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よるのがっこう②

【夜学のジャン・ヴァルジャン(2)】

〜2年前〜


「魔法がとけたか‥‥」

今日もお決まりのセリフを職員室で1人呟き、ため息をつく。

教頭直筆の「近隣住民に配慮、19時以降は電気最小限!」と書かれた大きなポスターに睨まれて、ひっそりと暗く沈んだ職員室であったが、その隣の大きな壁掛け時計だけは、大小2つの手を1番高く挙げ、気分上々なようだった。

「今日はもう疲れたな…」

帰り支度をした後、教員の働き方改革の調査のために東京都の真似をして設置された、形だけのタイムカードを切る。

残業が月45時間を超えれば校長と、月80時間を超えれば医師との面談があるということだが、それをさせないために、教頭がタイムカードの時間を操作する。

この県では、年に2回だけ、各学校の教員の残業時間のデータを県(行政)に送らなければならない。

残業時間が多いと県(行政)から管理職がお叱りを受け管理職の評価に影響があるため、教頭は残業時間のデータを当たり前のように改ざんする。

ブラック企業の社長も、思わずほくそ笑む労働環境だ。

うちの学校はまだいい、残業時間を操作する前に一言断りがあるからだ。

「校長と医者と面談するの面倒でしょ?時間減らしとくよ」と優しく教頭から真綿で首を絞められる。

また、どんなことがあっても、「残業は各教員の自己責任」というスタンスを管理職は絶対に崩さない。

さらに、文部科学省も県の教育長も教育委員会も、表向きは教員の長時間労働について、問題意識を持っている風であるが、実際は全く考える気がない。

これらの行政機関は、教員に対し、工夫をして仕事の効率化をしろ。というメッセージばかりで具体性がない。

最近では「変形労働時間制」を提案したが、その中身は、仕事量は同じだけど一年間を通してどこかで休もう!という曖昧なものだ。この数十年で膨らみに膨らませた教員の仕事量自体を減らす気は全くないらしい。

教員の世界で若さというものは、多くの場合、罪になる。

僕も、大学を卒業すると同時に教員として働きはじめた罪深い人間であった。

新卒で普通高校の教壇に立つことになった僕は、経験も実力もない分、一生懸命働き、うまくいかないことは様々な先輩から学び、生徒のために努力していきたいと考えていた、ごく普通の新米教師であった。

教員という組織と人間を無条件に信じていたんだ。


僕のこの信頼が揺らぎはじめるのにそう時間はかからなかった。

4月の当初に決めたはずの仕事の割り当てを完全に無視して、学年・分掌・教科・部活などありとあらゆる仕事が、僕を含めた若手の机の上に置かれる。

心無い年配の教員や管理職を中心に、仕事を押し付ける時に放つ「若いうちにいろいろ経験した方が良い」「初任研(初任者の研修)だと思って」といった言葉は、疲れた心にさらに鞭を打つ。

自分の仕事であっても、断らない若手にやらせてもいい。教員の常識であるらしい。

僕は教員の世界を誰かに説明する時、『絶対年齢主義的社会主義の構造をもった、組織になりきれないまとまり』だと語るようにしている。

まず、『絶対年齢主義的社会主義』になる背景として、教員の組織は鍋蓋型といわれ、いわゆる企業のピラミッド型の組織とは異なる。

学校は、管理職である校長・教頭、最近誕生した主幹教諭以外は、教員として並列であるとしている。

並列である圧倒的多くの平教員が唯一秩序を保つ方法が、『年齢』である。

どれだけ努力をしていて、仕事をこなしていても、意見がぶつかれば、教員の組織の場合、年齢の高い人の意見が採用されることが圧倒的に多い。

教育に答えはないので経験が優先されるという建前だ。それが明らかに間違っている場合でも。この絶対年齢主義のもとでは、若手の教員など、人権が無いに等しい。

どんなに理不尽でもこの組織の秩序を乱さないために、年配の教員がやらなくてはいけない仕事を喜んで引き受けるしか無い。

年配の教員も、若い時は同じように仕事を押し付けられて成長してきたのだという意見もあるだろう。しかし、昔よりも現代の教員の方が確実に仕事が増えているし、複雑化しているため、教員1人でできる量には限界がある。

そもそも、自分もこのやり方で育ったのだから下の世代もそうあるべきだという思考が停止した考えは、「体罰」と同じである。自分が受けた痛みを下の世代に押し付ける。なるほど、教育界の「体罰」の根絶は難しそうだ。

また、教員の組織が抱える『絶対年齢主義的社会主義』の社会主義部分は根深い。

公務員全般に言えることかもしれないが、社会主義の構造を持った組織は終わっている。

どれだけ努力をして研究と修養を重ねている人物も、職場で一日中寝ているような人物も、勤続年数と年齢などの条件が同じならば、給料が同じになるわけである。

法に触れるようなことをしなければ、基本的に公務員の職・身分は失われることがなく、年齢とともに給与が上がっていく。

ここで重要なのは、社会主義が成功した事例は世界中にひとつたりとも無いということである。

つまり、努力してもしなくても同じ給料ならば、努力をしない人間がその組織に多く出てくる。努力をした方が損をし、怠けた方が得をするシステムなのだ。教員の世界も同じである。

しかし、仕事自体は年々増えて来ている。この『絶対年齢主義的社会主義』の教員の世界で、怠けた多数の教員分の、仕事のしわ寄せは誰に来るのか、考えただけでも震えが止まらない。

最近、このような環境を打破するためなのだと、『教職員の人事評価システム』というものが始まった。僕もこの名前を聞いた時、一筋の光を見た気がした。

自分の努力が認められる。頑張っているあの先生の評価が高くなる。そんな風に思っていた。

ただ、その本当の意味を知った時、僕は驚愕したのだった。

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