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歌舞伎とは如何なる演劇か その四

『仮名手本忠臣蔵』に見る日本人の美学

日本人の精神史を考える上で欠かせない忠臣蔵

 三大仇討ちの一つ『仮名手本忠臣蔵』
 ”歌舞伎とは如何なる演劇か”を考える場合のみならず、”武士道”を考える場合にも、”日本人の精神史”を考える場合でも、避けては通れない作品です。

 しかし、現在、「赤穂義士の討ち入り」は、テロであるとして、学校で取りあげることはなくなっているのだそうです。
 こうした考えを振り回すのは、伝統との向き合い方を身に付ける機会を逸してきた、新知識人と言える方々なのでしょうか。
 物事の表層的な部分にしか目を向けられないのは、○☓式の知識の詰め込みに偏りすぎてきたからでしょうか。多角的に物事を見る目を養うことの重要性を、ないがしろにして来たからでしょか。
 とても残念な事だと思います。

 『仮名手本忠臣蔵』は、もとは人形浄瑠璃のために書かれた演目で、寛延元年(1748)八月、大阪竹本芝居(人形浄瑠璃の一座)にて初演されました。赤穂義士の討ち入りがあったのが、元禄十五年十二月十四日(1702.1)ですから、事件から47年後のことです。

 ただ、この演目は「赤穂義士の討ち入り」を当て込んではいますが、登場人物を史実の人物と重ね合わせて考えては、この作品が本来、何を描こうとしているのかを、見失うことになりかねません。もちろん、この事件の思想的背景と、登場人物達に託された思いは、通底しているとも言えますが。
 また、日本人の精神史を考える上で重要ではありますが、”武士道”と、必要以上に近づけて考えない方がいいのではないか、と私は思っています。
 何故なら、私たちがイメージする”武士道”は、江戸時代に醸成された美学から、さらに近代に入ってから、かなり極端にはしって、姿を変えてしまっている部分があるからです。ここではいったん、武士道精神ともはなして考えて見たいと思います。

歌舞伎の独参湯

  『仮名手本忠臣蔵』は、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』とともに、歌舞伎の三大名作の一つとされます。
 三作とも、もとは人形浄瑠璃のために書かれた演目です。人形浄瑠璃は、義太夫の語りによりながら、人形が役を演じる舞台芸術です。その太夫が語る文言は、あらかじめ出版されることが前提となっていて、作品として練り上げられた骨格のしっかりした内容を持っています。そのため、歌舞伎においても、人形浄瑠璃のために成立した演し物を丸本物(義太夫狂言)と言いますが、歌舞伎においても、古典作品として大きな位置を占める作品群をなしています。

 『忠臣蔵』は、昔から歌舞伎の独参湯と言われ、歌舞伎の世界が行き詰まった時でも、気付け薬になる、起死回生の演目と捉えられて来ました。
 ただ、他の二作に比べても、人形浄瑠璃の作品として、本当に三大と言われるほどの名作と言えるのか‥
 昨今でも、人形浄瑠璃文楽で時折上演されますが、歌舞伎の演出を逆輸入したように感じられる部分もあり、歌舞伎人気に引きずられて、文楽でも上演されているにすぎないように、私には思われてしまいます。

 歌舞伎の『忠臣蔵』は、「役者の芸」や「役者、その人の魅力」で見せる古典芸能として、観客を魅了し続けてきた作品と言えるでしょう。
 名作と言われる所以は、役者が生涯をかけて磨いていくにたる芸の魅力を、さらに次世代へと、役者の肉体を通して連綿と引き継いできたことにあるのではないでしょうか。
 そして、役者がなぜ生涯をかけて磨き続けたいと思うのか‥
 ただ、先人の芝居が良かった、格好良かった、というだけで連綿と受け継がれてきたわけではないと、私は思っています。
 受け継ぎたい、受け継がなければという、思いや使命感があったからこそだと、私は思っています。

人間いかに生きるべきか

 『忠臣蔵』が提示してくるものは、「人間はいかに生きるべきか」というテーマではないかと、私は思います。
 それは、西洋哲学のように、知的階級の深い思索の上に積み上げられていった、体系的で立派なものとは、ほど遠いですが。
 それは、どれも卑近な問題において、人としてどうするのかという問いにすぎないのですが。

 権力の座にある者が、それをカサに部下の女性に恋慕するなどあり得ないよね。「公」の仕事を「私」の利益のために悪用するなど、許されることではないよね。「公」の仕事を全うしようとする人の邪魔をし、辱め、破滅させようとするなど、もってのほかだよね。
 無実の罪に陥れられた人の無念を晴らし、よくないことはよくないと声をあげ、世の中に蔓延らないようにしたいよね。そうした間違った行いに対し、闘おうとしている人を応援したいよね。たとえ困難が伴おうとも、良くないことを蔓延らせないために闘うには、世間に後ろ指をさされないように、筋を通して、全うしなければならないよね‥‥

 老若男女、貴賤上下を問わず、その場の「空気」に支配されつつできあがってくる、不文律と言えるもの。それが『忠臣蔵』のテーマであると思います。それが磨き上げられた役者の「芸の力」によって、私たちの心に自然としみいっていく。役者の芸に惹かれていうるうち、無意識に生き方の美学を私たちは感じ取っているのではないでしょうか。美しく生きることの素晴らしさと、勇気を私たちに与えてくれていると思います。

世界も受け入れる忠臣蔵の精神

 太平洋戦争後、GHQの支配下にあって、歌舞伎は存続の危機に直面します。GHQは、日本における民主化の促進、軍国主義撤廃を目的とし、様々な政策を打ち出すことになり、それは歌舞伎にも及びました。

 「日本における映画、演劇の根本的問題は、次の如し、---- 封建主義に基礎を置く忠誠、仇討を扱った歌舞伎劇は現代的世界と相容れない。叛逆、詐偽等が公衆の面前で正当化され、個人的復讐が法律に取って代わる事が許される限り、日本国民は現代世界の国際関係を支配する行動の根源を諒解することは出来ないだろう」<『歌舞伎座百年史 本文編 下巻』昭和20年の項(「演劇界」昭和36年1月号からの引用)>
 昭和20年11月、『寺子屋』の上演中止命令が出て以後、
 「封建時代の義理人情を扱った題材の多い歌舞伎に対し、上演の可否を検討させられる状況に追い込まれることになる」<『歌舞伎座百年史 本文編 下巻』昭和20年の項>

 こうした歌舞伎の危機を救ったのは、様々な方々の努力と決意があったからですが、後に”歌舞伎の救世主”と呼ばれた、フォビオン・バワーズ氏の存在が、大変大きかったようです。
 彼は陸軍少佐で、マッカーサー連合国軍最高司令官の副官をつとめていました。戦前来日した折、歌舞伎に魅せられて、一年間歌舞伎座に通い詰めていたほどの歌舞伎愛好家でした。

 昭和22年11月、東劇で『仮名手本忠臣蔵』が通しで上演されることになります。
 切腹や討入り場面のある、封建時代の義理や人情を扱った作品と認識されていたにもかかわらずです。
 背後には、バワーズ少佐の尽力がありました。
 彼は、段階を踏んで歌舞伎の統制を緩めていき、『忠臣蔵』の上演を実現させたのです。この上演により、歌舞伎の統制が全面的に解除されることになったといいます。

 まだ、人々の間に敗戦の爪痕が大きく残る中、この興行の前売りには、客の行列が劇場を二回りも取り巻く行列が出来、1日で千秋楽までの切符が完売したといいます。一ヶ月の給料が千八百円という時代、切符の一等が百二十円で売り出されていたにもかかわらず、千円という高値さえ付けられたと言います。

 「わずか30才前後の若き将校の存在によって、たまたま歌舞伎は残ったに過ぎないなんて‥、そんなつまらないことで‥」
そう友達が言っていたのを思い出します。
 でも、私は、異国の若き将校を奔走させるだけの魅力が歌舞伎にあったからこそ、歌舞伎は残ったのだと思うのです。
 奇跡は偶然ではなく必然だと、私は思います。

忠臣蔵の美学は時代を越えて

 例えば、テレビドラマの『半沢直樹』と『忠臣蔵』。その底に流れるものは、基本的に変わっていないと、私は思います。

 人間としての「美しい生き方」というのは、たぶん、洋の東西を問わず、また時代をこえて、確かにあるのだと思います。
 それは単なる理想に過ぎない部分もあるかもしれません。
 しかし、理想に近づこうとする”思い”や、”信念”。人間を信じ、また信じられる存在であろうとする姿勢。青臭いかもしれませんが、そうした思いが、明日の活力になることは間違いないと思うのです。

 そうしたものを描き出す。
 それが歌舞伎という演劇の真価だと、私は考えます。

                         2023.9.5

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