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2024-83| こだわり始めた時、それは生活が雑になってきた時

こんにちは。ここ数ヶ月の生活で気がついたことがあります。

それは「こだわり」がたくさん出てきたときというのは、生活が疎かになっているということです。

おととい、NotionやObsidianを活用した知的生産について一日中考えていました。

知らない方のために説明すると、これらはけっこう高度な情報管理ツールです。Notionはデータベース型で表やカードなどを使って視覚的に管理することができます。一方でObsidianはZettelkastenなど情報を連結させて管理するツールです。

まとめると普通のメモアプリより複雑な情報管理ツールですね。

で、これらは使いこなそうと思うと沼にハマるわけです。楽しいんですけどね、こだわりが出過ぎて作業が進まなくなってしまう。

何かの本で作家の方がWordのフォントやサイズを調整し続けてしまうので、ツールには制約があったほうがいいと言っていたことが思い出されます。

もちろん、そのようなツールを使えるのは素晴らしいことですし、私自身もうまく使いこなせたらなぁと思います。

しかしこだわりが強すぎる私は、むしろ機能少ないほうが良いのです。

話がそれましたが、定期的にNotionやObsidianで知的生産をしたいと考えることがあります。そして、そう思うときはだいたい、部屋の掃除が滞っているのです。

これ面白い繋がりだなと思っていまして、私は生活がなおざりになっているとき、複雑に物事を考えてしまっているのではないでしょうか。

もしくは複雑さの中に逃げているのかもしれません。

生活が整っているとき、思考もまたシンプルです。
生活が煩雑になったとき、思考もまた煩雑になります。

こういう時は部屋の大掃除をしてあげると、思考もシンプルになり、複雑なツールを使おうとしなくなります。

生活と思考がつながっているわけてわすね。

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