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いま、親になっている-DINKs思考だったわたしの出産レポート。

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早朝、少しだけ肌寒さが落ち着いてきた寝室で目が覚めた。

毎朝スマホのけたたましいアラーム音がなければ、いつまでも死んだように昼近くまで寝ていた自分が、アラームが鳴る5分前に自然と目が覚めるようになるとは夢にも思っていなかったと物思いにふける。

爆睡しきっている相方を横目に、静かにベットを這い出てすぐ横に置かれている木製の、腰高なベビーベットを覗き込む。昨晩もせっかく布団をかけてやったというのに、小さくもたくましい足で全ての布団が足元に蹴散らされている。それどころか買い換えたての、頭に優しく柔らかさが自慢の枕も見事に明後日の方向に追いやられている。

そしてその物物をどかして生まれた中央の余白スペースに大変健やかな、いつもの寝顔があった。わたしはお腹に手を当てて、小さな呼吸を確認する。お腹が小さく上下に揺れ動き、酸素が肺に運ばれていることがわかる。

(よかった、生きてる。)

何ヶ月たっても、いまだに朝一番に考えてしまうのは彼の「生と死」だ。柔らかい布団に埋もれて窒息死する事故や、未だ原因不明とも言われている乳幼児の突然死症候群の話が毎日よぎる。それにちょっとした不注意で高いところから落下したり、ぶつかったり、はたまた大人の力が振るわれたら彼らの体はひとたまりもない。

小さな手のひらに指を差し込むと、ぎゅっと握り返されて胸が熱くなった。生まれたばかりの彼らは満ち溢れるような生を発揮しながら、同時に未だ死にとても近い生き物であることを、その指先から嫌でも痛感させられるのであった。

産後の心境変化

子供が産まれた。そして驚くことに、もうそれから5ヶ月もの月日が経とうとしていた。

毎日が新しさと驚きと、ちょっとした不安で埋め尽くされていて「子育てどう?」と周りの人に聞かれた時、ざまざまなシーンが頭の中を駆け巡って3秒ぐらいフリーズしてしまう自分がいる。多分それは、まさに喜怒哀楽というような感情が全部ごった煮になっているからなのだと思う。

それと同時に、30歳を過ぎて多少は「大人みたいな何か」になった自分が、久方ぶりに剥き出しの感情を。それも四六時中にわたって強制的に発露させられているからだとも思うのだ。

今日は出産前後を振り返るとともに、その過程で起きた私のダイナミックな感情の変化について書き起こしてみようと思う。

産前の白昼夢

産む直前までは、いつも夢の中にいるような気分であった。

張り詰めんばかりのお腹の苦しさをどれだけ味わっても、やはりこの中に「人がいる、それも自分の子がいるのだ」という実感は、私には微塵も湧かなかった。本当に親になれるのか。間違うことはあれど正しくあろうと努力して、彼を大事にできるのかという不安のようなものがずっと腹の奥底で渦巻いていた。

それに、パートナーへの感情はこれまでの愛おしさを保ったままでいられるのだろうか。世に流布される産後離婚や、子供だけが最後の砦になった冷めきった夫婦関係になってしまわないのだろうか。そして私の仕事は、人生は、一体どうなってしまうのだろうか。不安と、疑念と、不確実な未来予想ばかりが頭をよぎっていたように思う。

いざ陣痛が始まってからは、本当に経験したことがない種類の未開の痛みにひとり向き合った。2022年秋はコロナの流行がぶり返していた時期であったため、出産直前までは誰も付き添うことができなかった。わたしは病室でひとり、痛みを噛み締めていた。

息ができないほど痛いのに、力みを避けて息をしなければいけないのが陣痛の辛いところだ。本当に勘弁してくれと脂汗を垂らしながら、ネットで事前に調べた呼吸法や姿勢を試しては呻き、こんなところで負けてたまるかと出された病院食を1分おきに襲ってくる陣痛の合間に必死で掻き込んだ。

正直、痛みを感じている最中は腹の中の人間のことなど微塵も考える余裕がなかった。もはや人体の作り方が不完全すぎる!先祖もしくは神様にリコールだ!!!と謎の文句を頭の中にぶちまけていた気がする。

そして陣痛開始から10時間、病院についてから5時間で第一子の長男が生まれた。相方も立ち合いに間に合い、股の間からずるりと生暖かい塊が抜け出た感覚の直後に、ひょっこりコンニチワと言わんばかりに血まみれの小さな我が子に対面することができた。そして瞬間、彼は勢いよく泣き出し、分娩室にそれはそれはけたたましい声が鳴り響いたのだった。

正直、生まれたての彼を見た瞬間はまだ愛おしさを感じられなかった。

猿みたいな顔だなとか、指がシワシワだなとか。今まで見たことがない、未知の生命体に遭遇した探検隊のような戸惑いが大半であった。また見せてもらった己の胎盤があまりにもデカくて、血まみれで、それはそれはグロかったが同時にとても刺激的だったせいもあるかもしれない。

血まみれの我が子が洗われて体重や身長を測られている間、私は呼吸を整え、麦茶を飲み、徐々に冷静さを取り戻していった。裂けた股を医師が針でチクチクと縫っていく感覚は、これまで手術経験がなかった自分にとっては何とも形容し難い、少し異様な体験であった(意外とこれも痛かった)

数十分かけて股が縫い終わると、顔のすぐ横にタオルに包まれた我が子がそっと置かれた。小さくて、赤くて、手はしわくちゃでまだ紫がかっていて、やっぱり猿みたいな変な顔をしていた(そういう私も猿の仲間なのだが)

手のひらをツンツンとつつくと、かすかに指を握り返され、瞬間、全身の神経が逆立つように震えた。

それは恐らく、わたしが母親に「なり始めた」瞬間であったのかもしれない。

新生児の杞憂

我が子に触れたことで、いろんな感情を追い抜いてようやく感動のようなものが込み上げてきた。それは自分への労いと、産んだという根拠のない自信と、これまで一緒にいてくれた相方への感謝と愛おしさであったようにも思う。

テンプレみたいな台詞になってしまうが、嗚呼この人の子供を、この人の遺伝子を後世に残せてよかったと心底思った。まるで自分に似合わない子孫を残すという生命の本能が溢れ出てくるのを感じて、意外や意外にも私はちゃんと哺乳類だったんだなということを生まれて初めて実感した気がした。

しかしそんな愛おしさを押し出すようにして、次は「一瞬で死んでしまうのではないか」という心細さが常にわたしの頭と心に付き纏った。

新生児は、果てしなくか弱い。自分で首の向きを変えるどころか、瞼も眼球も満足に動かせない。ミルクをたった20ml飲むだけで力尽き、3時間も眠りこけてしまう。病院の新生児ケースには振動感知のパットが仕込まれていて、呼吸が止まるとアラートが鳴るようになっているけれど心境としては気休めでしかない。

寝てる間に力尽きて死んでしまったら?それにミルクを吐いて窒息死してしまうかも。

不安で不安で、できれば眠りたくない。けれど出血で体力を使い切った満身創痍の身体はそうは待ってくれない。母体も生きるため、痛みきった体を治すために果てしなく永遠と眠気が襲ってくる。

私が寝ている間に、頼むから死んでくれるな。生きて会おうと布団に潜り、数時間おきに祈るように仮眠をとった。そして目が覚めては一目散に呼吸を確認する入院生活が続いた。

そしてそんな不安を洗い流すように、ときおり自分でも引くほどの感謝と愛おしい気持ちが春の雪解け水のように溢れた。子供と、パートナーと、そして我々を産んでくれた両親と、その先の先祖代々と。ありとあらゆる私を取り巻く人や環境、それを呼び込んできてくれた運に、とにかく頭を下げたくなって1人深夜の病室で号泣してしまった。人生で一度も出会ったことのない感情はぐにゃぐにゃと掴みようのないものであったが、同時に不思議と心地よさを与えてくれた。

例えがあれかもしれないが、人生の途中で宗教に心から入信する人の気持ちはこんな感じなのかと思った。それくらい、振って沸いたこの感情に名前を付けたくなるような、そんな強烈な体験だった。

今、親になっている。

彼が初めて、この世に声を響かせたあの音が今も私の耳に鳴り残っている。

産まれたばかりの彼に対して、死なないで欲しいと願い続けた祈りは何かに届いたのか、はたまた偶然なのかは分からないが、大きなトラブルもなく彼はすくすくと育っている。

ジーナ式という子育て方法がハマったのか、彼の気質なのかは分からないがあまり泣かず、沢山飲んで腹が満たされればよく寝てくれた。最初は自分の股間が痛過ぎて我が子の可愛らしさを実感する余裕もなかったが、2ヶ月3ヶ月と時間が経つごとに気力が戻ってくると「クソ可愛いな、おい」と思うようになった。

世の中の親バカさん、これまで偏見を持ってごめんなさい。うちも、うちの子が一番可愛いです。たぶん皆さんもそうなんですね、今なら少しだけわかるような気がします。

しかしそんな可愛い彼も、妙にご機嫌だと思ったら背中までべっとりうんこを漏らしている日はやっぱり最悪だ。黄色い菜の花みたいなうんこは中々汚れが落ちなくて、酸素系漂白剤に漬けまくる日々は手間で手間で仕方ない。

挙げ句の果てには下ろし立てのジーンズと、上半身の白シャツにまで新鮮なうんこを直接ぶっかけられたことは一生忘れないだろう。ちなみに相方も、先日うんこだけでなく小便もセットでサービスされたらしい。気前がいいのは私譲りだろうか。

それでも不思議なのは、うんこを引っ掛けられても「うわああ最悪!!」と思ったそのすぐ後に「便秘じゃなくてよかった!」と、ひた喜ぶ真逆の自分がいることだ。まるで毎日が感情のジェットコースターで、これが上場企業の株価だったらたまったものではないが、これが子育てにおいては酷く笑えてくるからまた面白い。

このマガジンを書き始めたとき、何となくつけた「迷いながら、親になる。」というフレーズは、我ながらよく出来ていたと思う。何故ならばわたしはまだ「親ではない」と思うからだ。もちろん世間的には親に「なった」と呼ばれる状態なのだろうが、実感としてはその「過程にいる」という方がしっくりくる。

わたしの心のバイブル違国日記の表現を借りるなら、これは現在完了進行形で、まさに今わたしは「いま、親になっている」と言うべきなのかもしれない。

「今読んでいる本」は 今ここでじゃなく 読み途中の「読んでいる本」はね I'm reading ではなく

過去のわたしから 今 少し未来のわたしへ 繋がる この線の上 I’ve been reading 「今 読んでいる」

だからあなたは…  なんだろうな
You’ve been thinking of them
続いている

それを強引に 断ち切る必要はない

違国日記2巻より

私は一応彼の親であり、同時に親になり続けている最中なのだと思う。自分の感覚としてはまだ親らしいものには遠く及ばないような気もするが、20歳、30歳と歳の境界を超えるたびに「思ったより、大人って大人じゃないんだな」といい意味でガッカリした感覚に近いのかもしれない。

いざ産んでみたものの、予想通りにというと少し笑えてくるが、やはり思ったよりも私は世間一般でいう「親らしく」はない気がする。授乳をガン無視したおしゃれはするし、影響がない範囲でビールも飲むしコーヒーも嗜む。たまには相方に息子を預けて深夜まで飲みに出かけることもある。

それでも、彼のために部屋の模様替えをしたり、個人では絶対に色物を好まなかったインテリアの中に大量のカラフルなおもちゃを置くことは全く嫌じゃない。1人なら電車に乗り遅れまいと行儀悪く駆け込んでしまうこともあるが、彼を抱えていると階段ひとつ、ドア一つをとっても安全を最優先して次を待ったり、多少時間がかかっても彼が快適であることを選ぶようになった。

年末ぐらいにしか帰らなかった自分の実家にも頻繁に顔を出すようになった。片道5時間弱かかる義実家の喜びようがものすごくて、そしてそれが嬉しくて春夏秋冬ごとに彼を連れて行きたいと思うようになった。滅多に両親と連絡を取らない相方も、息子が生まれてから毎週末ビデオ通話で両親に息子を見せびらかしている。

そんな時に、わたしは自分が1年前に書いた記事をふと読み返す。

今読むと「誰が書いたんだろう」と思わず口から出てしまいそうなほど、怒りと、悲しみと、戸惑いに満ち満ちている文面からはものすごいエネルギーを感じるが、それが自分だという実感がかなり薄くなっている。一言で言ってしまえば、全てが上書きされたのだと思う。

嗚呼、これを、この感情を「あの時」に書いておいて良かったなと改めて噛み締める。絶対に今のわたしに、この文章は二度と書けないと思うからだ。

それぐらい私の人生は、大袈裟に言えば今回の出産によって「ほとんど上書きされた」ぐらいのインパクトがあったのだと思う。それは少しだけ誇らしくて、ちょっぴり寂しくもある。もう、この激情を持ったわたしは過去のもので、自分の中には残り香しか残っていないからかもしれない。

しかし同時に、全く新しいわたしが今ここにいることも確かである。

子供が生まれたら世界が変わった!という話を聞くたびに「なに戯言を言ってんねん」とツッコミを入れたくなる方の人間であったが、自分のみに起きてみると本当に同じセリフが出てくるので非常に恥ずかしい。

しかしそれでも恥を忍んで言いたいのは、これが人生2.0というか、30を過ぎて若干人生というものにマンネリを感じて刺激ジャンキーになりかけていたわたしにも新しいフェーズがやってきたように思えた。

だからと言って「産んだほうがいいよ!」と手放しに、自分の周りに伝えたいかと言われればやはりそれは「NO」だ。

いっそ殺してくれと思うぐらいにつわりは辛かったし、たまたま10ヶ月が滞りなく過ぎ、たまたま出産が上手くいって、子供も今のところ健康なだけなのだ。ふと周りを見返せば身体的な困難さを伴って生まれた子もいれば、出産の際に出血多量で母体が危うい状態になり気が気でない時間を過ごした人もいるだろう。

異次元の少子化対策と言われてもまだ先は見えないし、お金の心配や、親族の協力が得られない人もいるだろう。そもそも自分の趣味や仕事の時間を削るだけの価値があるのか、足踏みをしたくなる気持ちは痛いほど分かる。

それでも、結果的にわたしはこちら側に来た。それ以上でも、それ以下でもないのだと思う。

それと同時に、わたしが選ばなかったあちら側の生き方を羨む日がいつか来るのかもしれない。でもそれは多分キレイな部分だけを掬い取っているだけで、実態はどちら側の人も何かを得て、何かを失っているのだと思う。全てはバランスで、差し引きなのだから。

これからもわたしは私なりに、出来ることをしようと思う。得たものを最大限に楽しみ、味わい尽くすと同時に、日に日に理解しづらくなるであろうあちら側のに思いを馳せることを忘れないでいたい。

もしパラレルワールドの私と夢で会えたなら、お互いの選択を讃え合いたい。そんな妄想をしながら綴った、人生で初めての、わたしなりの出産レポートであった。

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