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『傾城道成寺』『喜撰』 附<歌舞伎の「世界」と「趣向」 古典とどう向き合っていくか>

辰 三月大歌舞伎 <白梅の芝居見物記>

  傾城道成寺 雀右衛門丈への思い

 今回、四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言として、傾城道成寺が昼の二番目として上演されました。

 私が歌舞伎を見始めた頃は、女方と言えば六世中村歌右衛門丈と七代目尾上梅幸丈がまず上げられる時代でした。
 ただすでにお二人とも華やかな美しさで魅せる女形のピークは過ぎていたかと思います。お二人に関しては、厳しさや強さを持った立女方として、または世話物における女房や品格ある立役として、尊敬の念を抱ける芸境を堪能さて頂いていた、という記憶の方が私には強く残っています。

 そんな中で、年齢をこえた古典芸能ならではの女形の美しさやかわいらしさなどの魅力を教えて下さったのが、四世雀右衛門丈でした。
 二人の女方の蔭にずっと隠れていながら、お二人と同世代である四世が徐々に存在感を大きくされていくのですが、その経歴に思いを致せば、並々ならぬ努力と研鑽があったであろうことは容易に想像が付きます。
 そんな四世が、お二人の息子様があまり芸に対して熱心でないことを他の役者さんにもらしていたというようなエピソードをどこかで読んだ覚えがあります。

 四世が、今回の追善狂言を見てどんな感想をお持ちになったかと私は思ってしまいます。
 私は、今の雀右衛門丈が決して努力を怠っているとは思いません。ただ、お父様のことを思うととても歯がゆく思われるというのが正直な感想です。
 何故、もう一皮むけないのだろう‥と、僭越ながら思われて仕方がないのです。

 一昨年の秀山祭において片岡仁左衛門丈が由良之助をつとめられた『祇園一力茶屋』で拝見したお軽はとても魅力的でした。昨年の秀山祭における『一本刀土俵入』のお蔦もいい味わいを出しつつあったと思います。
 それでも、今回のような舞踊などでは特にですが、もう一つ何かが足りないように私には感じられて仕方がありませんでした。
 そんな中、今回の追善に関してのインタビュー記事を読んで、その原因を見いだしたように感じました。雀右衛門丈がもっとうまい役者になりたいとおっしゃられていたからです。

 私が若い頃、大変無器用な若手の役者さんに関する話題の中で、うまい役者より「いい役者」でなければならないというような事を言う方がおられました。若気の至りで私は、うまくなければ面白い舞台になるはずがないではないか、と思ったものでした。
 また、70代後半から大名優と評されるようになった13代目の仁左衛門丈が、役を演じる上でその役の気持ちになることが一番大切であるとおっしゃっているのを読んで、そんなこともわからず長年芝居をしておられたのか、と今思えば冷や汗ものですが、若気の至りでそんな風に考えたこともありました。

 長年の修行のなかで型や技法を身に付け戯曲を読み込んで来た上でのご感想は、習いたての自然主義的な演技論を若輩者が表層的に捉えていただけのものとは全く次元が異なったものであるのは言うまでもありません。
 観劇経験を積み重ねた観客の立場からいっても、うまく演じることで表現されたものより、役の性根を肚にすえ舞台の上でいかに魅力的に舞台の上で息づいていらっしゃるか、いかに輝やいていらっしゃるか、という方がずっと大切なのように思われます。

 今回は、尾上菊五郎丈の尊秀や尾上松緑丈に大きく助けられての舞台だったように思います。
 当代雀右衛門上には「いい役者」さんとして、先代のように若々しくしなやかな肉体で、もっともっと魅力的な大輪の花を咲かせていただけたらと願ってやみません。

 傾城道成寺 <歌舞伎の「世界」と「趣向」、古典とどう向き合っていくか>

 今回、道成寺物の世界の安珍が、実は平家物語の世界の平維盛であるという演目の設定に関して、SNS上でも批判的な意見や疑問の声などがあったのは知っていました。
 そうした声が一部だけに終われることであれば、大きな問題でもないように思われていたのですが‥。
 そうした疑問に対して松緑丈が一生懸命誠意をもって対応しようとしている姿を見て、古典と向き合う上で欠かせないであろう視点を考えて見る必要があるのではないかと思われました。
 附け足し的ではありますが、重要なことなので少し書かせていただけたらと思います。

 歌舞伎狂言を考える際に「世界」と「趣向」という概念は避けて通れません。歌舞伎狂言が発達していく中で、江戸中期頃から江戸で生まれてきた概念とされます。
 「世界」とは例えば、平家物語の世界とか、曽我の世界とか、小栗の世界とか‥、登場人物を含めその作品の縦糸となる物語世界を表します。江戸時代の歌舞伎を説明する際どういう作品にしていくか「世界定め」をしたなどと書かれているのを目にしたことがあるかと思います。
 『世界綱目』という狂言作者用の参考書が江戸時代にすでに書かれているくらいで、かなりたくさんの「世界」があることがわかります。

 「世界」は基本的な物語の設定で、そこに新たな発想により物語を膨らませるための工夫=「趣向」が用いられバラエティに富んだ作品が生み出されていくこととなります。
 さらに、異なる「世界」を二つ三つと組み合わせて「ないまぜ」にして描く「趣向」も歌舞伎では頻繁に行われていました。
 ですから、今回のように「道成寺の世界」と「平家物語の世界」を一緒くたんにするような「趣向」は、歌舞伎作品において決して珍しいことではありません。

 ただ、気をつけなければならないのは、「ないまぜ」も単に奇抜なアイデアのもと何でも違った世界を好き勝手にくっつけているわけではないということです。どんな法則があるかは、簡単に説明できるものではないのでここでは省きますが。
 また、「趣向」は、和歌の世界でいう「本歌取り」の要素をもって書かれているので、その本歌がどういうものかさらにそれをどう膨らませたか、視点をどう変えて描いているのかなど、見る側が享受出来るようになるにはかなりの知見が必要になってくるかと思います。

 その上、殊に近世でおいては人形浄瑠璃や歌舞伎が時事問題におけるメディアとしての機能を色濃くもっていたことは無視出来ません。
 そうした部分での影響力が非常に大きかったことから、言論の自由が制限されている世の中にあって、非常に暗示的に作品が書かれている部分がかなりあると思われます。
 後世の者にとってはわからなくなっていることの方が圧倒的に多いかと私は思います。学識者の方々であっても、細かいことを突き詰めると実際にはわからないことの方が多いのではないでしょうか。

 ただ、わからないことをわざわざこんなにわからないことがある言う必要もないでしょう。
 今の教育は答えられることしか教えない傾向があります。わからないことの方が世の中には多いということに目を向けさせません。本来でしたらわからないことに着目しそれをどう考えどう捉えられるのか、どんな問題を見いだしどう解決していけるのか。そうした考え方の道筋を教えることが、殊に高等教育の使命かと思われるのですが、なかなか今の教育制度の中では実現しがたいのかもしれません。

 学ぶ意識の高い方々や好奇心旺盛な方が専門家に聞けば何でもわかるという前提で質問されたり、疑問を発してくるのは、答えを与えられることに慣らされてきたのだから仕方がないとも言えるでしょう。 
 そんな世の中なので、専門家ならわかっているという前提で答えを求めて来る方に、はっきりとわからないということを言いにくい風潮もあるのだとは思います。
 演者や学識者にとっては、痛いところを突かれるようなこともあるかと思いますが、そこから逃げたり目を背けてはもちろんいけないのです。

 古典芸能を支える人の裾野が広がる中で、素朴な疑問を持つ方がたくさん出てくるのは、むしろ好ましい事かと思います。
 古典芸能を担う側も、今まで考えなかった視点に対して「答え」を求められることが増えることは、作品と己が向きあう中で、決して悪いことではないようにも思います。

 ただ、専門家なのにわからないのかと、批判的に捉えてしまうのも、古典を学ぼうとする側の姿勢としては違うように思われます。
 古典芸能に対しては観客も簡単に答えを求め判断するのではなく、疑問に思ったらそこにどんな理由があるのか、わからなければとりあえず「保留」にして疑問を大切に心の片隅に持ち続けるくらいの姿勢は必要ではないでしょうか。
 見る側も演者も、わからないことはわからないこととして、それを一緒に考えていきましょう、というスタンスこそ”古典”と向き合う正しい姿勢のように、私には思われます。

 疑問に思うことが多々あったとしても、そうしたことを越えて楽しめ楽しませることが出来たからこそ、古典芸能は演者の”芸”を魅せるものとして発達し、継承されて来たのだと思います。
 多くの人にとっては、よくわからなくても素晴らしいと思えることが重要であったからこそ、現代にも継承され続けているともいえるのではないでしょうか。 

 テキストが残る古典文学であれば、どんなに自由な発想でとらえたり注釈を付けても、原典が残っていれば常に古典を捉え直すことが可能です。
 ただ、古典芸能においてはテキスト化されていないところに重要な伝承が残っているので、例えば能楽のようにとにかく教わった通りに次世代につないでいくという姿勢はかなり重要であるように私には思われます。
 わからないからと無視したり削除したり作り変えてしまっては、古典芸能の重要な部分がさらにわからなくなったり、失われてしまう可能性が非常に大きいかと思います。

 歌舞伎でも、肉体から肉体に伝承されることはまずはなるべくその通りに伝えるという姿勢が重要であることは言うまでもありません。
 その上で、文字として残っているものの中に解釈できないことがあっても、わからないことはまずは変えない、そのまま伝承するという姿勢が大変重要であると私は考えます。
 国立劇場開場当時のパンフレットを見ると、わからないことは変えないというスタンスを持とうとしていたことがわかります。
 ところが、近年は今の観客にわかり易いようにと、勝手に書替えた新作もどきの作品さえ復活狂言として上演されるようになってしまっています。大変大きな問題であると私は思います。

 現代の知識人が納得できるようにと、復活上演をうたいながら勝手に書替えてしまうことは古典の本質を見失っていくことになると、私は思います。
 古典を継承していく上で最も危険な行為は、わからないことを現代人の感覚でわかるようにと合理性をもたせ勝手に作り変えてしまうことだと、私は考えます。 

 六歌仙容彩 喜撰

 松緑丈を中心として、非常にいい舞台を拝見させて頂きました。
 私は、二代目松緑丈と初代辰之助丈の喜撰を拝見したことはうっすらと覚えているのですが‥。歌舞伎の踊りに関してなんとなくわかったうような、楽しいと感じられるようになるのに私は十年も費やしています。いいも悪いもどうとらえていいかわからないまま、情けないことに一生懸命拝見していた、という記憶しか実はありません。

 私が初めて喜撰を面白いと堪能させて頂けたのは、平成25年の坂東三津五郎丈の舞台を拝見したときでした。それまでどなたの舞台を見ても、この作品の面白さがわからないでいました。十代目三津五郎丈の最後の喜撰でしたが、伝説となっていた七代目三津五郎の名舞台とはこうしたものであったのかと、その時の感動は今でも覚えています。

 その舞台に次いで、今回の喜撰は私にこの作品の面白さを感じさせてくださるものでした。これからさらに松緑丈がどこまで深められていかれるのか、どんな味わいを見せてくださるようになるのか、今後がもっと楽しみとなるような舞台でした。
 今回は、喜撰の踊りでだけでなく、梅枝丈も美しく華もありましたし、なにより所化の皆さんお一人お一人が生き生きと明るく丁寧な踊りを見せてくださっていたのも印象深かったです。ぐんぐん背も伸びて育ち盛りの三人さんが中央で踊る姿は微笑ましく、菊五郎劇団らしい華やかさがあって、短いながら贅沢とも言える見応えのある舞台を見せて頂きました。
                       2024.3.31


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