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【短編】SHINONOME〈5〉⑦


銀座の街で、人を待っている。

待ち合わせ時刻の一時間前。指定場所の喫茶店に入り、コーヒーを注文。二階席の窓から、大通りの往来を見下ろしている。

シノノメと音信不通となって、ひと月が経つ。あの日、気を失った瞬間が最後。その後、病院で目が覚めた時には、彼の姿はどこにも無かった。
一ヶ月。
これまでもそれに近いスパンを空け、思い出したように電話が来ることはあった。だが、きっと今回はそうではない。もう二度と彼からのコンタクトはないだろう、という予感があった。

つまり、クビ。解雇。
懸念していた通り、自然消滅という形で、それを言い渡された格好だ。

理由はいくつかあるだろう。
今回のことで、助手を設けることのリスクを痛感した。
敵陣営の誘いに自ら応じた、私という存在を信用できなくなった。

あるいは。

あの日、《オーダー》の力を前に恐れ慄き、身体を震わせた私を見限った。

「まぁ、大方は最初の理由だろうけれど」

コーヒーカップに口をつける。
通りの人間を俯瞰で眺め、センサーにかかる人物がいるかを観察する。約束の相手は二人。さすがに一時間前だ、まだ対象は現れない。待ち時間を潰すには、コーヒー一杯では足りなさそうだ。

そう思っていると、背後に立つ人影を感じた。

「警戒して下見に来てみれば、まさか事前に出入りを見張っているとは。いやはや、やはり恐ろしい人だ」

振り返る。
ひと月前に見た時と同じ、ストライプ柄のスーツ。長身であるため、座った状態でその顔を見上げるには、いささか首が疲れた。

「お久しぶりです。榊さん」
「できれば貴女とは、もう接触したくないのですがね」

苦笑しながら、榊は半身を翻す。彼の後ろに、まだ十代半ばほどの背格好の少年が立っている。茶色い髪に、グリーンのチェックが入ったシャツ、デニムにスニーカーというラフな出立ち。

この子が、そうか。

「初めまして。瀧本さらさです」私は立ち上がり、少年に向け挨拶をする。「今日は一方的なお誘いにも関わらず、応じていただきありがとうございます」

少年は無感動な顔で頷き、「どうも」とひとつ頭を下げた。

あちらのテーブル席で、という榊の案内に従い、私たちは移動した。榊と少年が横に並び、少年の正面に私が座るポジショニング。それぞれ新たに飲み物を注文して、それが到着するのを待った。

「スマートフォンは戻ってきましたか」

私は少年に向かい、訊ねた。少年はしかめ面で「うん」と返す。「それは良かったです」私は頷く。

あの日、シノノメが私の端末に電話をかけてきた際、表示された番号。その持ち主を調べていると、目の前にいる彼の名が浮上した。シノノメが言った通り、中高生。無事に端末が戻ったところを見ると、シノノメは律儀にも、本当に交番へ届け出たらしい。

「てっきり捨てられたものと諦めていた。教えてくれて助かった」抑揚少なく少年は言って、端末を出す。「ここにしか入れていないデータもあったから」
「榊さんがお話を繋いでいただいたおかげです」

私は言う。榊は、注文したアイスティーのストローに軽く触れ、私を見る。

「驚きましたよ、瀧本さん。貴女の方から連絡が来た時もそうですが、この人との仲介を頼まれた時には」また、苦笑。「ご勘弁願いたいですね。私もこの人も、シノノメさんには目をつけられているのですから。今この瞬間、貴女と会っていることが知れたらと思うと、正直言って気が気じゃない」
「あなた方が私を狙ったのではなく、私の方から面会を希望しているのです。問題はないでしょう」
「らしからぬ屁理屈ですね」
「そうでしょうか」
「大人たちの話は退屈だな」

少年の無感情な声が割って入る。

「用件を言ってよ。瀧本さらさ」

シノノメに似た、光沢の少ない黒い瞳。気怠げに瞼が落ち、どこか呆けた表情に見えるが、しかしそこから放つプレッシャーは、さすがに一般人とは一線を画したものがある。

早蕨ミツル。
先だっての件で、榊に仕事を発注した人物。そして榊が言うところの『ある勢力』において、幹部の一角を担う男だ。

繰り返しになるが、まだ十代の少年。
調べが確かであれば、中学三年の受験生である。

事の首謀者たる重役が、まさかこんな年端も行かぬ男子であろうとは(そしてまさかシノノメがその当人から端末を奪っているとは)思わなかった。
しかし、これを使わない手はない。

「単刀直入に言うと、あなたに仕事を頼みたいのです」
「内容は」

「シノノメの身体の確保。加えて《オーダー》の使用強制」

早蕨少年の表情に、警戒の色が差す。
傍の榊は、細い目を見開き、唖然とした顔になる。

「……何を言っているんですか、貴女は。まさか、あの日の続きがしたい、とでも?」
「おっしゃる通りです」

続く言葉が見当たらないのか、榊は口をぱくぱくとさせるだけで、何も言ってこない。

「目的は」
早蕨が問うてくる。
「それもあの日と同じ。《オーダー》の力を使って、私の消された記憶を取り戻すこと」
「何のため」
「何のためも何も、それが私がシノノメの側にいたそもそもの理由です」
「であるならば従来通り、助手として働きながら、奴から情報を引き出せばいい」

早蕨の指摘に、私は首を振って返す。

「それはできません。私はクビになりました」
「嘘だね」早蕨は即座に否定する。「あんたはこちらを牽制するためのカードとして切られた。僕がシノノメなら、容易く手放すような真似はしない。たとえ実態が伴わずとも、解雇はせず、助手という体裁は保ち続けるはずだ」
「確かに正式な解雇通知は貰っていません。ですが」
一度瞬きをして、私は続ける。
「私もまた、彼の下を離れたいと思っています」

早蕨が、探るような視線を寄越す。

嘘ではない。

あの日、手の震えを抑え込められなかった自分に、シノノメの隣にいる資格はない。
根本で彼への恐怖を拭い切れない私は、いつか必ず、彼自身の負荷になる。

心理的にも。物理的にも。

そんな者は助け手とは言えない。
ただのお荷物。

僕の平穏の邪魔をするな、だ。

「かと言って、私は私の過去の解明を諦めるわけにはいきません。そのためには彼の敵として、実力行使に出る他ない。榊さんが先だって提案された、シノノメに《オーダー》の力を使わせ、記憶を取り戻すという手法。現時点で、これが最も有効なアプローチかと」

とんとんとん。
早蕨は指先でテーブルを叩きながら、私をまじまじと睨みつける。

「榊」
「はい」
「この女、頭がおかしい」
「言ったでしょう。ある意味、シノノメより危険人物です」

早蕨は自分が注文したクリームソーダを持ち上げ、上に載ったアイスに直接口をつけてかじった。

「瀧本さらさ。あんたの話は信用できない」
「どうすれば信じていただけますか」
「信じない」早蕨は言い切る。「そもそも仕事として依頼してきている以上、これはビジネスだ。なら、裏切られてもリカバリが効くだけの見返りを用意しろ」
「……見返り、とは?」
「金か情報」

端的な二択。
残念ながら、前者は絶望的なまでに資源に乏しい。

「どのような情報をご所望でしょう」

訊ねると、まるでこの流れを予測していたかのように、早蕨は不気味に笑って見せた。

「"ヒトカゲ"、"イロリ"。"シノノメ"と並び称される異能の持ち主。この二人の素性と現況を可能な限り洗え」

真っ先に反応したのは榊だった。

「また異能に手を出すんですか」
「調べるだけだ」
「危険です」
「この状況が既に危険だ。シノノメに目をつけられながら動く以上、何らかの抑止力がいる」
「やっぱり、手を出すんじゃないですか」

うんざりした顔で、鼻から息を漏らす榊。
早蕨は続ける。

「半年やるよ、瀧本さらさ。その時点で入手済の情報如何で、あんたの依頼を受けるかを決める」
「……はぁ」

どうしようか、と逡巡したが、やはり伝えぬわけにはいくまい。

「あの、早蕨さん。実は……」
「何」
「実はそうおっしゃると思って、その二人については、先に調べておきました」
「……へぇ」早蕨の眉が上がる。「で、何がわかった」
「いえ。残念ながらそこまでパーソナルな情報までは」
「だろうな」
「ただ、お会いすることはできました」
「……は?」
「今日、これから来ていただくことになっています」

早蕨と榊が、固まったように動かなくなる。

「……今、何とおっしゃいましたか?」榊が訊ねる。「来る? 今からここに?」
「はい。ちょうどあなた方との約束の前に、ここで合流しようとしていたのです」

"まさか事前に出入りを見張っているとは"。
そんなことを榊は言っていたが、まるで思い違いだ。
こちらはこちらで、純然たる待ち合わせである。

「どちらだ」今度は早蕨の問い。「”ヒトカゲ”、”イロリ”、どちらが来る?」
「両方です」
「両方……」
「はい。なのでお二人にお聞きしたいことがあるのであれば、どうか直接……」

がん、とテーブルを叩く音がする。榊が拳を打ちつけ、それを戦慄くように震わせている。

「おいおいおいおい、無茶苦茶だ。急に異能が二人もだなんて、どうかしている……」
「しかし、シノノメと渡り合うには、同等の力を持つ方の助けが必要かと」
「出鱈目なんだよ、やることが!」

激昂する榊の横で、早蕨は静かに、じっとこちらを見つめている。

「どうやった」
「え?」
「どうやって異能を二人もここに呼んだ」
「単純に、今回このような会合があるので、ご同席いただくようお願いしただけですが」私は答える。「ただ、信用いただくために、何回かお二方それぞれの情報収集をお手伝いさせてはいただきました」
「なるほどな。くくっ」

早蕨はそこで喉を鳴らし、口の端を上げた。

「いいね。超ウケる」

初めて見せる、表情らしい表情。まさに十代の男の子達がするであろう、年相応のあどけなさを含んだ笑み。

「わかっているか、瀧本さらさ。僕と異能が二人、それからあんた自身も入れていいだろう。この面子が揃った時点で、シノノメ一人がどうとかいう問題じゃない。これはもう第四の、新たな勢力の誕生だ。つまり……」
「否応なしにバランスは崩れる」榊が後を引き取り、眉間をつまんで頭を振る。「全面戦争待ったなし、ですね」

戦争。
なんだか大仰なことを話しているようだが、まるでピンと来ない。

「私は、自分の記憶が戻ればそれでいいのですが」
「その個人的な自分探しが、果たしてどれだけの騒動を巻き起こすのか」まだ可笑しそうに、早蕨。「これじゃあ、受験勉強をする暇がない」

店のドアが開いたのか、出入口の方で、鈴の音が軽やかに響く。いらっしゃいませ。店員の声に、榊の肩がびくりと揺れる。

「来たな」
早蕨が呟く。
「もう後戻りはできないぞ」

それは私に言ったのか。自分に言ったのか。
前者ならば、無論のこと心得ている。
その上で、私はシノノメと出会う前の私に、後戻りを試みるのだ。

銀座の街で、人を待っている。

近づいてくる足音が、私たちのテーブルの横で静かに止まった。


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