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山岡鉄次物語 父母編4-6

《若き日の母6》生き延びて

☆珠恵たちはこの後空襲の恐怖を味わう。

それは夜半の甲陽市で始まった。
昭和20年7月6日午後11時23分に最初の空襲警報が発令され、20分ぐらい過ぎた頃に市内北側の寺院に焼夷弾数発が投下された。
午後11時45分2度目の空襲警報が発令されると、山側に照明弾が一発落とされた。

午後11時50分頃になると139機のB29爆撃機による焼夷弾の激しい爆撃が市内全域でくりひろげられた。
主なところでは、7月7日午前0時、市役所と官舎が炎上、午前0時30分、県病院が炎上した。もちろん市民の住宅はあちこちで炎を上げていた。

爆撃機の爆音が鳴り響くなか、逃げ惑う人々の悲鳴、阿鼻叫喚とともに、火災は市内一円に広がり続け、まさに炎に包まれた地獄絵図となった。

空爆は7月7日の午前1時45分頃まで続けられた。

やがてB29爆撃機の爆音が遠ざかり、静寂が戻ると、そこかしこで人の叫び声、火災による木のはぜる音が判るようになった。
午前2時20分頃には空襲警報が解除された。
善良な市民が生活を営む深夜の街に、頭上からの無慈悲な爆撃という、人を虫けらのように扱う悪逆非道が戦争の真実なのだ。




珠恵たちにも空襲の恐怖が襲いかかろうとしていた。
最初の空襲警報の時は、珠恵と清子はいつもどおり爆撃機が通り過ぎるだけだろうとじっとしていた。しかし爆撃機の爆音は収まらず、次第に大きくなって来ていた。

20分程過ぎると、再びサイレンが鳴り響き空襲警報の発令がなされた。

珠恵たちが2度目の警報の後に家の外に出ると、照明弾で街中まるで昼間のような明るさになっていた。とうとう来たのかと思った珠恵たちは、大慌てで着衣を整え避難の準備をした。
その直後、耳をつんざく爆音と共に「サッサッサッ」っと音がすると、焼夷弾が隣家の庭に突き刺さって爆発し火柱を吹き上げたのが見えた。直撃を受けたら酷いことになる。

防空頭巾姿になった珠恵たちは、荷造りの暇もなく清子は2歳の息子正二を抱えて、珠恵は位牌だけを持ち出し、郊外を目指そうと家から飛び出した。
清子は何かあったら守れるように、正二を背負わずにおんぶ紐を前に抱きかかえていた。

既に街のあちこちで炎が上がっている。

直撃を受けた家の辺りでは悲鳴が聞こえていた。

リヤカーにたくさんの荷物を積んでいる家族を見かけた。慌てて先を急ぐ珠恵たちの後ろで破裂音がしたので、振り返ると火柱が上がるのが見えた。リヤカーごと炎に包まれていたのだ。

家の外でまだ眠そうな幼い子供を、急ぐよう怒鳴っている家族もいた。
バケツで大きな炎を消そうとしている人もいた。

B29爆撃機が爆音をあげて低空を通り過ぎる中、珠恵たちは街の外れを目指して先を急いだ。まさに運を天に任せた、焼夷弾の降り注ぐなかの移動となる。

郊外に向かう人の群れが長く続いている。
涙を浮かべながら歩く人、黒く汚れたままの顔をして先を急ぐ人、大きな荷物に立ち往生している人、怪我をした足を引きずっている人と様々だ。

待避壕から飛び出した黒く焼け焦げた腕を見かけた。
燃える炎の熱でたまらず川に身体を沈める事もあった。
焼け焦げた身体でもがき苦しみ、川に飛び込んでそのまま命を落としてしまう人も見かけた。

何が何だか訳が分からず夢中で先を急いだ。2時間ほど経ったのだろうか、かなりの距離を小走りで来た。
道すがら、正二を抱くのを交代しながら進んだが、安心出来る所まで来て立ち止まると、腕も足も身体中疲れきっていた。

珠恵たちが郊外まで、かすり傷程度で何とか生き延びて来た頃には、爆音は静まり街の空は炎で紅く染まっていた。


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