小柄な東雲が、俺の視界の中、コントラスト鮮やかに対峙する。

「特例保護指定対象No.4、東雲紫陽君」
「ハイ」
「監督官として命じる。君個人の責任において、本事態の収拾を図れ」

否。収拾しろ。
すぐさま言い直して、滝沢さんは東雲の反応を待った。

「……期限は」
「一週間」
「いっしゅうかぁんん?」
「それ以上は待てない。君が考えているより、遥かに事態は深刻だ」
「深刻って……」
「下手すればウチから死人が出るぞ」

『死人』の言葉に思うところでもあったのか、東雲は口をつぐみ(だからマスクで見えないんだけど)、しばし黙る。やがて観念したかのように、太く短い息を吐いた。

「わかった。やるよ。りーちゃんも一緒でいい?」
「力也は今回、貸さない」
「はいぃ?」

今までで一番大きなリアクション。確かに、東雲と一原力也は常にタッグを組んでいる印象にある。ホームズとワトソン、ばいきんまんにドキンちゃん。二人がバラでミッションに当たるところなど、俺が知る限り見たことがない。

「言ったろう。これはあくまで、君個人の責任問題だ。そこに一原力也の名前が登場してみろ、途端に組織対組織の構図ができあがる。体裁というのは大事なものだよ。ただの喧嘩が、無関係な他者を巻き込んだ戦争になりかねない」
「えーじゃあ、僕一人でやんの? 横暴だ。ぶーぶー!」

野次を飛ばす東雲。
果たしてこいつには、首の皮一枚で極刑を免れた自覚がないのだろうか。

「一人とは言っていない」

腕を組みながら滝沢さんが言う。
瞬間的に嫌な予感がしたが、しかし俺に止める術などない。

「要は力也ほど名の知れた人材でなければいいわけだ。その点、我が喫茶【Allegro】には打ってつけのキャストがいるじゃあないか」

腕を組んだまま、指先を小さく振って、滝沢さんは俺を指す。

予感的中。
やっぱりか。

ここでようやく東雲の視線がこちらへ。わざとらしく両手を広げのけぞって見せる。

「わあ、ハチ。なんだいたの」

気づいてなかったわけねえだろテメェ何ならもっかい怒られろ。
胸中で毒づきながらも、俺は立ち上がり、慇懃に頭を下げた。

「お久しぶりです。東雲先輩」

さぁ、面倒ごとの始まりだ。


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