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人生のスパイスは苦い
あなたは人生を振り返ったことはあるだろうか。
「いやあ、楽しいことばかりだった」
そんな人はなかなかいないだろう。
「苦しいことばかりだった」
こういう人はいる。なぜ人は苦しいことばかり記憶してしまうのだろう。考えてみると、苦しい時は必ず何かメッセージがある気がする。
絶望した時ほど神様のこんな声が聞こえる。
「助け合いなさい」
東日本大震災のような自然災害を想像してほしい。私たちが悲しみに暮れながら得たものは何だったか。今まで見えなかった「人」の存在に多くの人が気づかされた。
苦しいことは「当たり前」だと思っていたことを「有難い」と再認識する場でもある。
私たちはしばしばその有難みを忘れる。いや、常に忘れている。
そして人の支えを「当たり前」だと考え、どこまでも自分の欲を満たそうと行動する。周りを見渡してほしい。ペン、コップ、本、カレンダー、収納かご、洋服…本当にこんなに物はいるのだろうか?
ここで自分の歩いた道を見てみよう。
着るものはどんどん新しくなる。好きなものを選んで食べる。五体満足の身体は自由に動かせる。それでも不満は尽きなかった。
あの時、常にそこにあった幸せは目に入っていただろうか。
正直、「当たり前」だと思っているのだ。だから「もっともっと」と欲してしまう。そしてご縁のあった人とは連絡が途絶え、今も部屋には物があふれている。
目の前にあるはずの有難みが見えないのは、物の豊かさに隠れてしまったから。だってほら、そこのアレ、本当にいるのだろうか。
資本主義のキラキラに目がくらんで必要なものといらないものの区別もつかなくなっているんです。
神様はそんな私たちの肩を叩くように苦しみを与え、
「一粒の有難み」に気づかせ、
「人と助け合って生きること」を学ばせるのではないでしょうか。
これは物ではない「心の豊かさ」を与えます。
しかし皮肉なことに人は大切なものを失うまで、そのことに気づけない。
今のあなたはどうでしょうか。
物ではなく、人の温かさで生きていますか。
私はというと、まだまだ道半ばです。
失いそうになると、見えていなかった有難さにやっと気づいて「なんでもっと早く気付かなかったんだろう」と肩を落とすくらいに愚かです。今も痛みとともに、人の支えに気づかされます。
忘れないでほしい。苦しみばかりの人生は、その先で心豊かな人生を与えるということ。
豊かにすべきは「物」じゃない、「心」なんです。
生きていれば、良い時も悪い時もある。波打つ人生を誰もがもがいている。
もがき苦しみ掴んだものは何だったか。
さて、ここでもう一度人生を振り返ってみてほしい。
あなたはどこで生まれましたか。
生まれてから幼少期、小学校ではどんな思い出がありますか。
中学校の思春期はどんな思いを抱えて生きていましたか。
高校に入ってどんな人間関係が広がりましたか。
大学、そして社会人になったら昔と何が変わりましたか。
人生を通してあなたのそばにいた人は誰でしたか。
苦しみを超えられたのは、どうしてですか。
そこに人の支えは見えていますか。
「・・・」と思ったあなた。
それでいいんです。完璧に「はい!」なんて人のほうが少ない。
だから私たちはこれからも苦しみを重ねます。
それは「助け合って生きる」意味を知るためです。
今日、こうして私の記事を読んでくれたこと。
これだって大きな人の支え。
当たり前なことは一つもない。
今日も最後まで大切な時間をくださり、ありがとうございました。
皆さまが心豊かな人生を送れますように。
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