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【短編】SHINONOME〈5.5〉③
念のため伺いたいのですが。
そう前置きして、影山は俺を見た。
「あなた、滝沢幾馬さんあるいは一原力也さんではないですよね」
「……違うっスけど」
答えると、「良かった」とさして感慨も無さそうな顔で、影山は息を吐いた。「その二人のどちらか、あるいは両方と遭遇した場合、有無を言わずにまずは引け、と言われているもので」
誰から言われているのだろう。早蕨ミツルか。
「こいつはハチだよー。雑魚キャラだから、安心して」
雑魚で悪かったな。
「で。あなたはヒトカゲさん、かな?」
東雲が問う。
影山は躊躇う様子もなく、「はい」と頷いた。「自分で名乗っているわけではありませんが、そう呼ばれていますね」
俄かに緊張が走る。名前からしてもしや、と身構えてはいたが、案の定だ。
現在日本で公に認知されている異能は、決して多くはない。通称やコードネームが用いられるレベルになると、十にも満たない筈。その内の二人が、こうして目の前で相見えているのだから、類を見ない特異な状況と言える。
考えるのは、やはり瀧本さらさのこと。
見る者が見れば歴史的瞬間とも捉えかねないこの邂逅を、自身の無邪気な行動で軽々と実現させている。
なるほど。東雲の言う通り、ガチで異常なエキセントリックガールだ。
「座っても?」
影山に訊ねられ、東雲は「どうぞー」とシェイクを啜りながら、ソファ席の奥へと身体をずらした。
え、そっちに座んの?
影山はちらりと俺を見た後、空いたスペースに腰を落ち着かせる。持っていたトレイをテーブルに。かくして、俺の目の前で異能が二人、飲み物と共に横に並ぶという光景が出来上がる。
なんかもう、どこから突っ込んだらいいのやら、よくわからなくなってきた。
恨むぜ、瀧本。パンピーの俺には荷が重い。
「さて。ヒトカゲさん」
「できれば影山でお願いします」
「失礼。影山さん」
「ありがとうございます」
「まず、あなたがヒトカゲ当人であるという証拠を見せて」
さも当然の流れであるかのように、東雲は手を広げて要求した。
「あぁ。それはそうだ」影山も抵抗なく頷く。「どうしましょうか。要は異能を持つことをご納得いただければよいのですよね」
「そゆこと。話が早くて助かる」
「あまり公共の場で見せたくはないな」言いながら、影山は胸ポケットから小銭入れを取り出し、十円玉を摘んでみせた。
そしてそいつを、指先で二つに折って見せる。
ぞくり。異質な現象を前に、俺の背筋に悪寒が走った。
「これでよろしいでしょうか」
「うん。ありがとう」東雲は頷く。「十円、もったいないね」
「必要経費です」
折れ曲がった分、幅を効かせる十円玉を、小銭入れに戻してポケットへ。
なるほど。これが、ヒトカゲの持つ異能。
人並外れた怪力の持ち主。
「強いのは指の力だけです。無闇に力を使ったりはしませんので、ご安心を」
俺の思考を読み取ったかのように、影山は補足した。そして東雲を見る。
「他に確認事項はありますか」
「あなたが瀧本さらさに協力する理由は」
間髪入れずに東雲が問う。
これにも淀みなく、影山は答えた。
「端的に言うと、弱みを握られました。借りを作ってしまった、と言ってもいい。それを返すため、ひとつだけ無条件で依頼に応じることとしました」
「なーる」
「なーる?」
「なるほど、の略」東雲は言う。「あいつ、相変わらず手段を選ばない奴だな」
「彼女の場合、天然かと。打算的ではありますが、悪気があってのことではない」
「まぁね。そこが厄介で、面倒くさい」
「同感です」
何やら意気投合していらっしゃる。
しかも他人の悪口で。
「僕の居場所は? 今日ここにいることはどうしてわかった?」
東雲は重ねて問う。
「正直に申し上げると、早蕨ミツルから聞きました。今あなたに敵対している勢力、その親玉。彼がいかにして情報を入手したか、それについては不明です」
「情報の内容は」
「あなたが今日、喫茶【Allegro】に呼び出しを受けていること」
「早蕨はあなたがここにいることを?」
「もちろん知りません」
「このマックにいることは何故わかった」
「お好きだと聞いたので、先回りを」
「それは誰の情報?」
「瀧本さらさです」
ふ、と東雲は息を吐く。マスクでよくは見えないが、笑みを漏らしたようにも映った。
「まぁ、いっか。一応信用してあげるよ、影山さん」
「ありがとうございます」
「で」片眉を上げて、東雲。「こちらの作戦会議に参加したい、その心は?」
「趣旨としては、根回しです」
テンポよく打ち返し、影山は続けた。
「瀧本さらさの個人的な我儘。表向き、彼女の依頼を引き受ける形を装いつつも、それを利用し、早蕨ミツルはあなたに危害を加えようとしています」
「ふーん」
「そして恐らく、私がその実行部隊に入る公算が高い」
俺の指がピクリと反応する。東雲もまた、影山を見る目を細めた。
影山は続ける。
「ごく普通に考えて、あなたの能力である《オーダー》を無効化する方法は、シンプルにひとつだ。物理的に声が出ない状況にする。端的に言えば、喉を潰してしまえばいい」
「そだねー」飄々と、東雲。
「私が指で弾けば、大概のものは潰れます。手も、足も、喉も」事もなげに影山は言う。「できればそんなことはしたくない」
「かと言って、瀧本さらさを裏切ることもできない。だから穏便に事を済まそうと、こうして事前の擦り合わせにやってきた、ということかな」
「おっしゃる通りです」
影山は頷く。そして、ふ、と小さく笑みを溢した。
「何が可笑しいの?」
「いや、失礼。本当に話が早くて、助かります。瀧本さんの話から受けるあなたの印象はもっとこう……無茶苦茶で破天荒な方でした」
いや、それ間違ってないですよ影山さん。こいつ基本無茶苦茶です。
「あいつ何言ったんだよ。今度ぶっ飛ばす」
東雲が言うと、
「その『今度』について、お話したい」すぐさま、影山。「単刀直入に申し上げると、先ほどこちらの……ハチさん、でよろしいですか」
「あ、はい、ども」
こちらを見る影山に向け、俺は頷く。
「ハチさんがおっしゃった案が私も最善と考えます。つまり」
《オーダー》の力で、瀧本さらさに諦めさせる。
「どうか今一度、ご検討をいただきたい」
東雲の纏う空気が、にわかに騒めくのを感じた。
「いや、影山さん。話を聞いていたかな。それはさらさの精神に負荷がかかる。いざと言うときの最終手段だ」
「そうでもしないと彼女は止まりませんよ。それはあなたもわかっているはず」
説得になど応じない。
嘘を吐けば見破ってくる。
それが、瀧本さらさ。
「どころか、彼女もまた、あなたに能力を使うことを強いてくるはずです」
「は? どゆこと」
「『思い出せ』。そうあなたに命じさせるつもりかと」
「いや、命じねーし」
「命じさせます。恐らくそのために、私ともう一人が呼ばれた。何らかの方法であなたの自由を奪い、従わざるを得ない状況にまで持っていくのでしょう」
「かーっ! やることが極端。もうやだー」
またまた机に突っ伏す東雲。
コミカルな反応を見せているが、これはなかなかまずい状況ではないか。俺は思う。
自由を奪う。今ほど影山が言った言葉が、どうにも見逃せない。何故なら今回、それを阻止するのが、滝沢さんから課されたであろう俺の役目であるからだ。
「あなたの他にもう一人、イロリという異能がいますよね」
唐突に割って入った俺に、影山は一瞬、意外な顔をして、こちらを向いた。
「はい。おります」
「イロリの能力は何ですか」
訊ねる。
滝沢さんの言っていた通り、イロリに関しては存在は確認されていたものの、半ば都市伝説のような扱いだ。公安にマークされた異能がいる、という話だけがまことしやかに囁かれ、しかし、その正体についてはいまだベールに包まれている。
そんなアンノウンが敵陣に与し、東雲の自由を奪う、その一端を担わんとしている。あらかじめ情報収集をしておくのは当然の危機管理と言えるだろう。
しかし、
「すみません。それは申し上げられません」
影山は言った。
俺は思わず身構える。
「どうしてですか? 事前の根回しに来られたのでしょう。手の内を明かしてもらわない限りは、こちらも信用することができませんよ」
「申し訳ない。しかし、私の口から伝えるわけにはいかない」
「だから、何故です」
「個人情報だからです」
は? 俺の疑問符に対し、影山は淡々と答える。
「あなた方にとっては、我々が持つ能力は戦術を左右するカードのようなものなのかもしれない。そのような側面があることもまた承知しています。しかし、我々当事者にとってこれはまごう事なき、そして往々にして隠したい類のパーソナルデータだ。女性のスリーサイズを知っていたとして、それを無断で口外するのは非常識でしょう。卑近な例で恐縮ですが、それと同じ話だ、と思っていただきたい」
はぁ、なるほど。言われてみればそうかもしれず、これは認識を改めなければと反省しかけたところで、「そうだぞハチ、このスケベ、ノンデリ、道徳の時間寝てたのかよ、バーカ」と東雲が合いの手を入れてくるので、反省を怒りで上塗りされる。
殴りてえ。ノンデリついでに、てめぇの個人情報あますことなく拡散してやろうか。
「でもさ、ヒトカゲさん」
東雲が言う。
「影山でお願いします」
「いいや、ヒトカゲさん」
チリ、と空気が爆ぜる音がした。
睨みつける影山の目線を、東雲のブラックホールのような黒い瞳が吸い込む。
「ハチが今言った通り、残念ながら根回しの相手にそれは通用しないね。ひとまずは信用して話を聞いてみたけれど、肝心なところでそれじゃあ、こちらとしては疑心暗鬼にならざるを得ない」
「……私が罠を仕掛けている、と?」
「それもありうるし、そうでなかったとしても問題だ。極論、あなたが僕らに協力的であったとしても、そのイロリの方が邪魔をしてくる可能性だってある。公安が長年マークしていた異能。それに対して事前策を講じないのは、こちらとしては、リスク以外の何物でもない」
「イロリが積極的に邪魔をしてくることはまずありません。それは私が保障します」
「その保障の根拠は?」
「そういうタイプではない、と私が判断しました。しかし、これも信用してもらうしかないですね。ただ仕事柄、これは本業の方の仕事柄ですが、人を見る目は養われているつもりです」
「”人を見る目”、ねぇ」
分が悪いことを悟っているのだろう、ふ、と苛立たしげに息を吐いて、影山はトレイに載ったカップに口をつけた。
「わかったよ、じゃあテストをしよう」
「……はい?」
東雲の声に、影山は訝しむ。
「あなたのその”人を見る目”とやらが信用できるか、試させてもらう。信用できると判断した場合、ご提案については前向きに検討させていただくということで」
「試す、と言うと?」
うん。影山に向けて頷き、おもむろに東雲は俺の方を指差した。
「ここにいる、ハチ。こいつが僕とどのような関係性か、当てて見せて」
「…………は?」
影山の疑問符が飛び出す前に、声を出してしまったのは、俺の方だった。
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