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私のときめきブティック、記憶のなかでキラキラ光る場所に行く


だいすきな場所がある。

朝起きて太陽を見た瞬間の
ああ1日って始まってたんだ、という感覚に
ほんの少しだけ似ている。

小規模なガラスのショーウィンドウ
華奢なトルソーに
奇抜でかわいすぎる色使いのサイケデリック

あれは、なんだ

ぐいぐいと視覚に迫るカラー
不完全なレイヤード
素材と素材、色と色、
あらゆるたたかいがとびきり美しい。

あの眩しい場所は、
ずっと記憶で光り続けているいつかのブティック。
昔見た、洋服たちが眩しいあの場所だ。



今思い出すと
間違いなくオシャレなんだよね。
でも、その頃の自分では
オシャレとかいうカテゴリーでは整頓できない
どこにも属さない強い世界観で。

なんとなく惹き付けられる
なんだか目を奪われる
ずっと目の裏にチラつき続ける
日常に存在しない圧倒的な力があって、
まだ幼い私は
ぴかぴかに磨かれたショーウィンドウの前で
じっと佇んだ。

あの時の気持ちは今も忘れられない。


あれは、
本当に魅力的なディスプレイ。
洋服が
自分が洋服であることを忘れているように自由なのよ。




子供の頃ずっと住んでいた田舎の街に
小さな商店街があった。
古いアーケードで、人もあんまりいなくて、のどかな商店街。
お豆腐屋さんやお弁当屋さん、青果店、靴屋さん、鞄屋さん、雑貨屋さん、化粧品店…
現在とは違って
大手企業がチェーン店展開などしていなかったから、
価格競争すらなくちまちまのびのびと営業している個人店ばかりで。

商店街に数件ある洋品店は、
マダム御用達のきらびやかでリッチな雰囲気のお店。
おばあちゃんがフラと立ち寄れる何でも集めた地域密着系のお店。
あともう1件、
私が大好きでやまなかった年齢層の低い小洒落がすぎるブティック。


母親に連れられて
そのブティックに時々出かけた。
いつもじゃない、
特別なお呼ばれがあるときやピアノの発表会があるとき
地域の婦人会の旅行に参加するとき
小学生の私
まだファッションに何の関心もない頃の話だ。


その店のショーウィンドウには
行くたび必ず新しい洋服を着たマネキンがいた。
お店の中に入ると
そこにももう一体のトルソーが置いてあり、表にいる子とは違うパンチのきいた洋服を着ていた。
この二体を見るのが
子供心に大好きで。
かわいい♡ではない、
着たい〜♡ではない、
強烈すぎて目が離せないすごいアレ、のやつ。


それはそれは夢中だった。
ピンクや黄色や白とか、子供の目に安堵を持たせる色合わせではなくて。
深いグリーンにゴールドのラメ、黒いベロアに幾何学模様のストール、ネイビーとシルバーのカーディガンはモケモケ素材で、フレアデニムの裾はぼろぼろにほつれていて、変な形のぴかぴかのバッグ。
なんなら、不安になる色合わせ。
子供服のコンセプトとはまったく真逆の。


当時、何も言わずお母さんが選んだ洋服を着るだけの子供だった私には、そのディスプレイがとにかく衝撃だった。

そこは、
子供服も扱う大人のブティックだった。
でも、私は子供服ではなく
サイズの小さなお姉さんな洋服を買ってもらっていた。
今思えば、だけれど。
そこに行くと何か好きな洋服に出逢える。
その信頼感が強くて。
行くたび、ときめきが溢れる。


そこのオーナーが
芸能人のように女優さんのようにとにかく美しい人で。
顎のきゅっと細い小さなお顔は、大きな目がギュウギュウに詰まっている印象で、痩せていて肩が小さく、いつもトルソーと同じ雰囲気のいでたちだった。
静かで、攻撃的な接客はいっさいなく、
ただただ凄まじい世界観の洋服たちを目の前に集め並べて、にっこりと笑う。

ええ?!
今考えれば
ものすごい攻撃的な接客でもあるよね。
( ˙ᒡ̱˙   ®)


初めて洋服にときめいたあの日からしばらくの間、
私にとってのきらきらした場所は
不思議な魅力を放つあのブティックで。
オシャレをするという感覚がぼんやりと身に付いてきた頃も、
やっぱりあのブティックにふらりと立ち寄り、
そしてそこには何かしら出逢いがあり、
それは洋服でもあり新しい自分との出逢いでもあり、
かわいい、や
好き、や
着てみたい、の
基盤になる感覚をもらえる場所となった。


なつかしい記憶のなかで、
あの心ときめくブティックはどんどん比重を占め始めて。
ぼんやり思い出していたちょっとしたお店の記憶には、当時の母親とのやり取りや、気に入っていたあの洋服、何度もブティックの前を眺めて通った期待の気持ち、
さまざまなことを引き連れて思い出す。

その時は気づかなくても、
大人になって昔を思い返すと
今の自分を創っている大きなかけらを見つけることがある。
ほんの記憶のはしから。

そして、
大切に大切に扱いながら
今の自分と昔の自分をねぎらうのだ。




あの商店街。
まだあるのかな。
私のときめきブティック。
美人でサイケなおばあちゃんがいたらいいのにな、と思う。


今は遠くに住んでいて行くことはできなくなったけれど、
私はいつでも記憶のなかで
あの場所に行くことができるのだ。

何度でも。



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