天草騒動 「48. 一揆の兵ども腰兵糧を落とす事」
その晩、蘆塚の配下が引き揚げたあとに腰兵糧がたくさん落ちていた。
伊豆守殿の本陣に差し出したところ、伊豆守殿はそれを御覧になって、「一揆どもは退く際に敗北して、腰兵糧を落として逃げて行ったとみえる。雑人どもの戦いだから見苦しい退きかたをするものだ。」と、お笑いになった。
このことから、伊豆守殿が軍法にうといことがわかる。軍事は采配を振る人に依るというが、なるほどと思われる。
秩序立って戦っていた一揆の者たちのことだから、もしも兵糧を落としたとしても二つか三つであろうに、どうして二三十も落とす事があろうか。これは、寄せ手が兵糧攻めをしているので、兵糧をたくさん落とせば城内に兵糧がまだたくさんあると思い込んで敵の戦意をそぐことができるだろう、という蘆塚の謀略であって、感心すべき策であった。
しかし、伊豆守殿は、謀略の内容にまったく気付かなかったのである。さすがの蘆塚も、敵の程度を知らず、兵糧の落とし損になってしまった。
さて、同じ日の戦いで、大矢野作左衛門を将としてその配下の組頭毛利平左衛門、有馬休意および五百人余りの一揆の者らが勇んで進軍して、有馬中務大輔殿の陣へ棒火矢を打ちかけたところ、有馬家の陣は油断していたため、たいへんな騒動になった。
馬は放たれて跳ね廻り、陣屋は燃え上がり、そのうち火がますます盛んに燃えて一面の黒煙に包まれた。
大矢野は鎌槍をつかんで短兵急に攻めたてたので、寄せ手の兵士は鎧も着けずに四方八方に逃げまどった。そこを大矢野は自分自身で槍を振るって十五六人を突き倒したので、相手になる者は一人もいないありさまだった。
そこに有馬家の家臣の秀島四郎左衛門が采配を振って乱れる味方を励まし、大音声で、「卑怯な真似をするな、者ども。後ろは本陣だ。恥を知る者は引き返せ。」と下知しながら、踏みとどまって防戦した。
それに続いて石井九郎右衛門も駆けつけて二人で烈しく戦い、一揆七八人を突き倒した。
大矢野はこれを見て、秀島、石井の両人と鎌槍を引っ掴んで渡り合い、左右に受けて戦った。大矢野は石井の槍をたたき落としたが、その時、秀島が苛立って駆け入り、大矢野の乗っていた馬の平首に斬りつけた。
馬がひどく跳ね回ったので大矢野は真っ逆様に落馬してしまったが、起き上がりざまに無双の早業で抜打ちに秀島を横に払った。
秀島は太股を斬られて馬からどっと落ちたので、大矢野はすかさず秀島の馬に飛び乗り、石井に打ってかかった。そこに一揆の組頭の毛利平左衛門が横合いから駆けつけて、とうとう石井を討ち取った。
こうして秀島と石井の両人が討ち死にして、下知する者がいなくなってしまったため、寄せ手は乱れ立ち、雪崩をうって本陣に逃げ込んだ。
一揆は勝ちに乗じて有馬家の本陣めがけて押し寄せた。
この本陣の前備えの、有馬修理の嫡子の藤九郎と、有馬帯刀らが突いて出て、一揆を十人ほど突き伏せ、敵味方が入り乱れて戦ったが、そのうち前方の陣屋が燃え上がって白昼のように明るくなった。双方の旗が東西に入り乱れ、ますます戦いが烈しくなっていった。
大矢野は大将の有馬侯を討ち取ろうと付け狙い、だんだん味方から離れて深入りして戦ったが、有馬家の旗本が頑強に防戦したため、毛利平左衛門や有馬休意が追い立てられてしまった。
大矢野はそれを見て、「南無三、背後をふさがれて討ち死にしては、せっかくの勝ちいくさが負けになってしまう。ひとまずここを切り抜けよう」と、近付いてきた一人の若武者を引っ捕らえ、まげを掴んで片手で引っ提げ、馬の足を早めて敵軍の中を駆け抜けた。
有馬家の軍勢が群がり立って大矢野を追いかけて来たので、大矢野は捕まえた若武者を頭上にかかげ、寄せ手の方へ投げつけた。その若武者は、顔中の穴という穴から血を吹いて死んでしまった。
この勢いに驚いて、大矢野を追いかける者はもはや一人も無く、有馬家の陣では鬨の声をあげたり鉄砲を撃ちかけたりして一揆の残兵を追い払い、ようやく陣中は鎮まった。
大矢野は兵卒をまとめて城内に退き、蘆塚の陣の横で兵糧をとり、休息した。
さて、立花家の陣に向かった天草玄察と組頭の千束善左衛門も、敵の先陣に進み寄った。
立花の嫡子の飛騨守殿は若大将ではあったが、今夜一揆の者らがいつもより近くに来るのを見て、「ひょっとしたら夜討ちをかけてくるかもしれない。」と、先陣に引き揚げさせて本陣の守りを固め、鉄砲隊を隠して待ち受けた。
一揆はそうとも知らず、五百人余りがときの声をあげて棒火矢を撃ちかけ焼きたてて先陣を破ったが、案に相違してそこには一人もいなかった。
「これは夜討ちに対する用意がしてあったようだ。」と思ったところに、二陣から鉄砲百挺で撃ちかけたので、一揆は不意をうたれておおいに驚き、敗走した。
立花父子は、「それっ、一揆どもは敗走したぞ。槍で討ち取れ。」と言って、騎馬五十人を含む五百人余りで討って出て追い立てた。玄察の兵卒は、今にも皆殺しにされそうになった。
千々輪五郎左衛門がこの様子を見て、「南無三、この方面の夜討ちは失敗した。急いで救わねばならない」と、五百人余りに密集隊形をとらせてまっしぐらに討って出た。
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