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モグラの涙。


この夏休みに、義弟と分かち合った話がある。

私は、紙と同じ位、日本の下水道システムに敬意を抱いている。

当たり前のように、水質に怯えることなく、水道水の水を飲み、清潔に暮らし、生野菜を洗って食べたり、赤ちゃんのミルクを作ったり、水素水の風呂に浸かって美を磨けるのも、

しっかりとした、上下水道のシステムとその管理体制があるからである。

こんなことには、空がそこにあるのと同じように、朝がくるのと同じように、あまり意識をせずに暮らしている人が多いかもしれない。

地上にある、この当たり前の生活を支えてくれているのは、

真夜中に泥だらけになりながら、
真冬に白い息を吐きながら、
真夏に汗まみれになりながら、

穴を掘り、そして埋めることを繰り返す、土木作業員と呼ばれる彼らのおかげである。

と、私はこんな思いを、熱燗を挟んで義弟に熱く語った。


彼は下水道だけでなく、ガスやら鉄道やら、全般を担う会社にいるが、同じ地下を掘り進む仕事だ。

我が妹子は、その息子が幼い頃、「お父さんのお仕事はモグラのお仕事なんだよ」と、よく話していた。その頃、お母さんといっしょ〜で流れてたモグラの歌が大好きだった息子は、目を輝かせていたものだ。

義弟は、中卒でずっとこの仕事をしている。

溶接で眼球が傷つき、爆音の中で仕事をしているから、若くして耳も遠くなり、やたら声がでかい。

体のあちらこちらにガタがきているが、会社の上役になっても彼は現場を離れない。

日本酒をチビりとやって、義弟はこう返してくれた。


"俺らみたいな辛い体力仕事だと、若いのもそうでないのも、すぐに辞めてしまう。でも、俺らの仕事場は、逆に社会で行き場を失った人たちの居場所にもなってると思うんだ。

有無を言わさぬ上下関係の中で、汗水たらして働いてさ、金も学もないけど家族養うための最後の受け皿でもあるんだ。"


確かにそうだ。
今や立派に出世しているが、彼もその中の1人だった。ヤンチャし過ぎただけでなく、病人を抱えた家、家庭の事情でお金がたりなくて、高校へ行く暇もなく、とにかく働くしかなかった。義弟は続けた。


"工事してるとさ、やれ邪魔だの、うるさいだの、どけだの、いつまでやってんだとか、役人からも昔はボケだのカスだの、言われたもんだよ。でもごくごくたまに、ありがとうございます暑いでしょうなんて、差し入れくれる人もいる。

そうゆうのは大抵、おじいちゃんおばあちゃん。日本が不便だった時代を知ってる人たちだよ。

田舎の現場だと、ありがとうありがとうって、現場片付けて帰るときに、おばあちゃんたち危ないからもう帰んなって言って、バックミラー見たら、手を合わせて見送ってくれてたんだ。

ほんと、泣きそうになったよ。仕事のつらさだけじゃなくてさ、そんな経験を、若い者にさせてやりたいんだよ。"


この辺りで、私の涙腺もうるうるし始めた。
不便を知っている方々は、この世から消えてゆく。それもある意味喜ばしいことなのかもしれないが。


"俺らの仕事は、マンホールの蓋しか見えない。蓋閉めたら終わりだからさ。誰にも見えない仕事だけど、こうやって、理解してくれたり、見ててくれる人もいるんだなって思うと、おねえ、俺は嬉しいよ。"



世の中には、キラキラ輝く仕事してる人ばかりじゃない。

私たちが、ハッピーとかラッキーとか、心豊かにとか、自分がきらいとか、あのひとのせいだとか、自分探しとか、ご陽気にご陰気に暮らしていられるのははっきり言って、

スポットライトは当たらなくても、人が寝ている時間に、黙々と誰かの安全のために働いている人や、荷物を運んでくれる人や、命を見守ってくれてる人やシステムがあるおかげなんだ。

私たちはみんな、こうした見えない大きな愛に支えられているんだ。

そうわかっていたら、うるさい、邪魔だ、なんて言えないはずだよね。

"私はね、みんながみんなの代わりだと思っているんだ。本来生きるために自分でしなくてはならないことを、自分以外の人が、私ができないことやってくださっていると思ってる。だからありがたみしかわかないよ。

私は道路掘り返せないし、歯石もとれないし、畑で作物を育ててないし、豚を殺せないし、車を作れないもん。

だからコンビニの店員を顎で使ったり、道路工事が邪魔だと苦情を入れる、そんなところで偉そうにする人の、器の小ささを笑え。"

そう言うと、彼の目に浮かんだ涙が流れた。

こんな話を聞かせてやりたいよと義弟が息子を探しに振り返ると、

日焼けと茶髪でチャラい絶頂期の息子は、ソファーに寝転がり大口あけて横チン状態でイビキをかいていた。

「おい、寝るぞ!明日も5時だからな」

モグラの親子の夏休みは短い。

(2016/08/16)


あれから妹子と離婚して会うこともなくなったモグラの義弟。きっとこの寒空の下、今日もがんばっているだろう。

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