見出し画像

短編小説『12ストリングスチューニングレスハイパーパーフェクション』

 Show A Person A Clean Pair Of Heels.
 尻尾巻いて逃げ出す、という意味の慣用句。それがあたしたちのバンド名だった。そのバンドはたった今、解散した。
 なんの前触れも無く突然ボーカルの男と連絡が取れなくなってから一ヶ月が経った頃、ベースが「バンドを抜けたい」と申し出た。良い機会だから音楽から離れて真面目に就職しようと決めたらしい。ドラムと一緒にいくら説得しても決意は揺るがず、それどころかやがて感化されてドラムまで就職したがった。あっという間にあたしたちの意思はバラバラになり、最後の飲み会を終えた今、あたしは一人になってしまった。ボーカルの消息は分からないままだ。観客が逃げ出したくなるくらい圧倒的な音楽をやろうぜというのを旗印にして始めたのに逃げていったのは当のメンバー達のほうだった。ライブをやってもろくに見向きもされずゆっくり観客がいなくなっていくというようなことばかりだったし、やはりそもそもの目標が間違っていたんだろう。簡単には大衆に理解されないような崇高な作品を作ろう、なんてのは手の込んだ自殺でしか無いのだとあたしはようやく悟った。
 ベッドに大の字になって天井を見つめる。急に目的が無くなってしまった人生とどう折り合いをつければいいのか分からない。新しいバンドを組むか、それともどこかメンバーを募集しているところを探すか。唸りながら転がると、愛機である青い12弦ギターが目に入った。高校生の時、軽音楽部に入るにあたって買ってからあたしはこのギターしか弾いたことが無い。アート・リンゼイに憧れて、和製アート・リンゼイになるなんて息巻いてずっとこれしか使ってこなかった。彼と同じように11本しか弦を張らず、チューニングもせずに快感原則だけを信じて弾き倒す。考えてみればそんな奏法ばかり得意なあたしを求めているバンドなんてどこにも無い気がする。唸り声をさらに高めてごろごろしていると、携帯の着信音がした。こんな真夜中に誰だ、と相手も確認せずに寝転がったまま出る。
「日南さん?」
 耳からというより頭の中に直接語り掛けられるような不思議な声。それは間違いなく、消息不明になっていた我らがボーカル、いや元ボーカルだった。
「アナスイ!」
「穴水です。すいません、お久しぶりです」
「どこ行ってたんだよお前……」
「えっと、ちょっと……」
 お前のせいでバンドは無くなったと伝えると、彼は驚くでもなく「ごめんなさい」とそれだけ言った。
「あんたから話せばあいつらまたやってくれるかもしれないからさ、悪いと思うなら電話してよ」
「無理ですよ……」
「なんで」
「俺は責任持てませんから。もし俺が連絡してまた集まったとしたら、あの人たちの人生俺が背負うことになるじゃないですか。せっかく安定した道を選ぶ覚悟が出来たなら、俺はそれを応援したいです」
 諸悪の根源の癖してごもっともなことを言う彼にあたしは何も言い返せなかった。

 獣くさい檻の中へ久しぶりに入る。そこにいたシロテナガザルというらしい生き物は突然の侵入者に怯え切って片隅でじっとこちらを睨んできた。とりあえず敵対心は無いということを示すために笑ってみたが、ますます怖がっているかのようにそれは身を縮めるのだった。笑顔とは元々攻撃的な意思の表れだとかなんとかそういや何かで聞いたような気がするな、などと思いながら、柄の長いモップで清掃をちゃちゃっと済まして檻を出た。
「おー、終わった? ありがとね。急にごめんねー」
「いえいえー。なんかむしろ申し訳ないです」
「え? なにが」
「あたしに超ビビってました、あの猿くん。あの子に悪かったような、で」
「あーはは、大丈夫。僕にも全然なついてないから」
「そうなんですか」
 バイト先の動物園で、あたしは普段売店の売り子をしている。だが今日はいつも動物の世話を担当している社員が急に休んだらしい。それであたしにお鉢が回って来た訳だ。どこの世界にも突然いるべき場所からいなくなるやつはいるのだなあ、と思った。
 時々呼ばれて掃除や給餌をやる頻度はその日を境にして徐々に増えていった。訊けば、件の社員以外にも少しずつ似たような人が現れているらしい。人は減る一方で、元々ギリギリだったらしい園の運営はかなり危ないところまで来てしまっているそうだ。
「おつかれっしたー」
 鍵が壊れた裏口の扉を閉めながらそう言って外に出た。今日はこの後予定があるのだ。自転車をのろのろと走らせてあたしは家の近所にある居酒屋へ向かった。
 店に入ると、相手は既に飲み始めていた。ジョッキにはもう五分の一ほどしか黄色い液体が残っていない。
「アナスイ……」
「穴水です。おつかれさまです」
 彼への苛立ちをぶつけるがごとく大声で店員の兄ちゃんを呼んであたしはビールを頼んだ。あまり混んでいないのですぐにジョッキは届き、あたしはアナスイこと穴水優作のテーブルに置かれたままのジョッキへぶつけて高らかに音を鳴らし、ごくごくと一気に半分ほど呷る。
「そいじゃあ、聞かせてもらおうかね、あんたの弁明を」
「弁明……いや、普通に旅行行ってただけなんですって」
「事前の報告もなしに? あたしたちからの連絡も全部無視して?」
「それは……すいませんでした」
「謝って済むなら警察もバンドも要らねえや」
 チェイサーとして水をコップになみなみと注いですぐに全て飲み干し、続けざまにジョッキも空にしてみせるアタクシ。
「やっぱりあいつらはもうやる気無いってさ」
「はい……俺も直接聞きました」
「連絡したんだ?」
「はい」
 彼が注文していたらしい中に納豆が入っているオムレツと肉の串焼きが届く。あたしは迷わずオムレツの皿を自分の方に引き寄せた。穴水は驚いたような顔をしたが、負けじと串焼きの皿を自分のそばに移動させ、片腕でしっかりとガードする。あたしはそんな防御の壁を拳で突き破って串の一本を奪い取り、見せつけるようにして口に入れた。
「これからどうすりゃいいのよ。……あんたは、どうすんの。あんたも就職考えてる?」
「いえ、俺は残ります」
「残るったって、他あたししかいないんだよ」
「日南さんがいれば十分です」
 真剣な表情と言葉は悔しいが嬉しいものだった。ずっと彼はこの調子だ。まだ別のバンドでボーカルをやっていた頃、彼は対バン相手だったあたし達の演奏、特にあたしのプレイに惚れ込んだと言って加入を申し出てきた。一緒にやるようになってからもあたしの作る曲、そして演奏を彼はいつも褒めてくれた。自分ではもちろん自分自身の実力を疑ってはいなかったけど、他の誰にも評価してもらえはしない中で彼のその反応は実際かなり支えになっていたのは悲しいかな認めざるを得ない。
「むしろ日南さんがいなきゃ嫌です」
「うーん……」
 客の少なかった店内がにわかに騒がしくなってくる。スーツ姿のグループが周りのテーブルに何組か座り始めた。そろそろ早めに終わる会社は上がりの時間なのだろう。しばらく彼等はぼそぼそと疲れた様子で喋っていたが、アルコールが着弾すると加速度をつけてうるさくなった。そんな姿を見ながら就職という道について考える。もし真っ当に勤め人になったら、あたしもあんな風になってしまうのだろうか。一緒に一流の表現者を目指していたはずの仲間たちもああなっていくのか。仕事終わりの一杯だけを生きがいにする生き物。空気の振動ではなく、体内に取り込んだエタノールでしか狂えない生き物に。職場で最近世話することの多くなった猿たちが夢中になって餌を貪り喰らう姿が重なって見えて、縁起でもない予感を振り払うように次の一杯を頼んだ。
「日南さん」
「んぁい?」
「……酔ってます?」
「まだでぇじょうぶ」
「あの話なんですけど、こんなことになっちゃったしもう一回考えてもらえませんか」
「どの話?」
「やっぱり俺は日南さんが好きです」
 危なく噴き出すところだった。
「急に笑かすなよ!」
「いや……真剣なんですけど」
「それはウケるね。……あっ、まさかあんた、それで姿くらましたんじゃなかろうな」
 実を言うと、彼は行方不明になる直前、あたしに付き合ってほしいと告白してきていた。あたしはブチギレた。なにせあたしが学生時代やっていたバンドはそうした薄汚い縁故で採用されたクソボーカルのせいでひどい体たらくだったのだ。とはいえ別バンドを組めるほど人数がいる部活ではなかったし、他に楽器をやっている者を探すのも困難だったのであたしが音楽を続けるには我慢するしかなかった。そんなわけで、あたしは惚れた腫れたをバンドに持ち込む輩がとてつもなく嫌いだった。本気で拒否するあたしに恐れをなしたのか優作は「二度と言いません」と誓ってくれた……はずだったのにこれである。
「言ったよね? 次そういうこと言ったら出ていってもらうって」
「……ははっ」
「なに笑ってんの」
「出て行くって……もう出て行けるような物なくなっちゃったのに」
「あー! 言ったね!? あーもう、いい、分かった。あんたとはもうこれっきりだ。さようなら」
「あははは」
「……ちっくしょう」
 怒ってみたところで、もはや彼の言う通りなのだ。バンドは解散した。それはあたしが彼に対して持っていた優越権が失効したということであり、彼はあたしにしゃらくさい愛やらなにやらを伝える権利を得たということでもあった。あたしはせめてもの意地で納豆オムレツを一口も彼にやらず独り占めしたまま完食した。

 閉園します。動物の世話にも慣れ始めたある日の昼、珍しく姿を見せていた園長に呼び出されたかと思えば、あたしが言われたのはそんなことだった。今月いっぱいでこの動物園は閉まります。申し訳ないけれど決まってしまったことなので変えられません。
 バンドが解散した矢先に職を失う。厄年かと思うような立て続けの不幸にあたしの脳はパンク寸前だった。何はともあれ仕事を探さないといけないとあらゆるバイトの面接を受けたが、とうとう月が変わってしばらく経っても何の職にも就くことが出来なかった。無論音楽活動の見通しだってそんな状況ではつくはずもなく途方に暮れるしかなかった。家賃光熱費その他諸々の支払期日は迫るが満足に用意出来ていない。単発バイトの派遣会社にいくつか登録して何日か働いたが、ブラックどころの騒ぎではないのでとてもやっていけそうになかった。腹いせとばかりに優作に連絡すると、酒をおごると言ってくれた。シャクではあったがありがたく誘いを受けることにした。
「ありえなくない!? 十連続不採用!」
「ありえないですねー……」
「どうすりゃいいのよ……この歳で路頭に迷いたくないよあたし……」
 チェイサーを挟むのも煩わしくてあたしは立て続けにガンガン飲みまくってべろべろになりながらグチを言い募った。それでも優作は嫌な顔せずむしろ嬉しそうにあたしのほうを見ている。
「ウチ来ますか?」
 自分がおごるって言ったこと忘れてるんじゃないだろうなこいつ、と不審感が湧いてきて睨んでいたあたしに、彼は顔を赤らめながらそう言った。
「は?」
「路頭に迷うよりはマシじゃないですか」
「キサマ何を言っている」
「だっ……ははは。だって、ヤバいんでしょ。ウチ一応部屋二つあって、二人暮らし可のとこなんでいけますよ」
「いけねえよ! 冷静に考えろ酔っ払いが!」
 ほとんど前後不覚に陥っている身で言えるセリフでは無かったが、酒の勢いで言われているのだとしたら困るのは本当だ。もし「酔ってたんで覚えてません」なんて後で言われたら参ってしまう。
「俺は酔ってません」
「ほう……? じゃあ誓約書を書きなさい」
「なんですか?」
「誓約書。書面にしたためろって言ってんの。本気なら出来るでしょ」
「いや……え?」
「ほら。やっぱりただの酔った勢いだ。あんたみたいな適当な気まぐれで残飯やるやつがいるから鳩どもはアホみたいに繁殖するんだよ」
「……何の話ですか。いやそうじゃなくて、え? いいんですか、一緒に住むの」
「ほぼ一文無しだからね。年金とか奨学金とか国保とか、あとなんだ、スマホとかかな。は、さすがに自分で工面するけどそれ以外の部分全部なんとかしてくれるなら頼みたい」
 あたしが言うと、彼は自分のリュックから紙とペンを取り出して迷わず誓約書を書き始めた。何かの裏紙みたいで、色々文字が透けて見えたけどとりあえずは誓約書であるものをあたしは受け取り、予想だにしなかった同居生活を始めることになった。

ここから先は

6,794字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?