「なぜ結局夫との会話に落胆して終わるのか」のワケ
会話というのは、しばしばミスにまみれる。
思わぬ誤解を招いたり感情を動かして
びっくりするくらい近づけたり
想定外に心もろとも離れてしまったりもする。
ちなみに我が家のケースで言えば
会話の起承転結に一貫性がないと、私の現在の夫は露骨に嫌悪を表情に出すタイプ。
こちらのパワーが全開な外行きの状態の時は良かったけれど
家の中で、思考力が弱っている時や体調不良な時とかあるわけですよ。
結果
「感情を伝えることをやめた方が、断然楽である」
ということに気づいたわけです。
それは、ちっとも悲しい事ではなく
むしろ、平和にずいぶん近づいた感覚さえ。
夫の話したい言葉だけ、適度に拾わず適度に拾って相槌を打つ。
私の話したい話は、9割言いません。子どものネタ話はするけどね。
本当の意味であきらめるということは
ある種の自立を育てます。
相手もそっちの方が楽そう。
身内に言葉を黙ってるって、ストレスにつながると勘違いしてましたけど
身内だからこそ黙っていることで、功を奏すことの方が多いと伝えてあげたい。
誰ですか?
「夫婦は何事も分かり合わなければいけません。とにかく対話が重要です。」
みたいなことを言ってたご立派な人は。
―でね。
私は私で会話の目的は、伝達の手段だけでないと思っていて
共感してもらう温かみで成り立つ関係性があると思っています。
だから言葉そのものに反応して、システマチックに処理し合う「ディスカッション」と区別されると考えています。
大前提として
■相応の関係性があること。
■相手に伝わる言葉を選んでしゃべろうとしている「気持ち」があるということ
は要件ですが。
(※関係性がさして十分でないのに、自分の話ばかりしてしかも話がどんどん方向性を見失うタイプのマスターベーション的会話展開は、ここに含めません。)
つまり、会話で大事なことは
言葉そのものではなく
「どういう気持ちでその言葉を口にしているか」
ということへのリアクションとうことになります。
例えば、赤ちゃんの寝かしつけに時間かかってヘトヘトになったママさんがいたとして、帰宅したパパさんに
「ああ、ごはん座って食べる時間なかった。。」
という時の本意は
「ご飯食べれなかったから、今ごはん食べたい」の意味ではなく
「大変だったことを分かって欲しい。ごはん食べれなかったからという状態をひきあいに出すことによって」
という意になります。
それに対してパパさんが
「え、食べればいいじゃん。せんべいあるけど?」
などと、「ごはん食べれなかった」にしか反応しないと
その結果残る感情は
「わかってもらえない」
…チーン。
―ということになります。
伝えたいことは2つ。
>間違ったこと言ってないはずなのに相手を不快にさせてりまったことのある人へ
言葉そのものにではなく、相手がその言葉を「どういう気持ちで言っているか」にフォーカスしてみてください。「そこまで配慮するのめんどうくさい」と思ったら、何も言わないでうなづくか、そもそも別れてもいいかもしれません。
>相手との会話で怒り・虚無感・悲しみを感じる人へ
相手のキャパはそこまでなので、それ以上期待をして負荷をかけてもついてくることはできません。できるだけ早めに打ち止めをすることがおすすめ。
そして、出来るだけ早く心の扉をクローズして、適切なところでオープンするまでとっておいてあげてください。それによって夫との関係は、悪くなるどころかむしろマシになると思っていいと思います。少なくとも落胆している今よりはずっと。
―しかし思うわけです。
もし言葉が言葉以上でもそれ以下でもないのであれば
そもそも子どもたちとの会話なんて、出来なくない?と。
そう考えたら言葉の根元にある心と心で対話することって
実はめっちゃハイスキルで、尊い能力なわけです。
なのでぜひ、しかるべき場所でその尊い能力を発揮てほしい。
少なくても夫が「しかるべき場所」でなくてもがっかりする必要はないよ。