ジェンダー平等

見るからに炎上しそうな話題である。ただ学生ながらこういった話題について話を求められることもあるので、いちど自分の考えを整理しておこうと思う。今回は主に職業や仕事の場について話そうと思う。学生である自分にとっても関心のある分野だからである。

現在の問題点としては、女性の働く時間の確保が難しいことだと思っている。まず前提として、同じ会社の男性と女性が同じ時間に同じ作業をしたときに、大きな差はないと思っている。もちろん、男性の方が、理系、女性の方が、文系に強いと言う事はあるだろう。しかし、同じ会社内で見れば、彼らは面接や試験を同じく通過しているので、同じ成果を出すポテンシャルを持っていると考える。

その場合、費やす時間と成果は比例すると考えられる。しかし、女性は妊娠や子育、短い期間でいえば生理なので休むことが男性より多い。また結婚を機に退職することも多いだろう。会社としては、それらの金属年数が短い可能性がある社員よりは、男性を雇いたいというのは理解できる。

また、男性からの視点に立てば、女性の会社内での地位を上げることに抵抗があるのも理解できる。つまり、女性は厳密に言えば強制されていない子育てを、自分のやりたいこととして選択している。その上、会社しか選択肢がない男性と同じポジションを求めるのは、不平等だと思ってしまう。

ここで言っているのは、男性が100の成果を出して、女性が会社50、育児50の時に、女性と男性の会社の地位が同じことを指している。もちろん、男性100、女性が会社100、育児50の場合は、同じ地位にいるべきだとは思っている。

次に、視点を広げてみる。先ほどの話は会社1つの中の話であって、国全体で見たときには、出生率を上げなければならないという課題がある。したがって、方針として女性を贔屓してでも出生率を上げるのは理解できる。

思うに、フェミニスト系がよく思われない点は上記2つの、平等を求めるか、贔屓を求めるかをごっちゃにしている気がする。後者を求めているのに「男女平等」と言われると、それは男性から見れば女尊男卑ではないかと言いたくなる。個人的には「不平等で贔屓です。でも日本のために必要なんです。」と言われた方が納得はできる。

会社内の男女の衝突を避けるための1つの解決策としては、男性も成果を落とすと言うものがあると思っている。つまり、女性を上げるのではなく、男性を下げるといった考えはどうだろうか。女性が育児をするときには、男性も強制的に休みにしする。つまり、女性が子育て50、会社に50の時は男性も同じく子育て50、会社50にするのだ。その時に減少した収入は国が補えば良い。

この場合、国の出生率、男女の衝突はなくなる。しかし新たな問題として会社の成長速度は遅くなってしまう。社員に支払われる収入は変化しないが、単純に社員の稼動時間が50%になるのである。これが国全体の事業の成長スピードには影響を及ぼしてしまうだろう。

という分析で、この記事は終わろうと思う。もともと解決策が出せないと思っていたが、やはり難しい問題だと改めて思った。

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