【掌編】不等号と17歳
読む時間。何を。空気を。
空気は読むものじゃなくて吐いて吸うものと著名な誰かが言っていて、なるほどそれは含蓄のある言葉だと思うけれど、実際問題空気を読まなくてはならない場面はこの世に多々あり、大半の者はそれをしている。政治家の失言や的を外れたSNS投稿がこれでもかと言うほど槍玉に上がる現代社会で、そのスキルを放棄しろ、とはこれ如何に。おそらくこの標語は「空気を読むことに執着し過ぎず、きちんと自己主張もできるようになりましょう」とのニュアンスを含んでいるのだろうが、どこかしら「周囲の目線に捉われぬ、現状をブレイクスルーするような大胆な発想と行動を何処かの誰かに期待したい」という半ば無責任な押し付けにも聞こえる。それでいていざその誰かが突き抜けようとすると、目立つな騒ぐな大人しくしろと出る杭を打ってくるのだ。
つまりは、本音と建前。
美しく映る世界も、その実、建前でコーティングされた見掛け倒し。中をほじくれば、醜く傲慢な本音が顔を出す。
十七かそこらの歳には十分にそれを悟り、しかし夢見たビジョンを捨て切れず、アンニュイな目で世を儚んでいた私だが、その倍近くまで年齢を重ねた今もなお、同じジレンマを抱えている。未だ残るピュアな感性で大人の醜さを嫌悪する一方、子どものままでもいられぬと青臭い言動にノーを出す。胸中、大人と子どもの間には絶えず不等号が存在し、時と場合と気まぐれで、そいつはくるくる向きを変える。つまるところ大人とは大人の振りが上手い人種のことで、その不等号の向きをいざとなれば自らの意思で変えられる、そんな技術を備えた者を指すのだろう。
とは言え、大人でいることは存外容易い。大人の振り=建前の確保については、数多、手法がパッケージ化されている。先に着いたら下座で待つ。「行」を「御中」に書き換える。俗にマナーと呼ばれるこれらはその代表で、条件を満たしさえすれば、相手への敬意を繕える。
明文不文に寄らず、ここを押さえておけば良いというポイントがある。
会議中、上司の話を遮らないというのもそのひとつ。
「ありがとうございます。大変参考になりました」
話を聞き終え、私は大仰に頷いた。
「部長のプランが最有力候補だと思います。その上で、不測の事態に備えたB案もご提案差し上げたいのですが、よろしいでしょうか」
相手が頷いたのを見て、私は語り始める。
建前の確保がパッケージ化されているのは何故か。誰しもそれを面倒と感じているからだ。では翻って問う。誰しも面倒と感じていながら、建前を求めるのは何故か。
決まっている。
美しく在りたいからだ。
それもまた、本音だからだ。
ならばせめて僅かでも、仮初めでなく本物の美しさを。
日々不等号を回転させながら、誰もがそう願い、懸命に生きている。
B案を語り終えた。部長を見る。相手も大人だ。さぁ、どう出る。
読む時間。何を。空気を。
十七の時分から夢に見る、美しい世界のために。
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