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【掌編】秋と桜と君と血と

秋桜って、残酷な名前よね。

開いた窓。少し冷たくなった風に吹かれながら、しかしその長い髪を一本たりとも乱すことなく、君は言った。

「残酷?」正面に立つ僕は問い返す。「秋に咲く桜。思いついた者の感性を称えたいほどに、風流で趣のある名じゃないか」

安直。赤黒く染まった左手首をそのままに、君。

「だって、桜が無ければ、この名前は成立しないでしょう。桜は美しく素晴らしい。その前提があって初めて、この花の美しさが語られる。秋にも桜が見られるなんて僥倖だ。まぁ、本物の桜が見られるならそれに越したことはないけれど。そんな響きを感じないかしら」

美しさを語るのに、他の美しさを持ち出すなよ。
眉間に皺を寄せ、目を見開き、君は吐き捨てる。

あぁ、拗らせてんな。僕は思う。出会い頭に脈略もなく花の話とかし始める辺り、いかにも。どうにもここいらに原因がありそうだな、と当たりをつけ、僕は説得を始める。

「もしかして君もある意味では秋桜で、君にとってもまた、桜に当たるような存在がいる、ということかな」

ある意味で、という逃げ道を残しておくのがポイント。それが絶対的な指標ではないことを布石として匂わせておく。

「えぇ、そうよ」手首から血を滴らせながら、君。「私の前には、いつもあの女がいた。いくら上手に歌っても、いくら華麗に踊っても、受ける評価は『まるで彼女の再来だ』。ライブの動員数もチェキの売上げも私の方が上なのよ? おかしくないかしら」

不平不満に続いて、『あの女』に対する呪詛の言葉が並んでいく。負のオーラに満ちたそれらを馬耳東風に聞き流しながらも、君がとある地下アイドルグループのセンターで、センターとしては二代目で、そのグループは界隈では人気のある方だったけど、その人気の立役者は君じゃなく一代目であることを僕は知る。

「あの女は死んだから伝説になったのよ」一際荒い声音で、君は言う。「生きていたら、私に敵うはずがなかった。私の方が上だと証明してやれたのに」

フローリングの床が抜ける勢いで、地団駄を踏む君。だんだんとけたたましい音が室内に響く。

なるほど、家主が言っていたのはこの音か。

きちんと地に衝撃を加え、空気に振動をもたらす。それを叶えている時点で、相当な念が込められていることがわかる。決して乾くことなく滴り落ち、床に染みを作っている血も同様。

右手に持った数珠のひと玉を指先でいじる。
さて、どうしようか。

成仏させるには、未練を断ち切る必要がある。この場合、君の満たされぬ想いを充足させればいいわけだ。秋桜も素敵だよ僕は桜より秋桜派だな路線でいくか、そもそも君は秋桜なのかもっとど派手な向日葵あたりではないのか路線でいくか、それとも。

「ねぇ、あなたはどう思う」君が語りかけてきた。「あの女と私、どっちが可愛い? ルックスだけじゃなくて、ちゃんとパフォーマンスも評価に入れて頂戴ね。アイドルを単なる性の対象として消費する連中なんてもう沢山。私たちはエンターテイナーであって、自身を商品かつ作品に仕立て上げてお金を稼いでるの。お金を稼ぐということは、それに見合う価値を提供しなくてはならないということよ。それをあの女は果たしてわかっていたのかしら。パンチラ見たさに最前列に陣取るような下卑た客層に媚び売るだけで、自分を高める努力を一切しない。そういう心意気は人相にも出てくるものよ。その辺りもきちんと感じ取った上で、あなたには正当なジャッジをして欲しいの。ねぇ、あなたはどっち派? あの女? それとも私?」

うぜぇ。数珠を投げつけたくなる衝動を、すんでのところで堪える。
しかし君の攻撃は止まない。

「ねぇ、どっち? ねぇ。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ聞いてんのねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ!?」

「五月蝿ぇよ」

いい加減「ねぇ」がゲシュタルト崩壊しかけたところで、僕は思わず返してしまった。
一度は堪えたのに、畜生。

「はぁあああ?」君の顔が、信じられない、と言ったふうに歪み始める。「あんた誰に向かって物言ってんの? 世紀末☆美少女TYPE-Sのセンター、秋野みつきよ。握手してチェキ撮んのに一時間待つのよ。その私と私の自室でかれこれ十五分以上喋ってんのよ。あんたみたいな平凡な男には普通ならあり得ない幸運なのよ噛み締めなさいよ咀嚼咀嚼!」

とりあえずグループ名終わってんな。思いながらも、僕は数珠を顔の前に差し出す。

路線変更だ。要は祓えばいいんだろう。力技になるが仕方がない。

「五月蝿いから五月蝿いって言ったんだ。ついでに言うと君がさっきみたく踏む地団駄の音も他の住人から苦情になってる。あとその手首。そこから溢れてできる血溜まりが消しても消しても染みになって浮き出てくるらしい。睡眠薬の過剰摂取で死んだ癖に、手首まで切るなよ。おかげでいい迷惑だ」
「うるっさいわね! 生きていてもあの女の影が付き纏うだけなの。だったら私も死んでレジェンドになるしかないじゃない。これが本当の『楽々☆ハーピー・レジェンド』よ!」
「ちょっと仰っている意味がわかりません」
「私のソロ曲のタイトルでしょおがぁあ!!!」

一際大きな音をたて、床を踏み鳴らす君。壁からもクラック音が響き始めた。
煽りすぎたか。
早めにカタをつけないとまずいかもしれない。

「知らないんだよ」リズムを刻む足音をBGMに、僕は言う。「君の名前も君のグループも君のソロ曲も。全然知らない」
「それは! あんたが! 無知な! だけ!」
「僕だけじゃない。人類の大半が君を知らない。君を支持しているのは極小規模のマイノリティだ」
「今は! そうかも! しれないけれど! やがて! 世界に! 羽ばたく予定!」

確かにリズム感はいいな、君。
でも残念。

「少なくとも僕はファンにならない」

足音が止まる。

「じゃあ、何? あんたもあの女時代のTYPE−Sがいいって言うの? みつき派じゃないわけ? 私はやっぱり秋桜で、あなたもあの連中と同じように桜が見られるに越したことはないとか言い出すわけ?」
「言い出さない」
「じゃあどっちなのよう!!」
「どっちでもない。興味ないんだよ、アイドルとか」

僕は数珠を翳し、もう一方の手の人差し指と中指で、空中に点を打っていく。

「一つ目は母のため。
 二つ目は父のため。
 三つ目は祖のため。
 四つ目は裔のため。
 五つ目は己のため」

宙に打たれた五つの点は光を帯び、それらを結ぶ線が伸び始める。

「お待たせ。六つ目は君のため」

君と僕の間には、仄かに光る正六角形。それは徐々に、しかし真っ直ぐ、君に向けて近づいていく。「何よこれ」慄きながらも、地縛霊の君はそこから動けず、せいぜい身を捩ることしかできない。

「何。何なのよ、あなた。キモい! ていうか、アイドルに興味ないって何なの? そんな男いる? あれ? 私テレビ観ないんです最近の有名人全然わかんない的な、大衆に与しないスタンス装って悦に入ってる系? その時点でキモいんですけど」
「その程度で気味が悪いと感じるところが、君を追い詰めた最たるものだ」
「はぁ?」
「さっきも言ったろう。君が相手にしているのは、極小規模のマイノリティ。この世にはみつき派とそれ以外派以外に、そもそも派閥に属さない連中がごまんといる」
「だから、それはまだTYPE−Sがメジャーじゃないから……」
「メジャーになったところで同じだよ。時の首相の名を知らない国民だっているんだぜ。それでも回るのがこの世界さ」
「だぁかぁらぁ! その世界を振り向かせるために頑張ってるんでしょうが!! 血反吐吐いて歌って踊ってやってんの!! アイドル舐めんじゃないわよ」
「舐めていない。興味がないだけ」
「もういい、あんたとは分かり合えない! 言葉が通じない! 価値観が違う!」
「正解。そういう人種がいることを君は知るべきだった」

もったいないことをしたね。
僕が告げると同時に、光る六角形が君に接触。それは君の身体と同化し、朧げだったその輪郭が、輝きを増しながら崩れていく。嫌だ、嫌だと泣け叫ぶ声。散っていく君の欠片。
やがて観念したのか、綻びゆく自分を受け入れるように、君は項垂れ、動かなくなった。

「ついでに言うと、僕は花にも興味がない。秋桜ってどんな花だっけ」

すでに顔だけになった君は、目線を少しだけ僕にくれた。くすん、とひとつ鼻を啜り、か細い声で答える。

「実は私も知らない」

言い残し、君は消え去る。

いまだ床に染みを作っている血溜まりが、赤く、君が生きた証を残していた。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。


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