白取春彦

白取春彦

最近の記事

「わかる人」は何をしているのか①

 このnoteは1カ月に3回ほど更新される。  テーマは「わかる」ことについてである。わかる人とわからない人の差とは何なのか。わかるためにはどのようにすればいいのか、といったことについて一般的に役立つことを書いていこうと思う。

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    • なぜ幽霊はプライベートな現れ方をするのか〈試論〉

       幼かった頃から私はさまざまな幽霊のようなものを見てきた。したがって、この世には霊的なものが存在していると思っていた。なぜなら、「自分がそういうものをさんざん見てきたたから」である。しかし、時が経ち、四十代の前半頃になると、そうは思わなくなっていた。ラマチャンドランの本を読んだからである。  ラマチャンドランは、人の脳の不調や障碍によって幽霊が見えるものだと科学的に説明していた。私はなるほどそういうものかと思った。では、最近アレを見たのも私の脳の問題かと思い直した。確かに私

      • 分けることは不可能ではないのか④

         自分の意識が大きく変容していないときも、不思議な事象を体験してしまう。これはどういうことなのだろう。あるいは、体験をするかどうかは私の認識と関係があるのだろうか。認識の仕方が不意に変わったり、通常でなくなることが結果的に不思議な事象として体験されるとでもいうのだろうか。こういう認識の話になると、カントが『純粋理性批判』に書いた説を思い出してしまう。  カントはその有名な本で、人間の認識には限界があると述べていて、認識装置であるその12のカテゴリーはとても狭いものだ。そして

        • 分けることは不可能ではないのか③

           空から花の鉢がいくつも落ちてきたことについて、あるいはまた、これまでの私の不思議な体験の数々を、私がそのつど何か意味あることとして解釈していたならば、私は自称霊能者になれたかもしれない。しかし、私はそういうことをしなかった。なぜならば、解釈や意味づけは常に恣意的なものだと考えるからだ。つまり、自分の知識や事情や利害によって、解釈や意味はいくらでも変わりうる。そして、その解釈や意味は、不思議な事象そのものとは関係がない(はずだ)と思うからだ。  それとも、自分の事情や利害、

        「わかる人」は何をしているのか①

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          分けることは不可能ではないのか②

           私はいわば数々の神秘体験をしていたものの、自称「霊能者」が出てくるテレビ番組はニセモノだと思っていた。なぜなら、その霊能者たちは「あそこにぼんやりと少女の霊が浮かんでいます」などと言うからだ。私の体験では、ぼんやりと見える「霊」などというものは一つもなかった。見えるときは、あとで絵に描けるほどに鮮明に見えていたからである。また、はっきり見えているからこそ、それが通常のものではないということにそのときは気づかなかった。あとになってようやく、自分が見たもの、自分に起きたことは、

          分けることは不可能ではないのか②

          分けることは不可能ではないのか?①

           何事についても、分けることは不可能ではないのか、と私は思っている。ちがいがどんなに明確だと思われる事柄についても、アレとコレは別のことだと画然と分けることは不可能ではないのか、と。  たとえば、死と生だ。死ぬとは、本当にもはや生きないことなのだろうか。仮に死を、もはや生きないことだとすると、死ねば天国に行くとか言っている人たちは何をどのように考えているのだろうか。もはや死んで生きていないはずなのに、天国へと移動するならば、やはり生きて動いていることになるのではないだろうか

          分けることは不可能ではないのか?①

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           noteを始めます。何を書くか、決めてはいません。しかし、書くことはだいたい人間がふつうに体験することであり、それについての哲学っぽい思考のことになるでしょう。  よろしくお願いします。

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