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しあわせ学級崩壊 「リーディング短編集#1B」 を聴いた話。

しあわせ学級崩壊の「リーディング短編集 #1 B 音楽から書き下ろす、ゲスト劇作家による短編集」を購入した。同劇団の過去の作品は「終息点」「幸福な家族のための十五楽章」を配信で観劇している(感想記事あり)。
観劇した「終息点」の内容に衝撃を受けたこともあり、同劇団の新作の上演を楽しみにしていた一方、自分が仙台に住んでいるという事実はどうしようもなく、今回も公演配信がされないかなぁと密かに期待してしまっていた。
結果として音源という形式で購入することが出来たのだが、これがもう耳で味わう作品としての完成度が高すぎて、購入してから3日間で何度リピートしたか分からない。あまりにも音楽作品として良すぎたため以下に乱暴な感想をアウトプットしていきたいと思う。ネタバレ注意です。



以下、作品ごとの感想。

○『架空の生活』
1トラック目の作品。『終息点』を観劇した際、村山さんのフックのある発声と振舞いにずっと心を奪われていたことを思い出しながら聴き始めた。
今作は「愛しむ」という言葉が当てはまるような声色だった。もうこの世にいない男性が自らに惹かれていた女の子に、自らの不在を語りかけている。
私たちの頭の中は残酷なまでに自由で、どんなことでも想像できてしまう。その架空と事実のどちらに価値があるのか決めることは出来ないが、物語はひとつひとつ架空の事柄を剝がしていき、音楽の風景と同じく軽やかに事実を際立たせていく。村山さんの声には、その残酷な営みが優しさによって為されているのだと否が応でも感じさせる説得力があった。
楽曲は軽やかでありつつ、液体が染みわたっていくような余韻を感じるものでもあった。それが猶更に優しさを感じさせていた。

○『おれのことなんてだれもしらないし』
2トラック目の作品。自らのセクシャリティに疲弊した男性の半生が語られる物語。田中さんの演技からは、どこまでも拭えない性と人生への諦念と、それでも生きていくというしぶとさを感じる。
振り向いてもらえないと諦めていた存在に振り向かれる。それを幸福として受け入れることが叶わなかったのは確かに悲しい。自分が考える幸福の理念系が実際の感覚とそぐわなかったのなら、それは自分で自分を傷つけているということになるのだろうか。
最後の一言を純粋に悲劇と捉えるべきなのか、私にとっては大きな疑問だ。彼が生きることを諦めず、今となってその人生の在りようを語っていることはある種の奇跡なのだろうと感じるからだ。

○『この朝を墓標として』
3トラック目の作品。曲調と林さんの声質も相まってか、この作品集の中で一番詩的な作品であると感じた。感情の方向性などは全く違うのだが、amazarashiの作品を聞いて感じる感覚を少し思い出したりもした。
誰かの一日の始まりは、誰かの一日の終わりである。言葉にすれば当たり前のことではあるけれど、その世界に生きる人の姿を想像し、自らの生についても想像を広げていく。それらひとつひとつに触れようとする思考の営みのリズムが林さんの発話のリズムと重なり合っているように思えてひたすらに感動した。
脚本を担当されている斜田さんの作品は、以前にyoutubeで『サカシマ』を観劇している。悲劇の中で抗う人間を力強く描いた作品であると感じたが、全く作風が違うように感じる今作も、人がどのように生きているかという点を徹底的に想像しようとする作家性が通底しているように感じた。

○『野球部とドライブ』
4トラック目の作品。ピアノのガラスのような音色が透き通った少年の在り様と女性の不安定さの両方を表しているような感覚に陥った。大田さんの演技と楽曲が合わさって、小説・演劇・音楽のすべてとして作品を成立させていた。地の文と心情・台詞の表現の滑らかな移り変わりにも心を奪われる。
物語の内容も、個人的に滅茶苦茶に刺さってしまって何度も何度も聞き返してしまった。救っている側だった女性が少年の存在に救われるように変わっていく。そうして少年の純粋さに追いつけなさを感じてしまう在りようが、本当に優しくて悲しくて美しかった。


乱暴に、備忘録的に書き連ねたのだが、感情の言語化が追い付いていない。きっと明日も私はこの音源を聴くのだと思う。繰り返し味わうことを可能にする今回の形式は作品にとって良い効果をもたらしているように感じた。

次はA回の「音楽から選ぶ、近代文学作家による短編集」を購入し鑑賞したいと思う。


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