見出し画像

朗読詩「母」

「人間が怖い」

そう言い続けていた友人が、子供を産んだ。

「人間は怖い。でもこの子だけは可愛いの。」

そう彼女は言った。

彼女の胸の中で、赤ん坊は腹を空かせては泣き、乳を飲み、やがて眠った。
にんげん、そのもの。
私はそう思った。
こんな欲望のままに生きている、言葉も通じない生き物のどこが愛おしいのか。

私は「人間が怖い」という貴女が好きだった。

「人間は怖いわ。」

私だけが貴女の一番そばにいる人間のはずだった。

「でもこの子だけは可愛いの。」

腹を空かせ、

「お腹が空いたのかしら。」

泣きじゃくり、

「よしよし。」

乳を飲み、

「やっぱりお腹が空いていたの。」

やがて眠り、

「いい子ね。」

こいつは欲望のままに生きている。

「可愛いでしょう?」

欲望のままに生きる赤ん坊は、彼女の欲望の産物だ。
そしてそれを憎悪する私は、私を置いて大人になってしまった彼女を憎悪しているのだ。

昔私たちは同じものだった。
いつの間にか貴女だけが、母という別の何かになってしまった。
ただひたすらお互いだけを信じ合い、他人に怯え、肩を寄せ合った少女時代は終わってしまったのだ。

「抱いてみる?」

そう遠くない未来に、彼女の人間嫌いはすっかり治ってしまうだろう。
そして私だけが、唯一信じられる人間をこの小さな生き物に奪われたのだ。

彼女の腹を突き破って出て来たのが、どうして私ではなかったのだろう。

「また、この子に会いに来てね。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?