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スルーロマンスを読んで

はあ~!久しぶりにぞくぞくした!
面白かった!!
細胞全部で、読んでよかった!と叫んで、
これは読書感想文を書くしかないと思った次第です。

前作の「まじめな会社員」から思っていたことだけど、
作者のドンピシャな言語感覚がとにかくすごい。
登場人物が鮮明にそこにいるという感覚になる。

最近、人生なるようにしかならないと割り切れるようになった。

子どもが欲しいと言い続けた20代。できなかった場合は悲しみのドン底とまで思っていた。でもだから、なんだというのだ。逆に楽しいことをとことん突き詰めることができるし、大切にしたい人をより大切にできるということではないか、と少しずつ考え方が変わった。

結婚自体も、誰かと無理やりにでもしたいわけではないことに気が付いた。その一方で1人でいるよりは多少合わなくても誰かといたほうが楽だなあという実感がある。パートナーがいるということは、クリスマスなんかにいろいろ思わなくてすむし、会社の飲み会を断る理由にもなる。恋人がいないために抱えるもやもやを、一切感じなくて済む。

そういったことは、作品の中で言語化されており、私自身の考え方が整理されたし、ほかにも同じように考えている人がいるという謎の安心感があった。

「パートナー」という言葉が社会的価値観によって、運命やら必然というチャラついた言葉でなく、半分洗脳的に、半分憧れとして神格化してしまっていたのである。だから、常にこの人ではないのかもという、疑心暗鬼になっていたのだった。

この作品の主人公は、神格化したパートナーという言葉の錘がとれ、自身が生きやすくなる手段として、結婚を選択した。

主人公の人生観を変えることとなった、女友達は自身の気持ちに嘘つくことなく貫いた。どちらも自分自身のようであり、知り合いのようだと感じる。

以前あったドラマ「獣になれない大人たち」の場面で、誰かと一緒にいるという行為がくれるものは、必ずしも恋人やパートナーだけではない。友達や会社の同僚、よく行くお店の店員さん、それぞれとのつながりが人生を豊かにしてくれるというような話があった(セリフはまったく覚えていない)。

哲学の授業で、人生とはだれかと歩むものと言った教授の言葉が今ならわかる気がする。

スルーロマンスを見て、そんな風に思った。

冬野梅子氏の「スルーロマンス」は、コミックDAYSのアプリにて読めます!
クォーターライフクライシスの皆様、ぜひご一読ください。




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