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白瀬らへんの話 ⒉

えー、2回目です。演出の話をします。
1回目で『人の可能性を信じる』と言いましたが、これは観劇者だけでなく、関わってくださる方々すべてに思っていることです。


このことが、演出につながっていまして、まずはキャスティングです。正直、有名度は興味なくて


・この本に適しているか
・セリフを覚えられそうか
・やばいやつか
・日本語が話せるか


の4点くらいしか気にしてません。


特に重視してるのは、やばいやつであるかってことですね。そうやって、運の悪いことにキャスティングされた方々に起きるのは『セリフは、50%しか覚えちゃダメ』『出発点と終着点は決めるけど、あとは決めない』『このセリフは、本番まであと3回くらいしかいっちゃだめ』などなどです。この辺の秘密は、気がついていた方々いましたね。なのでセリフのニュアンスや語尾、はたまた発声しないセリフが出たり、立ち位置も毎回違ったりします。困るのはスタッフと飼い慣らされた役者だけですね。ちなみにテイクアウトの時もそうだし、シーリア以前から私はこのスタンスです。
誰とは言わないけど、この演出方針で大手を振るって喜んだやばい人は1人だけですね。

なので一度たりとも全く同じ本番はありません。生のライブ感を絶対重視しています。


この辺の事が演出名乗っていいのか微妙なラインなんですよね。


お芝居の完成度も稽古で、わざと70%くらいしか目指しません。どうせ劇場に入って変わっちゃうので、わざわざ正確に覚えさせて変更するより、遊びを残しておいた方が心労もトラブルも少ないからです。


あとは、決めないことにより、あの繊細な演技を可能にしています。目線、手の動き、こんなことをいちいち意識して操作することは、ほぼできません(まれにわざわざ息止めて力入れて耳赤くする変人いましたが)でも、点で出来ても全身に意識を向けることはできません。なので、無意識を使えるように稽古をしていきます。

お手伝いKJ


あくまで私の考え方ですが、ロボットを相手にしているわけでもなく役者という「個」と遊んでいるので、その部分をマストに考えています。あくまで脚本は設計図。演出は、個の力と作品を最大限に活かすためのものでしかありません。


なので、冗談じゃなく稽古に飽きた時は帰ります。みんなで帰ります。あとは、みんなでお菓子食べておしゃべりして過ごします。そうやって過ごすとあんな感じのお芝居になります。

なぜ、私がそんな感じになっちゃったかというと、自分自身が好きなことって楽しくないとうまくいかないんですよね。おそらく大好きなゲームであっても義務や極端なノルマがあったらしんどくなるし、飽きちゃうんじゃないかな。あとは、失敗することに責任を負わせないということですね。もちろん命に関わることは別ですが、基本的には私は役者だろうがスタッフだろうが一切ミスを責めませんし、ミスなんて概念がないです。だって、私が怒られたくないもん笑 ミスさえミスとしないのが私の考え方なので、板(本番の舞台のこと)で起きたことに誰も責任を負う必要がないので、誰でも気軽に仲間をフォローしてくれます。意味わかるかなこれ。ほら、AEDを使うのに衣服を脱がすと訴えられる的な話あったじゃないですか。助けたのに訴えられたらたまったもんじゃない。余計なことはすると危ない。なーんて意識を現場に蔓延させないようにしてます。


目下世の中は、パワハラセクハラモラハラと困ったちゃんが話題になってますが、うちは無縁ですね。でも、言葉が強いって敦Pには文句言われます。あと、劇場にゴミ捨てて歩くなって怒られます(わざとじゃない)ロジハラだ‼︎訴えてやる‼︎笑


あと、少数精鋭が好みです。過剰な美術セットは好みません。


昔、知り合いの路上役者が「楽屋狭いですよね。出演者数に対しておかしくないっすか?」といってくれた時に、スッとそうだなって思いました。


ていうか、私自体が出演者多いと何いってるか、どんな話かわかんなくなっちゃうんですよね。あとちょい役とか、なんかもう可哀想で嫌なんですよね。もう、ずっと推しの役者見てたいんですよ。凝視してたいんですよ。だから人数少なめであんなことになっちゃうんです(おかげでチケット売れなくて大変)


2回目は、こんなとこで幕を下ろします。
次回は観客との関係について語ってみたいと思います。思想強めですみません。



白瀬一華

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