【掌編】東に集い京に散る
fuca.ちゃんが売れた。売れたと言ってもエアコンのCMに出ただけだけれど、誰もが知る大手メーカー、その新製品の性能を、誰もが知る有名俳優の娘役として伝える様は、同期として胸躍るものがあった。『エアコンなのに、肌潤う』。台詞と共にfuca.ちゃんの顔が画面アップで映ったときは、嫉妬と感動が薄い現実感でラッピングされたものを、心臓に押し当てられた気分だった。
「あの子、ドラマも決まったらしいよ」
いっちゃんが言う。ミチ君が返す。
「エキストラじゃないよな」
「違う。役あり」
「オーディション?」
「ご指名」
「羨ましい〜」天井を仰ぐミチ君。「言っちゃったよ」いっちゃんが笑うと、「言っちゃいました」グラスに手を伸ばす。そしてもう一度顎を上げ、残ったビールを一気に。テーブル席の狭い合間を歩き回る店員さんを呼び止め、いっちゃんがおかわりを追加。続けて自分のも。私の分は頼まない。
「やっぱりfuca.ってさ、整形して流れ変わったよね」
二人は続ける。fuca.ちゃんは鼻をいじった途端、仕事が舞い込んだ。皆、養成所に通いながら事務所に所属し、ちょくちょくお仕事しているけれど、規模が私たちの比じゃない。地上波バラエティの再現VTRに始まり、ロックバンドのMV、そして今回のCM。一体あの鼻いくらかけた。実家が太いらしい説。我々のバイト代何ヶ月分。養成所通いながらそんなに稼ぐなんてできない。学費をドブに捨て、決死の思いでやれば稼げるかも。だけど、それで仕事が来る保証はない。
生きるための最低限を差し引き、
残ったなけなしを賭けるしかない。
およそミスはゆるされず、
手持ちが無くなり次第、幕。
「本当、東京って無理ゲー」
酔いで曇った頭に、いっちゃんの嘆きが響く。無理ゲー。ここ一か月における私の闘い、その結末を象徴するような言葉が、アルコールで鈍くなった脳に鋭く刺さる。
泣きそうになり、机に突っ伏す。「おーぃ」いっちゃんの声。
「春、大丈夫かぁ? 今日誘ったの、あんたなんだぞぉ」
「恭輔呼んだんだよな」
「うん。ちょうど現場終わったから帰りに拾う、って」
「やっさし」
「本当、羨ましいわ」
「言っちゃったよ」
「いや、マジで」
愛だの恋だのが無いと、やってられないって。
頭上から降るいっちゃんの声が一際鋭利に胸を突いた瞬間、居酒屋の扉が開く気配。
身体が強張る。見えなくても、音だけで誰が入ってきたかわかる。
「ごめん。遅くなった」
恭輔君の声。顔を上げると、いつもの困っているんだか嬉しいんだかよくわからないくしゃりとした笑みが出迎える。一瞬躊躇して、しかし堪え切れず、その首に腕を回した。それで恭輔君も状況を悟ったらしく、コンマ一秒間を空けて、私を抱きかかえる。
「スパダリ参上」「なに、スパダリって」「春、結構序盤から酔い潰れてたよ」「え、嘘」「恭輔、酒の飲み方教えてやれよ」「いや、俺飲まないし」「あ、そか」
とりあえず、回収するよ。悪いけど金は今度で。
私を支えながら、恭輔君。「ごめぇんんん」もうほとんど覚醒しているにも関わらず、潰れた振りをして私もいっちゃん達に手を振る。
二人して居酒屋を出る。駅までの道を、恭輔君の腕に捕まりながら、歩く。その気になれば一人で歩けるけれど、触れていないと気が狂いそうで。酔いを理由に身体を寄せる。
視界が揺れ。
前からサラリーマンの一団。歩きスマホでそれを避ける人。客寄せの法被姿。談笑する男女。
「別れる、って言えた?」
わかっているくせに、恭輔君が問う。
堰き止めていたものが溢れ出て、
涙が再び。
「………………言えんかったぁあああ」
嗚咽まじりに吐き出すと、そっか、と恭輔君は軽く私の背をさする。じゃあやっぱり俺から言うよ。ここしばらく私に触れることのなかった掌、その温もりに胸が解けていく。
来週、恭輔君は実家に帰る。映像の道を諦めて、家業を継ぐ。どうして。ようやく現場に呼ばれ、顔も覚えてもらえるようになったのに。先が見えない。俺みたいなやつはごろごろいる。目一杯やったの。諦めるだけのことをしたの。していない。俺の夢は春ほど強くない。私だって投げ出したい。苦しいけれどやっている。それは別問題。なんでそれが別なの一緒に生きてんじゃないの私たち。
そんなやりとりを五周くらいして疲れ果て、あぁここが私たちのゴールなんだと、諦めの中思い知り、行き止まりの現在地。
顔を上げる。ネオンの明かりが涙目に滲む。行き合う人々。止まない喧騒。その濁流の中、恭輔君と私は歩く。
この街で夢を追うこと。
この街で暮らすこと。
来たばかりの頃は簡単に思えたそのふたつが、どんどん共存し得なくなっていく。なった。なっている。
どちらも当たり前のことなのに。どちらもゆるされているはずなのに。
「恭輔君」
たまらなくなって、名前を呼ぶ。数日後にはもう呼べなくなる、呼び慣れた名前。
「好き」
「うん」
「大好き」
「うん」
帰ろう。
今日一番痛い言葉を恭輔君が口にして、私は黙る。帰ろう。うん、帰ろう。
帰る場所にはできないこの地で、私たちは頷き合う。
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