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言葉にならなさを尊重しつつ、言葉で輪郭を

なぜこんなにも夕日と琵琶湖が作る景色は綺麗なんだろう、と彦根に住んでいた頃はずっと考えていた。

その光景は、言葉になんてできない。ただただ圧倒されていたし、それでいて親しみやすくて、大好きだ。最近、また彦根に遊びにいきたくなっている。

その景色の、「言葉にならなさ」は大切にしていきたい。「息を飲むような壮大な光景」のように、世間でも社会でも使い倒された表現に落ち着かせてしまうには、少々勿体無いように感じてしまう僕のワガママ。

それと同時に、その「言葉にならないもの」を形作る輪郭も、言葉で作っていけると思う。

たとえば、オレンジに眩しい西日と、夜が迫ってくることを実感させる深い青が広がる東の空。その間のグラデーションを目にすることで、「日が登っている時間が終わる」ことを実感する。そして寂しくなる。

昼間の青空よりも、少し緑がかった空。僕はこの青が好きだ。ティールというのかな。一気に映画のような空気を帯びる。なぜなのかはまだわからない、気になる。日本語で言えば「千草色」。

その青も西日のオレンジ色も、すべて琵琶湖が反射する。琵琶湖の広さを思い知る。陸地では起きない、水面でなければ起きない。そして海ではなく、湖。対岸まで何キロあるのだろうか。向こう側にも僕のように人間生活を送っている人がいて、みんなそれぞれ違うことを考えながら、ある人は笑って、ある人は地獄のような苦しみの中で生きている。琵琶湖を見る僕も、そのおびただしい人間生活の中のひとつにすぎない。

そんな人間ができあがったのはなぜか。地球に水があり、太陽があるからだろう。本当に詳しいことは生物学者でもわからない。でも、水と太陽が必要不可欠だったと聞いたことがある。

そのふたつは、生命の誕生から数十億年経っても今目の前にある。


どんなに言葉を尽くしても、その景色は説明し尽くせない。どうしようもない。輪郭を捉える言葉を並べても、その景色そのものを他人の頭の中に生み出すことは難しい。僕の頭の中にさえ、そのまま残すことができない。

だから、輪郭を言葉にしていく。そうして、少しずつ気づいていく。数えきれない発見がある。言葉にして初めて自覚できる。少しずつ、細かく追体験をしていく。

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