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適応障害と罪悪感とやめること

別居、転居、親たちと同居、離婚手続き、転職、子どもたちの入学、転学、住居探しー

3ヶ月前の私は、明らかにハイだったと思う。
アクセルをブルンブルン言わせてから、思い切りベタ踏みしていた感じ。

そうしないとあの大きな山を乗り切れなかった。

渦中にいる時は、自分のペースで進んでいる気がするもので、まったく気づかなかったけど
怒涛の4月を超えて、5月の連休明けくらいから
エンジンが思うようにふかせなくなってきた感じが明らかになり、次第に詰まったみたいになって、そのままエンストしてしまったのかもしれない。

いつだって反応にはタイムラグがある。
原因になることが発生した2ヶ月後くらいに「症状」が出るのだそうだ。

『適応障害』という診断名が、当初救いになってこれから楽に考えられると思ったところから2週間が経った。

担当医の人が
「たぶん、1ヶ月じゃ無理で、2、3ヶ月かかると思います」
と言っていた理由が今さらわかった気がする。

朝起きて、気持ちがフワフワ浮いている感じがする。感情がなくて無気力な感じがつきまとう感じがする。それが日に日に強くなる。

仕事休めばそれだけ回復が早くなると思ったら、なぜか日が経てば経つほど無気力が強まる。

こんな時間ができたのだから、図書館で借りてきたたくさんの本を読もうとか、YouTubeチャンネルを育てよう、とかいろんな目論見があったのに

すごい無気力なのだ。

なんだこれ。

今日は浜松へ日帰りでライブ。
拠点がなくなっちゃったから、新幹線往復でコストがかかるし、ギャラほとんど飛んじゃうかもしれないな、とか考えながら
ろくに練習もせずに会場に向かっている。

以前から支えてくれている人たちの繋げてくれるお仕事やご縁は引っ越しても続けようと思っていたけれど

事情を話して
しばらくストップさせてもらおうかな。

今の自分には人とのつながりが命綱だから
もしかしたら、後悔するかもしれないけれど

スカスカのアクセルを踏んでなんとか前進している感じがあって、不自然だ。

もしかしたら、もうちょっと悪くなる可能性も見越しておいた方がいいかもしれないと思った。

身体が伝えようとしていることを、ボチボチ聞いてあげなきゃいけない気がする。

幸い、私が休んだところで誰も責めたりしないんだから。

焦ったり罪悪感感じてるのは
自分だけ。

ほんとにやりたいと思った時に
動いてみよう。

それまで
内側から自分の声が上がるまでは

やりたくないをやらない、と
決めてみよう。

こわいけど。

決める。

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