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懐かしい記憶の味、大盛りナポリタンと不機嫌なオーナーの話。


この前、
不意に思い出したことがある。
ほんとうに、
不意にひょかっとしらじらしく。

昔食べた記憶の味。
あの頃の、あのとても美味しい味。

心がざわざわとして、
次にわくわくとする
食べたい何かが生まれ落ちた時の
あの感じ。

そうなると
手をつけられない夢中な私は、
何もかも放りだして
記憶の沼にどっぷりと浸かってしまう。




noteから遠ざかっていた数ヶ月間、
やっぱり
食べることが私を支えておりました。
そして、
随分と遠ざかっていました笑。

仕事が忙しくなり、
母の介護ですべての予定が埋まりつつあり、
常にお腹が減り気味でもあり、
隙間時間にふわっとおいしいものを探す。

ストレスなんて偉そうなことは言えないけれど、
なにかしら胸が詰まるようなことがあった時は
おいしいものと対面することがいちばん。
それは、
自分に力をくれることで
楽しむ日々のために常に心掛けていること。





そんななか、
ある時、不意に思い出したことがある。
ほんとうに突然、ふわっと急に思い出した。


高校生の頃の帰り道、
ときどきだけれど、
友達と定期的に通っている
だいすきなご飯屋さんがあった。
部活のない小腹のすいた夕方には、
ぐいぐいと自転車をこいでそのお店に行く。
そこには、
腹ぺこを満たしてくれるだいすきなメニューがあった。

とてつもなく唐突に思い出したそれは、
つやつやと油で光る濃厚なソースに絡んだもっちりとしてとにかくおいしい、あれ。

それは、
ちいさなちいさなレストランの
「スパゲッティ」
というだけのメニュー。


もうね、
今こうして文字に起こしながら思い出しているんだけれども、
口の中にジュワーっとおいしい味の記憶が広がって、どうもこうもならない。


これは、説明せずにはいられない。
言葉にして
あのだいすきな味や
あの独特の空気感を
きちんと形にしておきたくてたまらなくなって。



こちらに立ち寄ってくださった皆さま、
なつかしい記憶の中の食べものってあるでしょうか。
それは、やっぱり思い出すとわくわくするような味でしょうか。




小さな喫茶店のようなレストラン。
薄暗くて、バーのような雰囲気があって
どこか、大人の空気がが溢れている場所。
ドアだけの間口はとても地味で、
一見何の店舗かわからないような外観だ。

思いのほか奥行きがある店内は、
ガタガタとした古いテーブルと椅子のセットがいくつか置いてあり、それらはすべてデザインが違っていた。
厨房の手前がちいさなカウンターになっていて、
その店のオーナーだろうか店主が、常にムスッとした顔で立っていたことを覚えている。

そして、レストランはいつも空いていた。


腹ぺこの高校生たちは、
お店が空いていると張りきってカウンターに座り、
「スパゲッティ」を注文する。
オーダーを聞く店主は憮然とした表情で軽くうなずくだけ。
そのまま無表情で厨房へ消え去る。
待っている間の時間は、
帰宅途中の高校生には似つかわしくないムーディなレストランの空間だけが残る。


今思い出しても不思議な空間で。
帰り道の買い食い、なんてものじゃなく
ファミレスのわいわいした感じでもなく
店主はいつも機嫌が悪い。
でも、なぜか通っていたレストラン。


店主の機嫌は九割方悪いので、
たいていはオーダーから食べるまでにはとても時間がかかる。
「スパゲッティ」の声を聞いてからしばらく、
カウンターの中でじっとしてコーヒーを飲んでいることもよくある。
高校生たちは、
いつ作り始めてくれるんだろう?
という疑問を押し殺しじっと耐えるのだ。

待って待って待ちわびて迎えたスパゲッティがついに運ばれた。
それは、まるで後光が差しているように見える。
まん丸の鉄板にとてつもなく大盛りな昔ながらのナポリタン。
太いパスタは水分の少ないソースに丁寧に絡まっていて、くたっとしたピーマンやにんじんが玉ねぎを押しのけるように鎮座している。
そして、粉チーズが驚くほどふりかけられている。

言葉選びが良くないのを理解した上で言うと、
パサっとしたとてもおいしいスパゲッティだ。
なんだろう、
とんでもなくおいしい。
スパイスが効いている味に大量のパルメザンチーズ、口当たりはパサっとうまい。

うまい?

いや、ほんとうに
とにかくおいしいことには間違いない。



帰宅時の空腹が押し上げる膨大な食欲を加味しての味。
不機嫌な店主の顔色を伺いながら待ち焦がれてついに食べることのできた達成感を含んだ味。
幼くて、様々なおいしさにまだ出会っていなかった少ない経験値なりの味。
当時の思い出フィルターによって強く美化された味。

それらが入り交じって、あれこれ差し引きしたとしても、確実においしかった。


あの
他に形容のできないおいしさを
なんだか唐突に思い出してしまい、
私はあまりのなつかしさを抱えたまま今現在の空腹に対峙した。

今の自分が食べると、
あのおいしい記憶の「スパゲッティ」は
いったいどこまでおいしいのだろう。

きっと
おいしい食べ物をたくさん食べてきたことで、食の経験値は当時とは比較にならないくらい上がっている。
自分で料理をしたり、食材を選んだり、こだわった調味料を使ったり。
そういう今の自分が、あの頃の味をそのまま食べるとどう感じるかな。


私は今、
あの小さなレストランに飛び込んで
「スパゲッティください!」
と言いたい気持ちをぐっとこらえている。
とんでもない衝動的な食欲を持て余している。


それに、当時の店主はさすがにもういないだろうか。
引退しているのか、いや、ご存命かどうかすらわからないほどの年齢の気がするよ。
あの味を誰かが受け継いでくれてるかな。
そもそもあのレストランは今も営業しているのかな。


あのなつかしい「スパゲッティ」という名の家庭のナポリタンは、こうして私の記憶を強い力で揺さぶってくる。
昔の思い出の味を食べたい、というのは
なんて贅沢なんだろう。
そう感じてしまう。


あの頃の自分がそこにいて、
あの頃思っていたちっぽけな何かや
あの頃見ていた壮大な世界が
蘇るようなおいしさなんだろうな。
きっとあの頃には想像できなかった
誰かに作ってもらって食べることの幸福感がどかんと上乗せされるだろうし。

ああ、おいしいあのスパゲッティを食べたい。


夏季休暇には
あのレストランを訪れてみよう。
どうかどうか
あの頃の何かしらに出会えますように。
わずかな心の再会に期待して、夏を待つことにします。


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