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【感想】「サマーフィルムにのって」を観て|あるべき姿なんて存在しない

チネ・ラヴィータで「サマーフィルムにのって」を観てきた。のんびりこいていたらいつの間にか終映間近だったので、ちょっと焦った。
脚本はロロの三浦さんということで、「あ、あのかねがねお話を聞いていたロロの!」とずっと摂取する機会を伺っていた。実は私、普段の性格とは真逆なんですがスポコン系以外の青春ものについて特攻を載せられている節があって。あの頃手に入らなかった青春を取り戻そうとしてるんですかね私。

ただ、今回は事前に先に観てきた友人二人くらいからノレなかった系の感想を聞いていたので、少しおっかなびっくり観始めた感もあった。「うわー最後までノレなかったらどうしよう」とか、面白いシーンが来る度にビビッてしまったのは作品への良い向き合い方ではなかったと思う。
そして最後まで観終わった今。ただ思うことは「これが正解だ」ということ。彼らが何故ノレなかったのかも判る。ただその上で、この作品は力強くアンサーを出しているし、すべてひっくるめて振り返った時に「だって若いってそういう事だしそれが美しさじゃん」と肯定できてしまう。

以下、箇条書き的に感想を書いていく。ネタバレもする。



(以下、ネタバレありの雑感)

・さっきも書いたけれど、はじめはおっかなびっくりで観ていた。だって、はじめのシーンがクソつまらなそうなキラキラ恋愛映画で、それを撮っている映画部に所属している主人公だよ。対抗する武器が時代劇というのも、「わかるけど……オタク的にしか対抗できないじゃん! 陽キャのカウンターパートとしてのオタクの取り上げ方は最早先行作品が多すぎるよ!」となって怖すぎた。ただ、ハダシ役の伊藤万理華さんの眼、カゲまで含めて感情の説得力ありすぎてグイグイ惹き込まれていくし、殺陣が本気すぎて認識もすぐに改まった。個人的に視座が固まったのは川に飛び込むシーン。ここで作品のリアリティラインが理解できたので、その後はもう不安はなかった。

・ビート板の失恋の対象って絶対ハダシじゃん! ビート板とハダシって対照的に描かれていて、ハダシは最終的に想いを伝える選択をするけど、ビート板は伝えない。その上で彼女はカメラを回し続ける/映画的な構造から逸脱しようとするハダシを最後まで映画監督として成立させ続けるのが尊すぎる。
加えて、パンフレットの描きおろし漫画を観て泣きそうになった。どれだけハダシの幸せを思いやってるんだこの子は……。

・ラストシーン。ハダシは映画の上映を止めて、自分と仲間たちが撮影した作品の真のラストを表現しようとする。その形式が(ビート板が撮影を行っているとはいえ)映画という表現形式を逸脱して対峙していた「恋愛キラキラムービー」にある種取り込まれることに違和感を覚える人がいるのは仕方がないことだと思う。映画を撮影することにあれだけ熱意を注いでいたハダシがいつまでも残り続ける映画という形式を否定して瞬間性の高い演劇的な選択を取ることに抵抗を覚える人もいるのだろう。それは分かる。分かるけれど、それはこの作品の本質を捉えている視座ではないのではないか。
この映画は「青春映画」である。「青春映画」の醍醐味は「少年少女のこころの在り方があたかも世界そのものであるかのように表現される」ことに違いない。
それを考慮すると『武士の青春』の物語の行く末がハダシのこころとリンクするのは至って真っ当な流れだと思う。こころの在りざまは周囲から得る感動によって揺れ動く。行動を起こし何かしらのけじめをつけることを結末として選択することは、ハダシが花鈴と過ごした時間の中で得た気づきの反映として何ら矛盾のない出来事であるし、何よりハダシも凛太朗も映画のない未来を変えようという動機で映画を撮影していたのだ。
今作のタイムトラベルに伴うパラドックスの収束も「未来が一点に収束する」ことを肯定しない立場に立っている。すなわち彼ら彼女らの選択がどのように転んだところで、それは歓迎すべき彼ら彼女らの選択の結果なのだ。
人間は変わる。特に青少年たちは変わる。そのことを無視して、観客はしばしばキャラクター性という呪いに囚われがちである。やたら巷で聴く「この人物がこのような行動をとることは納得できない」という薄っぺらい言葉。うるせえ、黙ってろ。
雨の日に憂鬱な表情をしなければいけない理由などあるものか。身内を亡くした人間は絶対に悲しい表情をしなければならないのか。作品に戻って、「恋愛キラキラムービー」を否定していた映画監督が自らの作品の中に青春を表現してはいけないのか。映画から逸脱することは許されないのか。人物たちの人間らしさを奪っているのは、そうした「あるべき論」を振りかざしている傍観者ではないのか――? この作品がそうした問題への一つの答えになっていることが、今はただ頼もしい。
兎にも角にも、最後ハダシが凛太朗に向かっていく殺陣は美しかった。ただの恋愛青春映画としてでなく、互いに尊敬し認め合い別れ、それぞれの場所で歩んでいくことを覚悟した彼らが力強くぶつかり合うラストは圧巻。この結末を迎えた彼らなら未来に映画をきっと残せる。未来を変えられる。また観たいと思う一作だった。

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