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ドラマ問心について 金世佳

日談公園vol.501(2023.01.公開)から。(日谈公园)日談公園は中国系音声appXimalayaで配信されているトーク番組です。

当番組のタイトル画面

番組紹介から)
俳優の金世佳は2年半ぶり、4度目のゲストとなった。2022年12月初旬、烏鎮演劇祭が終わった翌日、パーソナリティ李は上海から浙江省嘉興市桐郷市の烏鎮に来て、浙江伝媒学院演技クラスの卒業公演を演出していた旧友の金世佳と再会した。
リハーサル後の夜10時にこの番組の収録を行った。
2人は、この1年間の人生や仕事について語り合い、改めて演技や演劇についての意見を交わし、ドラマの話題から始まり、死生観、人生の究極の意味について考える。

『猟罪図鑑』での初めて演じた警察官の役から、新しいドラマ(問心)での心臓医師の役まで、金世佳にとって、演技とは絶え間ない選択をすることであり、表情、習慣的な行動、潜在意識の反応...あらゆる選択が全身に影響を与える。
金世佳は《演技》に加えて、今回監督した学生の卒業公演、フランスの実存主義作家カミュの戯曲「カリギュラ」に《演劇への理解と追求》を捧げた。
なぜこのような、不可解な脚本、古典的な悲劇に膨大なエネルギーを注ぐのだろうか?
舞台に立つ若い俳優たちのエネルギーと目の輝きを刺激するには、どのような方法があるだろうか?
金世佳のビジョンでは、この実存的なドラマの、より完全なプレゼンテーションはどのようなものになるのか?
番組内での彼のナレーションにより、私たちにも、カリギュラの目に映る捉えどころのない月が見えるようだ。

2017 年の最初の番組出演からほぼ 6 年が経過し、36 歳を過ぎたばかりの彼も、人生とキャリアの考え方が少なからず変わり、6 年前よりもリラックスして快適に過ごせるようになった。
「高貴なふりをしている(装清高)」という(観衆からの)書き込みについては、冗談半分で「一生「ふり」をし続ける」と語った。

「この時代には賢い人はたくさんいます。私は喜んで愚か者になります。(这个时代聪明人够多了,我愿意做个傻瓜。)」

番組はアップルポットキャストでも聴けます

Ximalaya・喜马拉雅 大陸版でのAIによるテキスト画面


14日間の隔離生活を経て、撮影に入った話に。10分45秒辺りから

李:青島で今回演じたのは医者?医者、胸外科医師。
金世佳:心臓外科、心臓外科の医者。
李:聞くところによると、その生活を体験したんだって?
金世佳:うん。一か月くらい。
李:お~!
金:自分たちが医者の生活を体験できたのはとても良かったと思ってる。主任医師につきっきりで。彼が出勤する時、自分らも出勤して、彼が退勤するとき退勤する。かなり完成度が高いよね。その一連の内容がどんなものか知ることができる。
李:うん。
金:このシステムはどのように機能するのか、病院内の一連の作業には手術もあって、実際、心臓外科は心臓内科の未来でもあるよ。痛手が小さくて済むからね。心臓外科ができる手術、あるいは心臓外科にまわされて実施する手術はいろいろあるけど、それほど多くはない。あの主任も毎日手術を行っていて、だいたい同じ。バイパス手術、大動脈解離、弁膜交換、弁膜の修理。
李:お!よくわかる。
金:うん。
李:心臓の位置はすごい特殊で、その人の寿命そのものじゃないか。
金:そう。心臓手術は一般的に危険なんだ。迅速に行わないと危険性がどんどん高くなるから、一分一秒を争うことになるんだ。死神との闘いなんだよ。
李:今回、西洋医学の外科を時間をかけて学んで、それから一つの役を演じてみて、何か特別な収穫はあった?一般の、いわゆる一般の普通の人を演じるのと比べて。
金:後から思うと、趙又廷と一緒で、彼と一緒に医師の生活を体験して…
李:彼は。
金:彼は心臓内科で私は心臓外科。それから撮影が終わったとき、この生活体験は本当にとても必要、絶対に要ると思った。わからない場所。誰も全くわからない、でしょ?医療コンサルを探して、医師の訪問診療をしてもらう。実際に医師が居る。役になりきって、その状態になって、芝居を撮るのに、そう、適した状態になれば、ドキュメンタリーのようになる必要はない。けど、私も趙又廷も善し悪しのすべての品質は細部に渡って相互的に作用しあっていると感じてるんだ。細部と細部が関わりあって、作用しあって、影響して形を作り上げて、やっと少しその人の詳細が明らかになる。一つのエピソードで二つの詳細が表わされる。40話で80の詳細が明かされて、80の詳細、裏事情がわかってまだ見続けられるわけじゃない?それで、いくつかの細かい点が気になるんだ。
李:うん。
金:この細かさは、実際自分だけが知ってること、あるいは見たことがあるとか実際に遭遇して初めて理解できることで。より専門的なものをいくつか撮影して、例えば私は手術の撮影があったし、彼(趙又廷)は心臓内科の基本のカテーテル手術を撮ったんだ。
李:うん。
金:こういった場所で(リアルに医師である)主任と一緒に仕事をしたからこその出来栄えを作り上げることができる。脚本家が台本を書くとき、彼はどういう芝居と書けないけど、そういうことは起きうるから、実際私たちはそれを構築しなければならないし、こういう作業でドラマを作っていくんだ。かなりこだわっているよ。自分自身が(リアル医師の)生活を体験して知っているから。暗中模索で制作してるわけじゃないんだ。
李:でも、例えば西洋の外科医という職業柄、彼は常に生死の境界線に接しているんだよね。で、君はどうなの?そういうキャラを演じる過程で、職業やアイデンティティについて、より感情的になったり、より理性的になったりする?
金:一番辛いのは、率直に言って病院は生死があまりにも多いということだと思う。もし、ひとりの医師をそのまま当てはめるなら、あの医師はこういう事をこうした、とにかくできる限りのことをした、と思うだろうけど…。
李:うんうん。
金:だけど…私たちはドラマの撮影なんだよね。そうでしょ?
李:そうだ。
金:(リアル医師の)彼には、そんなドラマみたいに長い死別の場はない。ただの一度もないんだ。
李:うん。
金:それで、私はさらに自分への挑戦としてあることをやったんだ。
李:おお!
金:演じられるかどうか?(あまりにも多い生死の場面を)一定の感覚で演じてはいけない。演じられるなら、また違った気持ちで演じなければいけない、と。
李:うん、そうだね。
金:その辺をどう整理して調整していけばいいか。この問題は比較的難しい問題だと思う。
李:うん。
金:もっと挑戦的に。本当に多くの場面を孤独で、かつ固定的な。一ヶ所で、まとめて一日で、切り取った場面をまとめて撮影するようなこともある。
李:うん。
金:(就会有一点儿前寄穷的感觉)、この感じ、以前に使ったことがあるけど今また大差ないことで、どうやってフレッシュな感覚を招き入れようとすればいいのか、新しいアイデアがない状態で、どうすればいいか…
李:思いつかない



金:考え込んでたら監督が助言してくれたんだ。例えばカメラの位置が違う、あるいはカメラの動きを変える、どれもOKだ。例えば暗い光で私が浮かび上がるように現れるのと、始めから私に焦点があっているのと、二つの異なることだって。皆に助けられてやりきることができた。
李:今言ったような死別の場面が、ひとつの場所で何度も連続して撮影されて、いくつもの死別の場面を演じ分ける、しかも同じ日に。それはとても大変な試練だね。
金:このドラマは自分で思うに、ここ数年演じたもので一番難しいかもしれない。けど、最終的に観衆がどう思うか、私もわからない。
李:難しさは演技、パフォーマンス?
金:それとも非常な繊細さか?…始めに話したように、この選択の問題になるけど、この選択はとても難しいよ。ほんの些細な事が全身に影響することだから、非常に難しく慎重にやらなければいけない。
李:彼(林逸)は他のドラマと比べて。
金:全然違う。
李:難しさはどこ?
金:他のドラマだと、こんな大きな対立が起きることはとても少ないよ。生きるか死ぬかの問題は巨大な対立だし。でしょ?別のドラマなら、まあ、別れのドラマでも、恋愛ものでも、これは誰でも想像できることだけど…。
李:うんうん。
金:だけど、生死の問題はすごく厳粛だよ。だから、私の、すべての決断はこの人(林逸)がそこで、地位…どういうスタンスで何を言うか影響を及ぼすから。
李:うんうん。
金:こういうあれこれ。
李:そう。
金:監督の黎志とは三回目の仕事なんだ。前に撮ったのは「二十不惑」で、あの撮影中から私は彼のモニターを見に行ったことがないんだ。このドラマの撮影中、毎日、彼のモニターのなかで彼と喋っていたんだ。
李:は?
金:いや…
李:カメラの前でお喋りって、目的は何?
金:つまり、場面の演技はおそらくこうではないだろうか、どうでどうでどうでどう…それを滑らかに整理する必要があるんだけど。
李:監督とそういう話を。
金:そう。どう動けばいいか、わからないから。
李:うん。このドラマはいつ公開知らない?
金:来年(2023)のどこかじゃないかな?
李:期待が高まるね。

・・・・・と、二人の対話はまだまだ続きます。

*(就会有一点儿前寄穷的感觉)の。AIによるテキストだと驴と表示されてのだけど、の間違いではないか?。それでも意味がつかめないのだけれど。

林逸が実の兄・林海を看取る場面
制作発表当初「赤子之心」だったタイトルは「問心」に改題され、
腾讯视频ほか多局にて2023年10月7日から公開が始まった。

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