【短編】ビタースウィート、或いは紅蓮。⑤
チョコレートの包み紙を渡してきた奴がいてよ。その時に俺は感動したんだ。
恍惚とした表情で、《物乞い》は語り始めた。
「銀行員をやっていると、いわゆる『金の亡者』とも言える客に出会う。金は金を増やすための手段であり、金を増やす目的もまた金である。そんな連中だ。俺は投資を担当していたからな、そういう客との遭遇率は高かった。そんな奴らの相手をしていると、次第に感化されちまうんだよ。この世の中のものは、大抵が金で買える。つまり、金は世界とほぼ等価。金より価値のあるものがどれほどあるか、当時の俺はわからなくなっていった」
だから、訊いてみることにしたんだ。
さも当然の流れであるかのようなトーンで、《物乞い》は続ける。
「その辺の客を数名とっ捕まえてよ。嘘偽りで誤魔化せぬよう、刃物で脅し。がたがた外野が五月蝿えから、関係ねぇ奴全員店から出させた上で、ちょっとしたアンケートを取ってみた」
お前の手持ちで最も価値があると思うもの。
そいつを選んで俺へと差し出せ。
「四人だったか。適当に選んだ面子だったが、四者四様でなかなかの人選だったぜ。一人は家の権利書だと言ったな。念願のマイホーム、なんとその日にローンを組み、頭金を支払っていたらしい。一人は結婚指輪だ。愛の結晶であり、売ればそれなりの金にもなると。一人は腕に巻いた時計を指した。新入社員で、内定時に親からプレゼントしてもらったと」
最後の一人が、チョコレートの包み紙だ。
「初めてやった小遣いで、娘が母親である自分のために買ってきたんだと。以来、その包み紙を肌身離さず持ち歩いている。私の宝物です、と胸を張っていたな。いやぁ、感動したよ。泣かせにくるもんだ」
だから全員に対して言ってやったんだ。
「お前たちが大切にしているもの、それに対する思いもわかった。俺も人の子、事もなげにそいつを奪うのは忍びない」
ここはお前たちが持っている通帳と印鑑、それで勘弁してやるよ、ってな。
「驚いたぜ。全員が全員、それは困ると渋り始めた。あのチョコレートの母親までもだ。おいおい待てよ、と笑っちまったぜ。俺は最も価値のあるものを差し出せ、と言ったんだ。なのに結局、皆が皆、物はいいけど金は勘弁、これがないと生きてはいけない、という顔をしやがる」
一番大切なものは、決して他人には差し出さない。
「自分のものだ」と後生大事に、懐に抱えて離さない。
「それが人の習性である、と俺は学んだぜ」《物乞い》は言う。「ただこの期に及んで嘘を吐かれたことがショックでよ。これじゃあ刃物で脅した意味がねぇ。ムカついてきたと同時に、もしかして偽物だと思われていやしないか、と不安にもなってな」
とりあえず、チョコレートの母親の足を刺した。
「ぎゃんぎゃん喚きながら、赦しを乞うてきたぜ。通帳も印鑑も渡す、だから命だけは勘弁してくれ、って。それを見て、あぁ、これかと思ったよ」
一番大切なものは、命。
物より金、金より命。
「いや、本当にそうか?」天を仰いで、《物乞い》。「なんたって、俺は一度騙されている。また嘘を吐かれているんじゃねえか。もしかしたら命より大切なものが、こいつらにはあるんじゃねえか。それは何だ。やっぱり金か。さぁ、困った。ここまで疑い始めると、もはや人質の四人は用済みだ。何を質問したところで、その答えを信じることができない」
だから、今度は自分を刺した。
「支店にある億単位の現金。その気になれば、そいつを盗んで逃げることもできるこの状況。この状況下で、生死を脅かす致命傷を負えば、俺はどちらを惜しいと思うか。ここまできたらとことん試して、真実を見極めてやる。そう意気込んで、自分の腹にその切先を向けた」
「なんてことを」
黙って聞いていた私だが、そこは口を挟まずにいられない。
自ら命を。一度不本意にも生死を彷徨った私にとって、そして今日また不本意にも誰かをその道に追いやった私にとって、決して無視はできない所業だ。
「いや本当、"なんてこと"をしちまったんだ、と思ったよ」にやにや笑いながら、《物乞い》はこちらを見る。「金か命か。馬鹿を言え。断然、命だ。百ゼロだ。血が流れる度、体温が引いていく度、死ぬのが怖くて仕方がなくなった。金なんか要らない、物なんか要らない、誰かこの命を救ってくれ、と心の底から切に願った」
長く語り過ぎたな。《物乞い》は笑みを引っ込め、指を二本、揃えて伸ばす。
「この件で俺が学んだことはふたつ」
最も大切なものを、人は誰にも差し出さない。
そして物より金、金より命に価値がある。
「だから長い間、お前みたいな奴を探していたよ」
《物乞い》は細長い脚でショーちゃんを跨ぎ、私への距離を詰めた。
「なぁ、教えてくれよ」
そして、くれよ。
霊体である筈の指が、私の髪を柔らかに撫でる。
「持ってんだろう、命より大切なモノ」
*
《物乞い》の存在感ある佇まいと、衰弱して寝転がっているショーちゃん。それらに目を奪われ気がつかなかったが、ロビーの奥には様々なものが散乱していた。一番多いのは財布、その他には服や装飾品の類、本、情報端末、ペン、手帳、数字の書かれた小さい箱など。その多種多様なジャングルの中に、ショーちゃんの制服のリボンも紛れている。視力の良い私でも、目を凝らさぬと視認できぬ距離だが、そのリボンの赤ははっきりと認知できた。
「あれは、あなたが奪ったものたち?」
「ん? あぁ、あれか。奪ったんじゃない、貰ったんだ」
《物乞い》は口元に笑みを浮かべながら、答える。『差し出せ』と脅しておいて、『貰った』とは、随分な物言いだ。
ミノが言った通り、異常者。どうにも人としての根本が捻じ曲がっている。その偏屈さが極まり、こうしてここに縛られるに至ったのだろう。一番価値があるものを。あそこに散乱する物の数だけ、訪れる者にそれを問うてきた。
命より大切なもの。それを持つ誰かに出会うまで。
それが、私。
私?
そんなものが、私にあるのか。
「わからない」
「あん?」
《物乞い》の目が私を睨む。凄みに圧され、反射的に身体が竦む。
「ごめんなさい。あなたが言う『命より大切なもの』が、果たして私にあるのか、よくわからない」
《物乞い》は真顔になり、再び手を伸ばして、私の髪を撫でた。頭頂部から頭の形に沿ってするりと指先を移動させ、胸の下にある毛先に至るまでスライド。その先端を摘んで、ちりちりと弄ってみせる。
「なるほどな。無意識というパターンもあるか」
毛先を離して、《物乞い》は言う。
「無意識?」
「お前自身も、自分が何に一番価値を感じているか、気づいていないってことだよ」
そうなのだろうか。いや、そんなことはない。
やはり私が一番に優先してきたのは、私自身だ。だからこそ、こんな事態に陥っているのではないか。
ショーちゃんも、ミノも、安藤も。私のその身勝手さ故に。
「二番目以下だ」こちらの思考を読み取ったかのように、《物乞い》は否定してくる。そして体をずらし、横たわるショーちゃんを顎で指した。「お前の連れ、見たところ同級生か? このショートカットの女もそうだったぜ」
「え?」
「お前よ、この冷ややかな美人が何故今の学校を志望したか、知っているか」
唐突な問い。「それは……外の世界を見てみるためで……」歯切れ悪く答えると、「違う違う」と手をひらひらさせる。「その世界として、お前も通う学校を選んだ理由は一体何か、って話だよ」
無言で首を捻る。
知らない。ショーちゃんが、うちの学校を選んだ訳。
「制服が可愛かったから、だとよ」
鼻で笑うかのように、《物乞い》は言った。
「何でも中学はセーラー服だったらしくてな、ブレザーにチェックのスカート、ベストやセーターにリボンタイという出立ちに昔から憧れていたそうだ。特にリボンに至っては、学年ごとに色が違うんだろう? 今年入学すればお目当ての臙脂色。そこに間に合うよう、必死こいて勉強したようだぜ」
思わずショーちゃんを見る。
何も言わず、何も言えず。冷たく固い床に、力無く横たわっている。
「……ショーちゃん……」
「突っ慳貪な性格に見えて、なかなか可愛いところがあるじゃねえの。でも本人は大真面目なようだったぜ。その場でリボンを外し、俺に突き出してこう言った。『これは私が掴んだ自由の象徴。これ以上に大切なものは、今はない』」
だから同じように、教えてやったさ。お前の最も大切にしているものは、それじゃない。
「リボンを外したその胸元に見える、数珠。そいつがお前の本命じゃねえの、と」
びっくりしたぜ。《物乞い》は笑う。
一瞬、目の前がブラックアウトしたかのように固まった後、ショーちゃんは咆哮し、《物乞い》へと向かってきたと言う。
「荒れ狂うほどの勢いでよ。やれ一つ目が何たら、長ったらしい呪文を唱えて、ちっちぇえ六角形を何個も投げつけて来たぜ。何らか霊的な力を持つものなんだろうが、俺からすれば、雪合戦の雪玉だ。当たって弾けて溶けていく。脆く儚い弾丸だったよ」
いやぁ、しかし良かった。ひと時の高揚、それを脳内で反芻するかのように、《物乞い》は続ける。
「大方、図星を突かれて気まずかったんだろうな。整った顔を悲壮に歪めて、何度も何度も挑んできた。美人の苦悶ってのはそそるもんでよ。どこまで歪むか見て見たくなり、こっちも目一杯煽ってやった」
お前の本質は、その数珠。つまり祓い師としての自分だ。
御目当ての制服を着たところで、女子高生になどなれやしない。
お前がしているのはごっこ遊び。ただの仮装。
いい加減、目を醒ませ。
「話ぶりから態度から、なんとなーく効きそうな台詞を食らわせたら、これがもう大当たり。黙れ黙れと泣きべそをかきながら、雪玉を量産してぶん投げてくる。体感で三十分は続けたんじゃねえか。終いには力尽きて自滅。今はこうして虫の息、ってわけだよ」
くはは。愉快げな《物乞い》の声。
私はそれに、反応することができない。
思い浮かべる。
三十分間、涙を流して取り乱すショーちゃん。
三ヶ月ほど前、悲願の制服を前に歓喜するショーちゃん。
そして三メートルほど先、ボロボロに衰弱しきっている、ショーちゃんを見る。
ミノが言っていた。《物乞い》と対峙した祓い師のうち、幾人かが自死を選んでいる。
おそらくそれら皆、今のショーちゃんの成れの果てだ。
突かれたくない本質を突かれ。
暴かれたくない本性を暴かれ。
見たくもない本心を見抜かれ。
守り抜くべき本懐を蹂躙され。
自己が崩壊した。
自分で自分を殺すして終わりにするしか、整合性が取れなくなった。
見つめた先、ショーちゃんの寝姿が滲む。
悔しかったよね、ショーちゃん。
悔しいよね。
ううん、違う。
私が、悔しい。
「本題に戻るぜ」《物乞い》が私に向けて手を伸ばし、「教えてくれよ。命より大切なモノ」また私の髪に、触れる。
「触んな」
「あ?」
私は頭に載った《物乞い》の手を払い除け。
目の前に迫ったスーツ姿、その腹、鳩尾あたりをグーで殴った。
う。小さく呻く声が聞こえる。
「……ってぇ。何だぁ?」
「ショーちゃんほどじゃないにしろ、ぶっちゃけ自己採点、私だってそこそこ可愛いの」私は言う。「こうして勘違いヤローを撃退したことだって、一度や二度じゃないんだから」
「……雪玉よりよっぽど効いたぜ」
「痛い!」
《物乞い》の手が私の髪を鷲掴みにする。そしてそのまま強く引っ張り、顔を近づけてきた。
「何がスイッチになったか知らねえが、急に元気になりやがって。やっぱり命が惜しくなったか、あぁん?」
「……さっきも言ったでしょう。くれてやるわよ」間近に迫る顔を睨む。「ただその前に、ショーちゃんを泣かせた分、ぶん殴ってから死んでやる」
「ショーちゃん? あぁ、この女か」
《物乞い》は髪を離し、私の背後へ。今度は後頭部を丸ごと掴み、私をショーちゃんの方へとぶん投げた。前のめり倒れ、頬が床に。目の前に、乱れた髪が簾のようにかかった、ショーちゃんの顔があった。
煤けて、窶れて、青ざめて。泣き腫らしたことがわかる瞼の赤だけが、鮮やかに痛々しい。
だが。
「……ショーちゃん?」
ショーちゃんは弱々しくも目を開けて、私を見つめていた。強く何かを念じ、必死で伝えるかのような。その表情のまま、数珠がだらしなく絡みついた手の指を動かし、人差し指を立ててみせた。
その指先を見て、またショーちゃんの目を見る。瞳の中、光がゆらりと揺れる。
すべてを察し、私は頷く。
オーケー、ショーちゃん。
"一回"ね。
「なぁ、頼むよ」頭上から《物乞い》の声が降る。「無駄な手間は取らせんな。お前の中にある、一番大切なものを教えてくれりゃあ、それでいい。そしたら残りの二人は無事に帰してやるからよ」
床につけた耳に、迫り来る足音がダイレクトに伝わる。普通の霊は足音などしない。重量がないからだ。それがこいつに至っては、生身の人間とほぼ変わらない。さっきも私の打撃が効いた。
ならば、いける。
「それともあれか? 今お前がとっている行動が、それか? そのショートカットの女との絆や友情。そいつが、命より大切なものでした、ってか?」
しっくり来ねえなぁ。
乱雑に頭を掻く《物乞い》。
「ありきたりだ平凡だ肩透かしだご都合主義だ。そんな三流ライターが書いたシナリオ、こっちは求めてねぇんだよ」
「五月蝿いわね」
私は腕に力を込める。
「さっきから言っているでしょう。私が一番大切なものは、私自身」
「だぁから、こっちも言ってんだろうが。お前も自覚していないだけで……」
「強いて言うなら」
「あん?」
よろけながらも、私は二本の足で立つ。
そして《物乞い》を正面から睨みつけた。
「"死に方"より"生き方"のがよっぽど大事、ってだけのことよ」
《物乞い》の呼吸が一瞬止まる。その隙を逃さず、私は目線をスライド。入ってきたブルーシート付近、倒れている影を見る。
「ミノ! いつまで寝ているつもり!? あんた、ショーちゃんの付き人でしょうが!!」
反応を確認する間もないまま、私は目前の《物乞い》に突進をかける。真正面からぶつかり、よろけたところに掴みかかって、左半身に全体重をかける。
いける。押さえ込める。
「ショーちゃん、"一回"!!」
首を巡らせる。これまで微かにしか動かなかったショーちゃんの身体が、緩慢ながらも体勢を変え始める。子鹿のように脚を震わせながら、腕の力を目一杯使って、懸命に立つ。
そして目を見開き、数珠を構えた。
"一回"。
おそらく私が来ることを見越しての、一回分の余力。
私情に寄らず、任を全うする。祓い師としての矜持。
「祝詞は」
ならば今回はこれしかない。
「『私は祓い師です』」
「…………了解」
ショーちゃんの左手、二本指が宙に上がる。その指先から青白い光が放たれる。
「私は祓い師です。
私は祓い師です。
私は祓い師です。
私は祓い師です。
私は祓い師です。
私は祓い師です」
いつもの六角形。一メートル四方に収まるサイズの光る図形が、空中に浮かび上がる。その向こうで、片膝をつき崩れるショーちゃんが見える。
申し分ない。これまで幾度か祓いの場面で目にした六角形と、遜色ない輝きと大きさだ。
しかし、わかる。
「へぇ、今度はやけにでかいな」《物乞い》の声。そして小馬鹿にしたように、言い添える。「一体、何が違うんだ?」
そう、何も違わない。
直感的にわかる。
これでは、こいつは祓えない。
六角形がゆるゆるとこちらへと迫ってくる。《物乞い》に切迫した様子はない。絶叫マシーンの最初の坂を登るかのような高揚すら見てとれる。
どうする。今のが、ショーちゃんの全力だ。全身全霊の結果が、これだ。
どうする。
「ショーちゃん、もう”一回”!」
考えるより先に、私は叫んでいた。光の向こうで、ショーちゃんが苦しげな顔をする。
「もう無理よ……」
「無理じゃない。もう”一回”!」私は叫ぶ。「本当にそれが全力? 全身全霊!?」
そうだ。全身全霊。今の祝詞は、ショーちゃんのそれじゃない。
もっと。
『言主』なら、もっと。私が『言主』だと言うのなら、もっと。
私がこの子にあげられる、あげたい言葉を、もっと。
「うお」
《物乞い》の身体が揺れる。私が押さえ込んでいるのと反対側、右半身に後ろからミノが飛び掛かってきている。
「両手に花だな」
「黙れ」ミノが叫ぶ。「ウツシ様!!」
……揃いも揃って人使いが荒い。
ショーちゃんは苦悶の表情ながら、もう一度膝を持ち上げ、地面に立つ。
「……ん祝詞ぉっ!!」
待っていました。
「『私は女子高生です』!!!」
そう。
祓い師のショーちゃんも、女子高生のショーちゃんも、どちらもショーちゃん。
全身全霊と言うならば、両方捧げてようやく足りる。
否、二個じゃ足りないかもしれない。
「これで無理なら、他にももっとあるかんね! 私は美少女です、私はクールビューティーです、私は女神です、私は赤いリボンが好きな女の子です」私は叫ぶ。何故か涙が溢れる。「ぜーんぶ、ショーちゃんだかんね!!!」
「五月蝿いわね」
ショーちゃんは左手の指を持ち上げ、
「そんな恥ずかしいの言うぐらいなら、これで決めるわよ」
再び指先を光らせた。
「私は女子高生です。
私は女子高生です。
私は女子高生です。
私は女子高生です。
私は女子高生です。
私は女子高生です」
そして、吠える。
「返せ、私のリボン!!」
一つ目の六角形の向こう、今度は、途切れがちでありながら、かろうじて線が繋がった六角形が作成される。反射的に危機を察したか、《物乞い》の身体がびくりと反応し、揺れた。「ミノ!」思わず叫んで、懸命に体重を乗せる。
逃がさない。
「いや、逃げねえよ」《物乞い》の声。なおも切迫した様子は無く、最初から変わらぬ余裕を感じさせる口調。「あぁ、そうか。なるほどな。最も価値あるものはひとつじゃねえ、ってオチか、これは。あるいは時と場合で移ろうもので、一義的には決められねぇ、とか?」
さっきのよりかはマシだな。つまらなそうに、息を吐く。「でも、釈然としねぇ」
最初の六角形が来る。視界が光に包まれる。
「私だって、わからないわよ」
「あん?」
わからない。光の中で、私は繰り返す。少し身を起こして《物乞い》を見た。
「だからとりあえず、生きてみる」
《物乞い》はきょとんとした表情を見せ、そして最後、見透かしたように笑った。
「ご都合主義だねぇ」
光の明度が上がる。二つ目の六角形が来た。《物乞い》の輪郭が、輝きの破片となり崩れていく。眩しくてそれ以上は見ていられなくなり、私は固く目を瞑る。
《物乞い》の身体が光に溶け、預けていた体重が拠り所を無くす。
異常者との問答が終わってなお、舌先に残る後味を私は確かめ続ける。
これでいいのだろうか。これでよかったのだろうか。
それとも、これしかないのだろうか。
わからない。
「苦い」
ひとつ呟いて、私はようやく目を開ける。少し前まで私たちを包んでいた光は消え去り、剥き出しの世界が視界に飛び込んできた。
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この作品は、こちらの企画に参加しています。
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